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13話 次の日の朝

 柔らかな朝の光が、厚い帳の隙間から細く差し込んでいた。

 まだ完全には目を開けきれないまま、私はゆっくりと意識を浮上させる。

 最初に感じたのは、温もりだった。

 近い。

 胸元に、ふわりと触れる柔らかな感触。

 規則正しく繰り返される、穏やかな吐息。

 何が起きているのか理解するより先に、昨夜の記憶が一気に蘇る。

 祭り。花火。口づけ。

 そして、この寝所で、抱き合ったまま眠りについたこと。

 

 ……ああ。

 

 そっと視線を落とす。

 陛下が、私の胸元へ顔を埋めるようにして眠っていた。

 髪が寝具の上にさらさらと広がり、頬が私の夜着へ押し当てられている。

 腰に回された腕はしっかりと私を抱え込み、逃がすつもりなど一切ないと言わんばかりに密着していた。


 その無防備さに、思わず息を呑む。

 いつもの皇帝の姿からは想像もできない。

 まるで安心しきった子供のように、私の体温を求めて眠っている。

 

 起こさないよう慎重に身じろぎすると、陛下の眉がぴくりと寄った。


「……ん」


 小さな声。

 そして次の瞬間、腕の力がさらに強まる。

 夢の中でも離れる気配を察したかのように、陛下は無意識に私へ擦り寄ってきた。

 頬が胸元をくすぐる。


 ……これは、動けませんね。


 少し困ったように思いながらも、嫌ではない。

 むしろ、この甘い拘束が心地よかった。


 私はそっと陛下の髪へ指を差し入れる。

 さらり、と指先を流れる糸のような感触。

 撫でるたびに、陛下の呼吸がさらに深く穏やかになっていく。


 その時。

 閉じられていた瞼が、わずかに震えた。

 ゆっくりと、金の瞳が開く。

 寝起きのぼんやりとした光を宿したまま、陛下は私を見上げた。


「……セシリア」


 まだ夢と現の境目にいるような、小さな声。


「おはようございます、陛下」


 微笑みかけると、陛下はしばらく瞬きを繰り返した。

 それから、自分の腕の位置と、顔を埋めている場所を理解したらしい。

 ぴたり、と動きが止まる。

 そして、ほんの少しだけ頬が赤くなった。


「……私は」


 言葉が途切れる。


「……随分と、無様な格好をしているな」


 珍しく、自分でそう評した。

 けれど腕は、まだ離れない。


「そんなことはありません」


 私は優しく答える。


「とても、可愛らしいですよ」

「……かわ……」


 陛下は戸惑っているようだ。

 その反応があまりにも珍しくて、思わず笑みが深くなる。

 すると陛下は顔を背けるように、さらに胸元へ額を押しつけた。


「……言うな。朝から、私を弱らせる気か」


 昨夜の強気な命令口調とは違う、素直な拗ね方。

 

「そういうつもりではないのですが……昨夜、朝まで離れるなと命じられたのは陛下の方でしょう?」

「……それは」


 言い返そうとして、言葉に詰まる。

 しばし沈黙したあと、陛下は観念したように小さく息を吐いた。


「……なら、もう少しだけこのままでいろ」


 結局そこに落ち着くらしい。

 私はくすりと笑い、陛下の髪をもう一度撫でる。


「はい。今日はもう少しだけ寝ていましょう。昨夜は祭りで遅くなりましたから。たまには、皇帝にもこういう朝があってもいいでしょう」



 陛下はしばらく黙っていたが、やがて安心したように目を細めた。


「……では、命じる」


 再び私の腰へ腕を回し直し、さらに引き寄せる。


「……もう少し、抱いていろ」

「……仰せのままに」


 私は陛下をそっと抱き返した。

 朝の光は少しずつ強くなるのに、寝所の中だけはまだ夜の続きを閉じ込めているようだった。

 重なる体温。

 胸元に寄せられた頬。

 触れ合う赤い硝子の指輪。

 誰にも邪魔されない、穏やかで甘い朝。

 陛下は安心しきったように再び目を閉じる。

 穏やかな沈黙の中、どれほどそうしていただろう。

 朝の光は少しずつ濃くなり、隙間から差し込む金色が寝台の端を淡く照らしていた。

 陛下の頬はまだ私の胸元に寄せられたまま。

 規則正しい呼吸が夜着越しに伝わり、そのたびに胸の奥まで温かく満たされていく。

 このまま時間が止まってしまえばいいのに。

 そんな、側近としては許されない願いが胸をよぎった、その時だった。


 ――コン、コン。


 寝所の扉を叩く、控えめな音。

 私はぴくりと身体を強張らせた。


「……陛下。お目覚めのお時間でございます」


 扉の向こうから聞こえてきたのは、侍女の落ち着いた声。

 朝の支度のために訪れたのだろう。

 いつもの時間なら、何の不思議もない。

 

 私は反射的に身体を起こそうとした。

 だが、腰に回された腕が、即座に私を引き留めた。


「……セシリア」


 見下ろすと、陛下は目を閉じたまま眉をわずかに寄せている。

 起きている。

 それどころか、離れようとした瞬間を完全に察知していた。

 扉の向こうから、再び声。


 「陛下? 失礼いたします――」


 その途端、陛下の腕にさらに力がこもった。

 私の腰を抱く手が、逃がすまいとするようにきゅっと引き寄せる。

 思わず陛下を見下ろせば、金の瞳がじっとこちらを見つめていた。

 何も言葉はない。

 けれど、その静かな眼差しだけで十分だった。


「少しお待ちください。陛下はまだお休みです」


 侍女はすぐに察したようだった。


「……かしこまりました。お呼びになるまで、誰も近づけぬようにいたします」


 さすが長年仕える侍女だ。

 余計な詮索は一切せず、静かに足音が遠ざかっていく。

 完全に気配が消えたのを感じてから、私はようやく陛下へ視線を戻した。


「……これで満足ですか?」


 問いかけると、陛下は何も答えない。

 代わりに、私の腰へ回した腕をさらに深く引き寄せ、胸元へ額を押しつけてくる。

 私は思わず笑みを零す。


「本当に、言葉より行動の方が雄弁ですね」


 そう囁きながら銀の髪を撫でると、陛下は気持ちよさそうに目を細めた。

 普段からこうだ。

 必要以上の言葉は持たず、ただ視線と所作だけで全てを伝える。



「……セシリア」

「はい」

「……もう少し眠る」


 半分命令、半分甘え。


「はい。おやすみなさいませ、もう一度」


 そう囁くと、陛下はくすぐったそうに目を細めた。

 そして、寝ぼけた子供のように私の指先を探り、そっと絡める。

 赤い硝子の指輪同士が、かすかな音を立てた。

 その小さな音に満足したのか、陛下は静かに瞼を閉じる。

 扉の外では城が動き始めているはずなのに、この寝所の中だけはまだ二人だけの時間が流れていた。

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