第二章第4部:「問い」の本質
セオルからの「問い」は、ザックの合理的な思考回路に直接的な衝撃を与えた。
その問いが、彼がこれまで集めてきた冷徹な数字の羅列から、司令官の「法」がもたらす一時的な秩序がいかに脆いこと、その先に破滅しか待っていないことを、まざまざと浮かび上がらせた。
ザックがこれまで追求してきた「秩序」は、砂上の楼閣に過ぎなかったのだ。
言葉を失ったザックを前に、セオルは再び静かに告げた。「答えを出すのはお前たちだ」
ザックは、まるで何かに突き動かされるように、セオルの元を後にした。
来た道を戻る彼の足取りは重く、脳裏にはセオルの無感情な声と、彼が突きつけた『問い』が、反響し続けていた。
この惑星の未来、人類の未来、そして自分たちが生きる「今」の真の姿――。
それまで彼が信じてきた、武装集団の強奪と支配による生存モデルが、根本から揺らいでいた。
アジトに戻ったザックは、普段と変わらぬ顔で日々の任務をこなした。
しかし、彼の内面では激しい葛藤が渦巻いていた。
司令官の「法」を強化し、秩序を確立することで、確かに武装集団は一時的な安定を得ている。
だが、セオルとの対話で彼自身がたどり着いた未来予測は、その安定がいかに儚いものであるかを雄弁に物語っていた。
このままでは、遅かれ早かれ、すべてが悲惨な結末を迎えるだろう。
ザックの思考は、新たな段階へと進んでいた。
司令官の支配をどう覆すか、という単純な権力闘争の枠を超え、いかにしてこの惑星で「真の持続可能な社会」を築くか、というより壮大な課題へと向かっていた。
それは、セオルが示した「問い」そのものだった。
彼はまず、自身の周囲から固めることを考えた。
司令官の「法」を支持し、新たな秩序を求める「秩序派」の若い兵士たち。
彼らの中には、旧体制への不満や、より良い未来への漠然とした希望を抱く者も少なくない。
ザックは、彼らの心に、セオルが突きつけた「問い」の種を、いかに蒔くべきか、慎重に策を練り始めた。
それは、直接的な反乱ではなく、内側からの、静かで確実な変革の道だった。
◇◇◇
ザックは、自身の指揮下にある兵士たちに対し、資源の無駄遣いを徹底的に禁じた。
そして、上納品の管理をさらに厳格化させた。
それは表面上、司令官の「法」のさらなる徹底に見えたが、その真の意図は、彼自身が直視した「滅びゆく未来」を回避するための、最初の一歩だった。
ザックは兄カインとの接触を頻繁に行うようになった。
夜陰に紛れて村へと赴いたザックは、セオルが突きつけた「問い」について、言葉を選びながら語った。
この惑星の資源が有限であり、現在の略奪的な生活様式がいつか必ず破綻すること。
そして、暴力による秩序が永続的ではないことを、ザックは自らの考察としてカインに伝えた。
カインは弟の話に静かに耳を傾け、彼の言葉の奥に、かつてセオルが村に与えた「問い」と同じ響きを感じ取っていた。
「あの男は…セオルは、常に私たちに問うてきた。『この大地で、どうすれば生き続けられるか』と」
「だが、おれたちはその答えを十分に理解できていなかったのかもしれないな」
カインは、ザックの変わりつつある視点に、セオルの言葉を重ねた。
ザックはアジトに戻ると、「秩序派」の若手幹部たちを集めた。
彼らに直接「問い」を投げかけるのではなく、まず具体的な数字と、それに裏打ちされた現実を突きつけた。
「このままでは、あと何年と経たずに、おれたちは自分で自分の首を絞めることになる」
ザックは、手元の報告書を広げ、荒れた土地から得られる収穫量の漸減、水資源の枯渇、そして遠征で得られる略奪品の質の低下といったデータを淡々と示した。
「司令官の『法』は、この破滅的な状況を遅らせているに過ぎない。根本的な解決にはならない。新たな上納先を見つけるにも限界がある。我々は、この惑星で生き残るための、別の『道』を探さなければならない」
