表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/18

9話 祭り④

 石畳を踏む足音が、夜の帝都に静かに溶けていく。

 あたりには誰もいない。

 丘の上で見た花火の余韻はまだ胸の奥に残っているのに、周囲はすっかり祭りの熱を失い、どこか現実へ引き戻されたような静けさだった。

 私たちは並んで歩いていた。


 ――いや。


 正確には、並んで歩いているだけではない。

 陛下の手が、私の手を握っている。

 丘を降りる時から、ずっと。

 夜風は冷たいはずなのに、指先だけが妙に熱い。

 互いに何も言わないまま、しばらく歩いた。

 言葉を探しているわけではない。

 ただ、どちらも同じことを思い出しているのが分かるからだ。


 あの、花火の下での――


 不意に、指がわずかに動いた。

 陛下の指先が、私の指の隙間に触れる。

 そして、ほんの少しだけ、絡め直された。


 ――心拍数が上がっていくのを感じる。


 気づかないふりをしようとしたが、どうしても意識してしまう。

 歩幅まで乱れそうになり、私は慌てて息を整えた。


「……アル」


 呼びかける声が、思ったよりも小さくなる。


「何だ」


 陛下は前を向いたまま答えた。

 その横顔は、月明かりに淡く照らされている。

 いつもと変わらぬ、凛とした表情。


「……手」


 そこまで言って、言葉が詰まる。

 どう言えばいいのか分からない。

 だが陛下は、私の言葉の続きを待つように、わずかに首を傾けた。

 仕方なく、私は続ける。


「もう、あたりに人はいませんが……離さないのですね」


 一瞬の沈黙。

 それから、陛下は小さく息を吐いた。


「離してほしいのか?」


 淡々とした声。

 だが、その言葉の奥に、わずかな緊張が混じっている気がした。

 私は思わず首を振る。


「……いえ」


 否定した瞬間、胸の奥が妙に落ち着いた。

 陛下は私を見ないまま、ふ、と鼻を鳴らす。


「なら、このままだ」


 簡潔な答え。

 だがその直後。

 陛下の指が、もう一度、私の手を握り直した。

 今度は先ほどよりも、少し強く。

 絡められた指が、逃げ場を失う。

 鼓動が、さらに早くなった。


 このままでいいのか。

 分からない。

 ただ、嫌ではないということだけは確かだった。


 むしろ――


 離されたくない、とすら思っている自分に気づき、私は視線を逸らした。

 しばらくして、陛下がぽつりと呟く。


「……静かだな」


「祭りの人々は、もう広場に戻ったのでしょう」


「そうか」


 それきり会話は続かない。

 だが沈黙は、決して気まずいものではなかった。

 むしろ、同じものを思い出している静けさ。

 遠くで、祭りの音がかすかに聞こえる。

 太鼓の響き。

 笑い声。

 だがそれらは、今いる場所とは別の世界の出来事のようだった。

 ここにあるのは、夜風と、石畳の足音と繋がれた手の温もりだけ。


 私はふと、陛下の横顔を見た。

 金の瞳は前を向いている。

 だがその表情は、どこか柔らかい。

 花火の光を見上げていた時の、あの顔に少し似ていた。


「……アル」


 また呼ぶ。


「何だ」


 今度は、ほんの少しだけ声が近い。

 私は迷った。

 何を言うべきなのか分からない。

 だが、口から出た言葉は、思っていたものとは違っていた。


「……今夜は、よく歩きますね」


 我ながら、ひどく遠回しな言い方だった。

 陛下は一瞬だけ黙り、やがて小さく笑ったような気配を見せる。


「……お前が付き合っているからな」


 その言葉に、胸がわずかに熱を帯びる。

 歩みは止まらない。

 だが、指先の距離だけは、確かに近づいていた。

 その時だった。

 夜の静寂の奥から、かすかな音が聞こえた。


「……っ、ひっ……」


 小さな、泣き声。

 私と陛下は同時に足を止めた。


 視線を向けた先――


 街灯の届かない路地の影に、小さな人影がうずくまっていた。

 肩を震わせながら、細い腕で顔を覆っている。


「……子供、ですね」


 私がそう言うより早く、陛下は足を向けていた。

 迷いのない歩み。

 つい先ほどまで、花火の下で私の肩に額を預けていた人物とは思えないほど、静かで確かな足取りだった。

