第三話 お洗濯
「昨日は散々でしたわ…。」
アンジェラが潜り込んだベッドに、アルが平然と入ってくるので、アンジェラはアルを思わず蹴飛ばしてしまい、そのまましばらく二人の間で格闘があった。
しかし初日だというのもあって、しばらくののち、アルのほうが引き下がり、アルが床に敷物を敷いて寝ることになった。
王城の自室のベッドに比べれば狭いし、質素だが、清潔で十分寝る広さのあるベッド。
そのベッドをアンジェラは一人で快適に使った。
それで、満足したはずなのに、何故かモヤモヤしているのだった。
「それじゃあ、僕は王城の下男の仕事があるから、王女様はここにいて下さい。お昼ご飯は用意してますので。」
「…………わかりましたわ。私は何をすれば良いのですの?」
「別に、特に何かをなさってほしいわけではないのですが…………あっ、隣の女将さんに朝、王女様用に服を数着もらってきました。なので、その服とベッドのシーツを洗濯しておいてほしいです。洗濯場は近くにきれいな泉があるので大丈夫かと。」
「せ、洗濯?????私、洗濯なんて、したことがないわ………………ってアル!?」
気がつくと、アルはもう出かけていた。
「洗濯ーーーどうしましょう……。」
(けど、生きるために、立派な平民にならなくては!)
ここ以外に行くあてなどないアンジェラは、腹をくくった。
純粋な元王女である。
洗濯物を入れた桶を手にして、あたりを彷徨い歩きはじめて、もう1時間。扇や本よりも重いものを長時間持ったことのないアンジェラはつかれていた。
「…………平民って、毎日こんな重労働をしているんですのね……わたくしは平民にすらなれませんわ。」
「あら、嬢ちゃん。それはうちが朝、アルくんにあげた服じゃないか。」
道ばたで途方に暮れていたアンジェラに話しかけてくれたのは、小太りの愛想の良いおばさんだった。
見ると、このおばさんも山盛りの服を入れた洗濯桶を持っている。
「あ、……あなたが、そのおかみさんとやらですの??
助かりましたわ!!洗濯をする泉がどこか教えていただきたいのですわ!!早く教えてくださいませ!」
初対面の女性に失礼なアンジェラであった。
いつものことである。
「ああ、《《あんた》》がアルくんの言ってた元貴族のお嬢様か……。アルくんの嫁になったんだってね。
………たしかに類を見ないくらいの美人さんだが、そんな性格なうえ、礼儀がなってないとくれば、ここで生きていくのは厳しいよ。」
「礼儀………ですの?マナーでしたら、わたくし、習いましたわ。講師の先生のお墨付きでしてよ?」
「そういうのじゃないんだよ。市井には市井のマナーっていうのがあるんだよ。こんくらいの小さな子供でも知ってるさ。平民には平民のルールがあるってことをね。」
女将さんが、膝あたりの高さで手をひらひらとさせた。
「わたくし、それは習ってませんわ……。どうすれば………。」
「まずは、その言葉遣いからだね。あと、年上の人へのマナー。
仕方ない……いつもアルくんには世話になってるんだ…………あたしがイチから教えてあげるよ……。」
「感謝いたしますわ!これから、頼みましてよ!」
「………………だから、言葉遣い!!」
女将さんは、すでに終えた子育てを、もう一度しなくてはならないような――そんな気分になった。
(やれやれ、これじゃ先が思いやられるね……。)
しかし、不思議と、貴族特有のあの嫌な感じがあまりしなかった。
(そういえば、この子は言葉遣いがアレだけど、平民の私にちゃんとお礼を言い、頭を軽く下げてた…………。)
女将さんの知る貴族という生き物はいつもふんぞり返り、平民をまるで汚いものを見るかのように見て、高みの見物しかしない奴らだ。
(…………この子は、ただ、平民の生き方を知らないだけなのかもしれない。ああいう貴族とは少し違うのかもしれない。)
「ほら、行くよ。こっちだから、ついてきな。桶、こういう持ち方にすると、腰が痛みにくくなるんだよ。」
「あら、ホントですわ!女将さんは博識なのですね!」
アンジェラは、その後、『市井最強の女』と言われる女将さんを味方にするとはまだ知るよしもなかった。
前途多難な修行はまだ始まったばかりである。