若手幹部たちは、ザックの冷徹な分析に息をのんだ。
彼らはこれまで、司令官とザックが示す「法」こそが絶対的な生存戦略だと信じていたからだ。
しかし、ザックが突きつける数字は、彼らの現実的な恐怖を刺激した。
「では、どうすれば…」一人の幹部が、震える声で尋ねた。
ザックの目に、微かな光が宿った。
これこそが、セオルが仕込んだ「問い」の種だったからである。
「その答えを、これからおれたち自身で導き出す」
彼は具体的な指示を与える代わりに、問題提起と、その解決策を共に探すという姿勢を示した。
資源のより効率的な利用、生態系への配慮、そして何よりも、短期的な利益ではなく、長期的な持続可能性を追求する思考への転換。
ザックは、武装集団の「秩序派」が持つ合理的思考力を、セオルの「問い」の答えを探す方向へと、静かに誘導し始めたのだった。
司令官は、ザックがさらに規律を厳しくし、資源管理を徹底していることを評価していた。
彼には、それが自らの「法」のさらなる浸透としか映っていなかった。
しかし、ザックの瞳の奥に宿る、かつてにはなかった種類の熱と、彼が兵士たちに投げかける、ただならぬ「問い」の気配には、微かな違和感を覚えていた。
それはまだ、表面化することのない、静かな予兆だった。
ザックがセオルとの対話によって得た『問い』は、彼の行動原理を根本から変えつつあった。
彼は、自身が持つ武装集団の管理データと、セオルの問いが導き出した洞察を重ね合わせ、より詳細な危機分析を進めた。
司令官の天幕で何気なく交わされる会話、そして定期的に届く各遠征部隊からの報告は、ザック自身が確信した破滅のシナリオを、裏付ける情報ばかりだった。
特に、作物の生産可能な土地の減少速度は目を覆うばかりだった。
ザックの計算では、このまま行けば、遅くとも五年後には、現在武装集団が支配する領域内の耕作可能な土地の半分が、完全に不毛な砂漠と化す。
そして、十年後には、食料生産能力はほぼゼロに達し、どんな「法」をもってしても、数百人の武装集団と彼らが支配する村人たちの飢餓を防ぐことは不可能になるだろう。
さらに深刻なのは水資源だった。
いくつかの井戸はすでに枯れ始め、水の運搬ルートは日を追うごとに長く、危険になっていた。
水の減少速度は、ザック自身のデータと驚くほど一致していた。
現在の消費量を続ければ、あと八年で主要な水源は完全に枯渇し、この集団は文字通り干上がることになる。
それは、ただ死を待つだけの未来だった。
ザックは、これらの冷徹な数字を、信頼する「秩序派」の幹部たち、特に若いリーダー層に、個別に、そして段階的に開示した。
最初は「資源の効率化」という名目で。次に「長期的な生存戦略」として。
そして最終的には、「この惑星の生態系が、回復不可能な臨界点に達するまでの時間が、もはや残されていない」という、絶望的な予測を突きつけた。
彼らが示したのは、単なる資源の奪い合いを超えた、文明そのものの存続をかけた切実な課題だった。
ザックの言葉と数字は、彼らがこれまで見てきた「目の前の現実」と、漠然とした「未来への不安」を、具体的で避けようのない「破滅」へと結びつけた。
「このままで、一体どうなるというのだ?」一人の幹部が、血の気の引いた顔で呟いた。
「破滅だ」ザックは冷たく言い放った。
「我々が築き上げたこの秩序も、司令官の『法』も、破滅の前では無力だ。我々は、この惑星が私たちに突きつけている『問い』に、答えを出さなければならない」
ザックは、もはや司令官の「法」だけではこの危機を乗り越えられないと確信していた。
彼の目は、アジトの奥深く、司令官が座す天幕を見据えていた。
司令官を排除し、自らが新たな統治機構を構築する時が、刻一刻と近づいていることを、ザックは感じ取っていた。
それは個人的な野心ではなく、彼自身が直視した未来を回避するための、唯一の選択肢だと信じていた。