10話 祭り⑤
三人で並んで歩き始めると、祭りの喧騒が再び少しずつ近づいてきた。
その様子を見回したあと、陛下は懐へ手を入れる。
取り出したのは――狐の面だった。
花火を見るため丘へ登った時、いつの間にか外していたものだ。
陛下はそれを一度軽く見つめてから、顔へ当てる。
ぱちり、と紐が結ばれる小さな音。
金の瞳も、端整な顔立ちも、たちまち仮面の下へ隠れた。
私はその様子を見て、はっとする。
そうだ。
ここから先は、人目が多い。
私は急いで自分の面を取り出し、同じように顔へ当てた。
視界が少しだけ狭くなる。
その時だった。
「……なんで?」
リオンの不思議そうな声。
見上げてきた瞳が、私と陛下の顔を行き来している。
「どうして、おめんつけるの?」
無邪気な問い。
私は一瞬言葉に詰まる。
どう答えるべきか迷ったその時、陛下が肩をすくめるように言った。
「……祭りだからだ」
「さっきはつけてなかったよ?」
「……丘の上には人がいなかった」
陛下は淡々と続ける。
「だが、ここから先は違う」
仮面の奥から、ちらりと周囲を示す。
灯りの下には、人、人、人。
「顔を隠した方が都合がいい時もある」
その言葉に、リオンは「ふーん」と小さく頷いた。
完全に理解したわけではなさそうだが、納得はしたらしい。
私たちはさらに歩みを進める。
完全に店を畳んだ屋台も多いが、まだ灯りを残している店もちらほらと見える。
リオンの足が、ぴたりと止まる。
小さな手が、私の右手を引いた。
「……おなかすいた」
遠慮がちな声。
その視線は、屋台の上に並べられた焼き菓子に釘付けになっている。
蜂蜜を塗った丸い菓子から、甘い香りが漂っていた。
私は思わず陛下を見る。
どうするべきか判断を仰ごうとしただけだったが――
陛下はすでに店主に銀貨を差し出していた。
「……一つ」
短い言葉。
店主はぱっと顔を明るくし、紙に包んだ菓子を手渡してくる。
陛下はその一つをリオンへ差し出した。
「……食え」
リオンは目を輝かせた。
「いいの!?」
「泣き続けられるよりはいい」
ぶっきらぼうな答え。
だがリオンは嬉しそうに受け取り、さっそく一口かじる。
次の瞬間。
「あつ!」
どうやら焼きたてだったらしい。
慌てて息を吹きかけるその様子に、私は思わず口元を緩める。
すると陛下が、リオンの顔をじっと見て
「……動くな」
そう言って、指先でその頬を軽く拭った。
いつの間にか蜂蜜が口元に垂れていたらしい。
リオンはくすぐったそうに笑う。
「くすぐったい!」
「……暴れるな」
そう言いながらも、陛下の指先は妙に優しい。
そして、その瞬間だった。
陛下の口元が、ほんのわずかに緩んだ。
――笑った。
私は思わず足を止めかけた。
……今
城では決して見せない表情。
ほんの一瞬のことだったが、確かにそれは笑顔だった。
リオンはそんなことには気づかず、菓子を掲げる。
「おねえちゃんもたべる?」
私へ差し出してくる。
「ありがとう」
小さく一口だけ齧る。
蜂蜜の甘さが、舌に広がった。
すると今度はリオンが陛下の方へ菓子を差し出す。
「アルも!」
陛下は一瞬眉をひそめた。
「……子供の食いかけだぞ」
「おいしいよ!」
しばし沈黙。
だが、やがて陛下は小さく息を吐き、ほんの少しだけ齧った。
「……甘いな」
その様子を見て、リオンが満足そうに笑う。
そのまま三人でまた歩き出した時だった。
「みえない!」
リオンが急に声を上げた。
「ひとがいっぱい!」
確かに、広場へ近づくほど人通りは多くなる。
小さな子供では視界も遮られるだろう。
陛下は周囲を見渡し、それから言った。
「貸せ」
「え?」
次の瞬間、陛下はリオンの身体を軽々と持ち上げていた。
そのまま、自分の肩の上へ乗せる。
「……アル!?」
思わず声が出る。
だがリオンは歓声を上げた。
「たかい!」
両手を広げてはしゃぐ。
陛下は片手でリオンの足を支えながら、周囲を見渡す。
「親の姿は見えるか」
「うーん……」
きょろきょろと見回すが、見つからないらしい。
それでもリオンは楽しそうだった。
私はその光景を、少し呆然と見てしまう。
皇帝が子供を肩車しているなど誰が想像するだろう。
花火の残り香がまだ夜気に溶けている中、その赤い硝子は屋台の灯りを受けて小さく揺れた。
リオンは肩の上から身を乗り出しそうな勢いで、じっと私の指先を見つめている。
「……あ」
小さな声。
赤い硝子の指輪を見つけたのだろう。
リオンは身を乗り出すようにして、それを覗き込む。
「それ、きれい!」
「ほんもののほうせきみたい」
「……ええ。私にとっては、どんな宝石よりも価値があります」
そう答えた瞬間、隣からふっと視線を感じた。
狐の面に隠されていても分かる。
陛下――アルが、こちらを見ていた。
仮面の奥の金の瞳が、わずかに細められる気配。
「……ふうん」
リオンは納得したように頷き、それから今度は陛下の手元を見た。
「あっ、アルもおんなじのつけてる!」
肩の上で弾んだ声に、私は思わず息を呑む。
陛下の指にも、同じ赤い硝子の指輪が嵌められている。
夜店で買った安物。
けれど、先ほど丘の上で交わした約束の証。
リオンはそれを見比べて、ぱっと顔を輝かせた。
「けっこんしてるの?」
「ち、違――」
慌てて言葉を挟もうとした、その時。
「……そう見えるか」
陛下が、妙に落ち着いた声で言った。
私は思わず振り返る。
「陛……アル」
「……子供の目は正直だな」
仮面越しの声音には、からかいとも本気ともつかない響きが混じっていた。
リオンはますます嬉しそうにはしゃぐ。
「わかった! おそろいだからだ!」
「……そうだな」
さらりと肯定され、今度こそ言葉を失う。
否定すべきなのに。
否定しなければならないはずなのに。
丘の上で交わした口づけと、指輪に込められた約束を思い出すと、喉が熱く塞がれてしまう。
その沈黙を、リオンは勝手に肯定と受け取ったらしい。
「いいなあ。わたしも、おおきくなったら、すきなひととおそろいにする!」
「……その時は、泣いて迷子になる前に手を離すな」
陛下の言葉に、リオンは「はーい」と元気よく返事をした。
そのやり取りに、私は思わず小さく笑ってしまう。
広場へ近づくにつれ、人混みはさらに濃くなっていった。




