第五話:『ブラックスワン』
◇◇◇
銀色の闇が弾けた。
ルナが再び目を開けた時、そこは放課後の教室だった。
だが、そこはもう「楽園」ではない。
中心には、銀の沼から伸びる無数の鎖に縛り付けられた「何か」がいた。
それは、巨大な黒い鳥――無数の黒いコンパスが重なり合い、鋭利な針の羽毛を形作った、醜悪で美しいブラックスワン。
「ガ、アアアアアアアアッ!!!」
咆哮と共に、ヒナコだった「それ」が大きく翼をはためかせた。
ガキンッ、と凄まじい音を立てて、沼から伸びた銀の鎖が粉々に砕け散る。
『ルナ様……!? どこへ……いえ、無事でよかった! 避難してください、原因不明のバグが……その、連れている不審なアバターは何ですか!?』
エマの混乱した警告を無視し、ルナは叫んだ。
「ヒナコちゃん! やめて、もうこれ以上は……!」
黒鳥が首を捻り、ルナを、そしていじめっ子たちを睨みつけた。
その翼が震える。
シュバッ!! と、翼を構成する無数のコンパスが、鋭い弾丸となって放たれた。
「……【伸縮式強襲用特殊警棒・展開】」
一歩前へ出たのは、ワクだった。
カチッ、という硬質な金属音。手元から伸びた銀色の警棒が、降り注ぐコンパスの弾幕を最小限の予備動作で叩き落としていく。
彼は攻めない。ただ、ルナを守る鉄壁の盾として、一歩も退かずにそこに立っていた。
「……あはは……あはははは!」
ヒナコの、歪んだ笑い声が教室に響く。
その声は、かつての優しさを微塵も残していない、凍てついた叫びだった。
「わかってたの……ずっと。私は、最初から『みにくいアヒル』だったんだって。外地から来た、汚い、不釣り合いな異物」
ヒナコは、コンパスの鉤爪で己の胸を掻きむしる。
「だから、目立たないように、礼儀を覚え、マナーを覚え、外地出身だからって嫌われないように、どんどん自分を消していった。透過されても、ミュートされても、ボールをぶつけられても……システムの一部になれれば、それでいいと思ってた。でも……無理だった!」
翼から再び、黒いコンパスが乱射される。
ワクは無言で、それをすべて警棒の面で弾き、火花を散らす。
「周りと違うものは、消えても目立つのよ! 完璧な世界だからこそ、私の『汚れ』はノイズとして浮き上がっちゃうの! ……でも、見てよ。我慢をやめたら、こんなに大きな翼が手に入った。今、私は自由なの。システムからも、あんたたちの視線からも……怖くない!私は、悪くない!!」
ヒナコが空を舞う。
無数のコンパスが、教室のテクスチャをズタズタに切り裂いていく。
「見て!私は、自由になったんだからぁぁぁぁッ!!」
ルナはその姿を、涙で見つめるしかなかった。
自由。その代償として、彼女は自分自身を、人間としての心を捨て去ろうとしている。
「……激情による自己崩壊を確認」
ワクが初めて、低く冷たい声で呟いた。
彼は警棒を握り直し、腰を落とす。
「……これより、制圧に移る」




