「つかえないジジイ」と言った君へ
誰もがいつか年を取ります。
そのとき、自分は誰かにどんなふうに接してもらいたいのだろう。
そんなことを、静かに考えながら書いた短い話です。
ショッピングモールの空調は、
季節に関係なく、いつも同じような涼しさを保っている。
人の流れも、どこか一定だ。
家族連れ。買い物袋をいくつも抱えた人。
ベンチに座り、ただ時間をつぶしているような人。
そんな雑多な流れの中で、ふいに耳に刺さる言葉があった。
「ちっ、つかえないジジイだな。くそが」
吐き捨てるような声だった。
若い男が、警備員のおじさんに向かって言ったらしい。
何があったのかは分からない。
けれど、その言葉だけが妙に鮮明に残った。
私は足を止めた。
怒り、というほど激しいものではなかった。
胸の奥が、ざらりとした。
人は誰でも年をとる。
今は足早に歩いているあの若者も、いつかは階段の途中で息を整える日が来る。
暗い場所で、目が慣れるまで少し時間がかかる日も来る。
新しい機械の前で、若い人が迷いなく操作するのを横目で見ながら、
自分だけが取り残されたように感じることもあるだろう。
警備員のおじさんは、何も言い返さなかった。
少し眉を寄せただけだった。
それから、何事もなかったように通路の端へ歩いていった。
その背中を見ていると、父のことを思い出した。
父は、昔は怖い人だった。
私が子どもの頃、何か悪さをすると、低い声で叱られた。
言い訳など聞いてくれなかった。
けれど、年をとってからの父は、ずいぶん静かになった。
ある日、私が仕事のことで苛立って帰ってきた。
玄関で靴を脱ぎながら、私は誰に向けるでもなく文句を言った。
父は新聞から顔を上げた。
しばらく私を見て、それから、
「まあ、そんな日もある」
と言った。
それだけだった。
昔の父なら、もっと何か言ったかもしれない。
「そんなことで腹を立てるな」と叱ったかもしれない。
けれど、その日は何も言わなかった。
新聞を畳み、湯飲みを手に取った。
そのとき、湯飲みの縁に口をつける父の横顔が、妙に静かに見えた。
私は何も言えず、自分の部屋へ入った。
その横顔を、今でも覚えている。
年をとるということは、何かを失っていくことだけではないのかもしれない。
言わなくていいことが分かるようになる。
怒っても仕方のないことを、少しだけ受け流せるようになる。
私は再び歩き始めた。
さっきの若者は、もう見えなかった。
モールの通路は、何事もなかったように人が行き交っている。
少し先のベンチでは、おじいさんが一人、紙コップのコーヒーを飲んでいた。
そのとき、近くで小さな子どもが転んだ。
母親が慌てて駆け寄る。
子どもは泣きながら、母親の胸に顔を押しつけた。
おじいさんはベンチから立ち上がり、足元に転がってきた子どもの靴を拾った。
「これ、落ちましたよ」
母親が受け取る。
「ありがとうございます」
おじいさんは軽くうなずき、またベンチに戻った。
私は、その背中を見送った。
さっき聞いた言葉とは、ずいぶん違う場面だった。
誰かを傷つける言葉もある。
誰かのために拾われる、小さな靴もある。
どちらも、ほんの一瞬のことだ。
けれど、そういう一瞬は、案外長く人の中に残る。
自動ドアの前まで来た。
扉が開く。
外の光が、少しまぶしかった。
私はそのまま外へ出た。
背中から、モールの冷たい空気が追いかけてくる。
ふと、さっきの言葉を思い出した。
「つかえないジジイだな」
もう、あの若者に何か言ってやりたいとは思わなかった。
ただ、いつかあの人にも、自分の歩く速度が少しずつ遅くなる日が来るのだろうと思った。
そのとき、誰かが笑わずに待っていてくれたらいい。
困っているとき、誰かが手を差し出してくれたらいい。
私は空を見上げた。
少しまぶしい空だった。
誰かに向けた言葉は、その場では消えてしまうことがあります。
でも、言われた人の中には、長く残ることもある。
できることなら、残る言葉は優しいものであってほしい。
そんな思いを込めて、書きました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。




