17話 祝宴会④
褒賞授与が滞りなく終わると、大広間の空気は一気に華やぎを増した。
楽団が軽やかな旋律を奏で始め、先ほどまで厳かな空気に包まれていた貴族たちも、ようやく肩の力を抜いて談笑を始める。
杯が掲げられ、葡萄酒の香りと料理の湯気が広間を優しく満たしていった。
私は高座のすぐ傍から一礼し、席順や給仕の流れに乱れがないか確認するため、静かに広間の中央へ降りる。
こうして宴が和やかな時間へ移った後こそ、側近としての仕事は多い。
外交使節の席に不足はないか。
北方から帰還した将軍たちへ失礼がないか。
各貴族の席に、功績に応じた料理や酒が正しく届けられているか。
一つ一つ目を配りながら歩いていると、不意に耳へ届く声があった。
「……お姉さま?」
私は思わず足を止め、振り返った。
そこに立っていたのは、淡い桃色のドレスを纏った少女――妹のリリアだった。
柔らかな青色の髪を上品に結い上げ、胸元には小さな真珠の飾り。
まだ少し幼さの残る顔立ちだが、今夜の装いのせいか、いつもよりずっと大人びて見える。
「……リリア」
思わず頬が緩む。
「来ていたのね」
「ええ。父に付き添って初めて祝宴へ参りましたの」
「とても似合っているわ。そのドレス」
「本当? お姉さまにそう言っていただけるなんて嬉しい」
リリアはそう言って一歩近づくと、私の姿を上から下までじっと見つめた。
「……でも、今夜はお姉さまの方がずっと素敵」
「そんなこと」
「本当よ。いつもの軍装も格好いいけれど、今夜のドレス姿は見違えるくらい綺麗だもの」
真っ直ぐな賛辞に、少しだけ照れくさくなる。
「ありがとう」
短く礼を返したその時、リリアの視線がふと私の肩越しへ向いた。
高座だ。
皇帝陛下が、黄金の灯りの中で静かに広間を見下ろしている。
リリアはその姿を見つめたまま、小さく首を傾げた。
「……ねえ、お姉さま」
「なに?」
「陛下、さっきからずっとお姉さまを目で追っていらっしゃるわ」
「……え」
「今だってそう。お姉さまが歩くたび、必ず視線が動くもの」
思わず高座へ目を向ける。
確かに、金の瞳がこちらを静かに捉えていた。
けれど私と視線が合った瞬間、陛下は何事もなかったかのように杯へ手を伸ばす。
「……気のせいよ」
「ううん、気のせいじゃないわ」
リリアはいたずらっぽく笑った。
「だって陛下、お姉さまが他の方と話している時だけ少し怖いもの」
「リリア」
「ふふ、ごめんなさい。でも本当にそう見えるの」
私は小さく息を吐きながらも、どこか否定しきれない自分に気づく。
リリアはさらに声を潜めた。
「……もしかして」
「何を言うつもり?」
「陛下と、お姉さまって――」
その言葉の続きを遮るように、ふいに高座の方で侍従が一歩進み出た。
「セシリア様。陛下がお呼びでございます」
あまりに絶妙なタイミングに、私は思わず目を瞬く。
リリアはすぐに高座へ視線を向け、それから私へ顔を寄せて囁いた。
「……やっぱり、呼び戻されたわね」
「もう」
思わず苦笑が漏れる。
「ごめんなさい、リリア。少し行ってくるわ」
「ええ。お姉さま、また後で」
私は頷き、高座へ向かって歩き出した。
背中に妹の視線を感じる。
そして高座へ近づくにつれ、陛下の金の瞳がますますはっきりと私を捉えていくのが分かった。
高座のすぐ傍へ戻ると、陛下は何気ない仕草で空になりかけた杯を示した。
私はすぐに意図を察し、新しい葡萄酒を注ぐ。
ふと視線を感じて振り向けば、少し離れた席でリリアがこちらを見て、意味ありげに微笑んでいた。
……もしかして、全部見抜かれているかもしれない。