 その背を追いながら、私はほんのわずかに息を吐く。


 ――この人は、やはりそういう人だ。


 困っている者を見れば、放ってはおけない。

 それが誰であろうと。

 陛下は子供の前で膝を折った。

 石畳に衣の裾が触れる。


「どうした」


 低く、落ち着いた声。

 威圧するような響きはない。むしろ、柔らかい。

 子供はびくりと肩を震わせ、恐る恐る顔を上げた。

 月明かりに照らされて現れたのは、まだ幼い顔だった。

 五つか、六つほどの女の子だろうか。

 涙でぐしゃぐしゃになった頬をこすりながら、かすれた声で言う。


「……みんなが……いないの……」

「はぐれたのか」


 こくこくと小さく頷く。

 陛下はしばらくその様子を見つめていた。

 そして、そっと息を吐く。


「泣くな」


 短い言葉。

 だが、その声は不思議なほど静かだった。


「迷子になっただけだろう」


 子供の目の高さに視線を合わせたまま、続ける。


「祭りの夜だ。人も多い」


 そして、わずかに首を傾ける。


「……名前は?」

「リオン……」

「そうか、リオン」


 陛下はゆっくり頷いた。


「私はアルだ」


 さらりと、偽名を名乗る。

 そして、私を振り返る。


「こいつはリア」

「よろしくね」


 私が微笑むと、子供――リオンは少しだけ目を丸くした。

 泣き顔のまま、じっと私と陛下を見比べる。

 その視線に、どこか探るような色が混じっている気がして、私はほんのわずかに首を傾げた。

 だが、次の瞬間。

 リオンは小さな手で陛下の袖をぎゅっと掴んだ。


「……いっしょに、さがしてくれる?」


 その声は、不安に満ちている。

 陛下は一瞬だけ目を伏せた。

 だがすぐに、ゆっくり頷く。


「ああ」


 迷いのない声。


「必ず見つける」


 その言葉には、妙な説得力があった。

 リオンの震えていた肩が、ほんの少しだけ落ち着く。

 私はその様子を見ながら、ふと胸の奥に小さな違和感を覚えた。

 理由は分からない。


 ただ――


 泣いている子供の手が、当然のように陛下の袖を握っているその光景を見て、

 ほんの一瞬だけ。

 胸の奥が、ちくりとした。

 けれど、その感情の正体を考えるより先に、陛下が立ち上がる。


「リア」

「はい」

「祭りの広場へ戻る」

「承知しました」


 私が頷くと、リオンが不安そうに陛下を見上げた。


「……ほんとにいっしょにきてくれる?」


 その問いに、陛下はわずかに眉を上げる。

 そして、当然のように答えた。


「当たり前だ」


 そう言って、リオンの小さな手を取る。

 その瞬間。

 リオンの顔に、ようやく少しだけ安心した笑みが浮かんだ。


 私たちは三人で歩き出す。

 リオンは私の右手を、陛下は私の左手を取った。

 気づけば、私が真ん中に立つ形になっていた。

 小さな手と、大きな手。

 その両方に引かれるようにして、私は歩く。


 そして――


 ほんの少し進んだところで、リオンがふと足を止めた。


「……あれ?」


 不思議そうな声。

 その視線は、私たちの手元へ向けられている。

 私はつられるように、自分の手を見下ろした。

 右手には、リオンの小さな指。

 そして左手には――

 陛下の指が、しっかりと絡められている。

 先ほど丘を降りる時に繋いだままの手。

 子供を見つけてからも、いつの間にかそのままになっていたらしい。

 リオンはじっとその様子を見つめ、首を傾げる。


「……なんで?」


 無邪気な問い。

 私は思わず言葉に詰まった。

 だがその隣で、陛下はまるで気にした様子もなく歩き続けている。

 むしろ――

 絡めた指を、ほんの少しだけ握り直した。

 逃げ場を失った心臓が、大きく跳ねる。


「……はぐれないように、だ」


 陛下は前を向いたまま、淡々と言った。

 その言葉に、リオンは「ふーん」と納得したように頷く。

 だが私は、その横顔を見てしまった。

 月明かりの下で、ほんのわずかに楽しそうに見えるその表情を。

 胸の奥が、また静かに騒ぎ始める。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