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「つかえないジジイ」と言った君へ

掲載日:2026/09/28

誰もがいつか年を取ります。

そのとき、自分は誰かにどんなふうに接してもらいたいのだろう。

そんなことを、静かに考えながら書いた短い話です。

ショッピングモールの空調は、

季節に関係なく、いつも同じような涼しさを保っている。


人の流れも、どこか一定だ。


家族連れ。買い物袋をいくつも抱えた人。

ベンチに座り、ただ時間をつぶしているような人。


そんな雑多な流れの中で、ふいに耳に刺さる言葉があった。


「ちっ、つかえないジジイだな。くそが」


吐き捨てるような声だった。


若い男が、警備員のおじさんに向かって言ったらしい。


何があったのかは分からない。


けれど、その言葉だけが妙に鮮明に残った。


私は足を止めた。


怒り、というほど激しいものではなかった。


胸の奥が、ざらりとした。


人は誰でも年をとる。


今は足早に歩いているあの若者も、いつかは階段の途中で息を整える日が来る。

暗い場所で、目が慣れるまで少し時間がかかる日も来る。


新しい機械の前で、若い人が迷いなく操作するのを横目で見ながら、

自分だけが取り残されたように感じることもあるだろう。


警備員のおじさんは、何も言い返さなかった。


少し眉を寄せただけだった。


それから、何事もなかったように通路の端へ歩いていった。


その背中を見ていると、父のことを思い出した。


父は、昔は怖い人だった。


私が子どもの頃、何か悪さをすると、低い声で叱られた。


言い訳など聞いてくれなかった。


けれど、年をとってからの父は、ずいぶん静かになった。


ある日、私が仕事のことで苛立って帰ってきた。


玄関で靴を脱ぎながら、私は誰に向けるでもなく文句を言った。


父は新聞から顔を上げた。


しばらく私を見て、それから、


「まあ、そんな日もある」


と言った。


それだけだった。


昔の父なら、もっと何か言ったかもしれない。


「そんなことで腹を立てるな」と叱ったかもしれない。


けれど、その日は何も言わなかった。


新聞を畳み、湯飲みを手に取った。


そのとき、湯飲みの縁に口をつける父の横顔が、妙に静かに見えた。


私は何も言えず、自分の部屋へ入った。


その横顔を、今でも覚えている。


年をとるということは、何かを失っていくことだけではないのかもしれない。


言わなくていいことが分かるようになる。


怒っても仕方のないことを、少しだけ受け流せるようになる。


私は再び歩き始めた。


さっきの若者は、もう見えなかった。


モールの通路は、何事もなかったように人が行き交っている。


少し先のベンチでは、おじいさんが一人、紙コップのコーヒーを飲んでいた。


そのとき、近くで小さな子どもが転んだ。


母親が慌てて駆け寄る。


子どもは泣きながら、母親の胸に顔を押しつけた。


おじいさんはベンチから立ち上がり、足元に転がってきた子どもの靴を拾った。


「これ、落ちましたよ」


母親が受け取る。


「ありがとうございます」


おじいさんは軽くうなずき、またベンチに戻った。


私は、その背中を見送った。


さっき聞いた言葉とは、ずいぶん違う場面だった。


誰かを傷つける言葉もある。


誰かのために拾われる、小さな靴もある。


どちらも、ほんの一瞬のことだ。


けれど、そういう一瞬は、案外長く人の中に残る。


自動ドアの前まで来た。


扉が開く。


外の光が、少しまぶしかった。


私はそのまま外へ出た。


背中から、モールの冷たい空気が追いかけてくる。


ふと、さっきの言葉を思い出した。


「つかえないジジイだな」


もう、あの若者に何か言ってやりたいとは思わなかった。


ただ、いつかあの人にも、自分の歩く速度が少しずつ遅くなる日が来るのだろうと思った。


そのとき、誰かが笑わずに待っていてくれたらいい。


困っているとき、誰かが手を差し出してくれたらいい。


私は空を見上げた。


少しまぶしい空だった。



誰かに向けた言葉は、その場では消えてしまうことがあります。

でも、言われた人の中には、長く残ることもある。

できることなら、残る言葉は優しいものであってほしい。

そんな思いを込めて、書きました。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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