しばらくした後、私は再び高座を降りる。
少し離れた貴族席で、リリアがこちらを見つめている。
ドレスの裾を揺らしながら、リリアはくすりと小さく笑った。
その笑みがあまりにも意味ありげで、私は思わず肩の力を抜く。
「……もう、そんな顔をしないで」
「だって」
リリアは楽しそうに一歩近づき、誰にも聞こえないよう声を潜めた。
「お姉さま、分かりやすすぎるんだもの」
「何が?」
「陛下に呼ばれた瞬間、とても嬉しそうなお顔をされたわ」
「……そんなこと」
「あるわ。私、ずっとお姉さまを見てきたもの」
幼い頃からずっと一緒だった妹だ。
だからこそ、私の小さな変化にもすぐ気づいてしまう。
けれど、祭りでの出来事やその後のことまでは気づいていないだろう。
それは、私と陛下だけの秘密だ。
リリアはそこまで深くは知らないまま、ただ純粋な興味で首を傾げている。
「ねえ、お姉さま。陛下とは普段、どんなお話をしていらっしゃるの?」
「仕事の話がほとんどよ」
「本当に? でもさっきの視線、ただの側近に向けるものには見えなかったわ」
「今は仕事中よ、リリア」
「ふふ、そうやってすぐ誤魔化すところも昔から変わらない」
からかうように笑ったあと、リリアの表情が少しだけ柔らかくなる。
「でも……よかった」
「何が?」
「最近のお姉さま、とても優しい顔をするの。昔より、ずっと幸せそう」
昔の私は、そんなふうに見えていたのだろうか。
職務ばかりを見つめ、陛下のお傍にいることだけを生きる理由にして。
それで十分だと思っていた。
けれど今は違う。
「……そう見える?」
「ええ。すごく」
リリアはにっこりと微笑むと、さらに顔を寄せて囁いた。
「だから、今度ゆっくり話しましょう」
「な、何を」
「もちろん、陛下のこと」
あまりに真っ直ぐで、あまりに楽しそうな言い方に、頬が一気に熱くなる。
「リリア」
「だって気になるもの。お姉さまが誰かにそんな顔を見せるなんて、初めてだもの」
無邪気な好奇心と、家族としての優しさが混ざった声音。
私は困ったように笑いながら、小さく息を吐いた。
「……話せることだけ、ね」
「本当? 約束よ」
ぱっと花が咲くように、リリアの顔が明るくなる。
その無邪気さに、自然とこちらまで笑みが零れた。
「ええ。祝宴が終わったら」
「楽しみにしているわ」
その時、再び高座の方から静かな気配が届く。
視線を向ければ、陛下の金の瞳がこちらをまっすぐ見つめていた。
離れていた時間はほんの僅かなはずなのに、その視線にはどこか待ちかねたような熱が宿っている気がした。
リリアもそれに気づいたのか、くすりと笑う。
「……ほら、また見ていらっしゃる」
「もう、本当にからかわないで」
「だって本当だもの」
妹はそう言って、そっと私の背を押した。
「行ってあげて、お姉さま」
「……ええ。また後で」
私は頷き、高座へ向かって歩き出す。
背中越しに、リリアの明るい声が小さく追いかけてきた。
「絶対、詳しく聞かせてね!」
その声に思わず苦笑する。
高座へ戻ると、陛下は何も仰らず、ただ静かに杯を指先で示された。
私はその意図を読み取り、再び新しい葡萄酒を注ぐ。
注ぎ終えた瞬間、指先がそっと触れた。
……本当に、何から話せばいいのだろう。
そんな戸惑いを抱えながら、私は再び陛下のすぐ傍へ控えた。
黄金の灯りの中、祝宴はさらに華やぎを増していく。
けれど私にとって今夜最も心に残るのは、妹に向けられた優しい笑みでも、貴族たちの賛辞でもない。
何も語らず、それでも確かに私を呼び戻した陛下の視線だった。




