第1話:風になびく髪
自分の足元に落ちている消しゴムにはなかなか気付かないように、身近にあるものほど気づかぬまま通り過ぎてしまう。しかし、後々必要になったころには、もうそれはどこか遠くへ行ってしまっている。そう、手の届かぬ遠くへ――。
夏休みボケは解消したものの、ただ学校へ行くだけの退屈な毎日が再びやってきた。何のために高校に通っているのだろうか……。僕は重いまぶたを精一杯開きながら、トボトボと学校へ向かって歩いていた。
「よう、亮介。」
振り返ると、僕より少し背の高い修治がニヤニヤしながら歩いている。
「相変わらず眠そうだな。」
そう言われても言い返す元気もなく、ただ、ああ、とだけ返事をした。
「そうだ、亮介。学校着いたら数学の宿題見せてくれよ。」
「え?またかよ。少しは自分でやれって。」
「まあそういうなって。今度ジュースおごってやるから。」
「はいはい……。」
これ以上拒否すると亮介の機嫌はたちまち悪くなることはわかっている。だから承知するより仕方ない。まったく調子のいい男だ。修治はいつもこんな感じだ。彼は人はいいのだが、感情をすぐ表に出すのだ。いい面でもあるのだが、悪い面でもある。ルックスはいいだけに玉に瑕だ。それでも、相手によってはとんでもなく優しくなるときもある。その一例がかわいい女の子、である。まったく調子のいい男だ。
学校へ着くや、亮介は数学のノートを求めてきた。どうやら数学は運悪く一時間目らしい。彼にとっては緊急を要するのだ。僕はノートを手渡し、教室を出た。どうも人が多いところは好きではない。廊下の窓から登校してくる生徒たちを眺めていた。今日は少し風が強いらしい。窓を通り過ぎる風が、火照った体を冷ましてくれる。今日はこの風が、9月になっても続く残暑を少しは軽減してくれるだろう。
チャイムが鳴った。教室へ戻ろうとしたとき、校門から必死で自転車をこいでくる女の子の姿があった。ただでさえ風が強いのに、彼女は風を切って走り、自転車を駐輪場へ滑り込ませた。スカートと、肩までかかるであろう黒い髪が風になびいていた。
――春奈だ。
こんなにギリギリで登校するとは珍しいな。
「おい、河原!遅刻だぞ!」
春奈は腰を低くして生徒玄関へと消えていった。先生に怒られてる春奈はなかなか見れないぞ。と思いながらその様子をじっと見つめていた。何しろ春奈は優秀だからなぁ。
おっと、いけない、僕も遅刻扱いになるところだった。急いで教室へと戻った。