8話 祭り③
石畳を叩く足音が、夜の静寂に規則正しく響く。
祭りの喧騒を背に、私たちは帝都の北端に位置する星見の丘へと駆け上がっていた。
かつては天文台があったというその場所は、今は立ち入る者も少なく、帝都を一望できる最高の特等席だ。
丘の頂に辿り着いた瞬間、肺に溜まっていた熱い空気を一気に吐き出す。
隣に立つ陛下もまた、肩を微かに上下させ、荒い息を整えていた。
狐のお面はいつの間にか外され、陛下の指先にぶら下がっている。
「……間に合ったか」
陛下の声が、夜風に溶ける。
シュルシュルと尾を引く音が夜空を駆け上がり、一瞬の静寂の後、世界が鮮やかな光に塗りつぶされた。
――ドンッ。
身体の底に響く重低音とともに、大輪の火の花が夜空に咲き誇る。
黄金色の火の粉が、まるで星の涙のように降り注ぎ、暗闇を昼間のように照らし出した。
「綺麗ですね」
私が思わず呟くと、陛下は空を見上げたまま、動かなかった。
光の残滓が、金の瞳の中に宝石のように映り込み、絶え間なく色を変えていく。
「……ああ。……だが、すぐに消える」
その声音には、予感していた通りの寂寥が混じっていた。
次々に打ち上がる花火。
赤、青、紫、緑。
一瞬だけ世界を支配し、次の瞬間には煤煙だけを残して消えていく。
「……私の、統治と同じだ」
ぽつりと、陛下が零した。
祭の喧騒も、この美しい火の花も、すべては偽りの静寂の上に成り立つ幻。
「……この光が消えれば、私は再び、あの玉座に戻らねばならない。……お前も、リアではなくなる」
陛下は空から視線を外し、私を見た。
打ち上がる花火の逆光で、表情は定かではない。
けれど、その瞳に宿る孤独が、夜の冷気よりも鋭く私の胸を刺した。
私は、繋いでいた手にぐっと力を込める。
「……アル。また、来年も来ましょう」
「……何?」
「来年も、その次も。祭りの夜にはこうして街へ降りて、一緒に花火を見るのです。……約束ですよ」
陛下の瞳が今まで見たこともないほどに揺れた。
「……来年も。……私と、お前でか?」
「はい。ですから、そんなに寂しそうな顔をしないでください」
夜空に次々と大輪の華が咲き乱れる。
その眩い閃光が、私たちの指に嵌められた安物の指輪を不意に照らし出した。
城の宝物庫にある、どの秘宝よりも不純で、どの宝石よりも鮮やかな赤。
「……見ろ、リア」
陛下が、赤い硝子の指輪を嵌めた自らの手を、私の手のひらの上に重ねた。
硝子越しに透ける火花の光が、まるで指輪そのものが熱を持って燃えているかのように錯覚させる。
「……城にある真実の宝石よりも……今の私には、このまがい物の赤が、何よりも尊く視える。この安っぽい光が、お前と過ごした時間を証明している気がしてならない」
陛下は私の指にある指輪を、愛おしげに自らの指先でなぞった。
「……来年も、この赤を持ってここへ来よう。これは……私と、お前だけの秘密だ」
陛下は何かを言いかけ、唇を震わせた。
ゆっくりと、陛下が私との距離を詰める。
一歩、また一歩。
陛下が自由な方の手を伸ばし、私の胸元――側近としての正装ではない、粗末なシャツの衣をギュッと掴んだ。
震えていないはずの彼女の指先が、布地を白くなるほど強く握りしめている。
そのまま、陛下は私を引き寄せるようにして、見上げた。
極限の沈黙。
耳元で爆ぜる花火の轟音さえも、この瞬間だけは遠い異世界の出来事のように聞こえた。
私を見つめる金の瞳が、期待と、恐怖と、そして抗えない渇望に潤んでいる。
掴まれた胸元の鼓動が、自分のものか、陛下のものか判別がつかないほどに速まり、重なり合う。
「……セシリア。……私は、お前を……」
言葉が途切れる。
次の瞬間、視界が夜空の極彩色の光に染まると同時に、柔らかな感触が私の唇を塞いだ。
――呼吸が止まる。
それは、羽が触れるような、淡く、けれど絶望的なほどに切実な口づけだった。
陛下の髪から香るわずかな香油の匂いと、冷たい夜風。
そして、触れ合った場所から流れ込んでくる、剥き出しの心臓の鼓動。
主従の境界線が、音を立てて崩れ去った瞬間だった。
唇が離れると、陛下は顔を真っ赤に染め、けれど掴んだ服の裾だけは決して放さずに私を見据えていた。
「……今のことは、忘れろとは言わない。……刻み込め。これが、私の印だ。……セシリア。……お前は、一生かけて私に尽くせ」
陛下の声は、どこまでも澄んでいて、今にも泣き出しそうに震えていた。
「……陛下。仰せのままに」
耳元で囁いたその名は、火の花の輝きよりも鮮烈に、私の胸を焦がした。
陛下は満足げに小さく喉を鳴らすと、私の肩に頭を預け、さらに深く、深く息を吸い込んだ。
「……これで、明日からも……耐えられる」
夜空には、今宵一番の大きな銀色の花火が打ち上がった。
一瞬の輝きが二人を白く染め上げ、そして、深い闇が戻ってくる。
私たちは、どちらからともなく手を繋ぎ直した。
指先の赤い硝子が、暗闇の中で静かに、けれど消えることのない誓いのように光っていた。




