第二章第1部: 砂塵の檻
前章までのあらすじ
暴力と荒廃に覆われた惑星の砂漠に、謎の男が降り立つ。彼は「遭難した」と偽り、略奪を繰り返す武装集団の脅威に晒され、絶望の淵に沈む村へと足を踏み入れる。男は圧倒的な技術力を持ちながらも直接的な介入はせず、ただ人々、特に子供たちに「問い」を突きつけることから物語は始まる。
村の入り口で、彼は手製の武器を構える村人たちと対峙する。男は襲いかかる村人の武器を素手で分解し、その異様な手並みで村人たちを圧倒。争いを避け、「水と船の修理」を口実に村への立ち入りを許可される。村の生活は厳しく、壊れたインフラや疲弊した住民の様子が克明に描かれる。しかし、男の本当の目的は、この村に新しい「選択」を促すことだった。
男は、彼に興味を持つ好奇心旺盛な少年カイと交流を深める。「別の星」や「扉」の存在、そして彼と共にいる生体機械「ユビ」の能力について語ることで、カイの世界を広げていく。
ある日、カイの親友である幼いミロが、腐ったパイプの水で深い感染症にかかり生死の境を彷か徨う。村人たちは治す手立てがなく諦めかける中、カイは男に助けを求める。大人の反対や疑念にもかかわらず、カイの必死な願いを受け、男はユビを使ってミロの感染を治療する。ユビの驚異的な再生能力により、ミロは奇跡的に回復。この出来事は、力による支配しか知らなかった村に、希望と困惑をもたらす。
ミロを救った後も、男は村の壊れたポンプやソーラーパネルを直そうとする村人たちに対し、自らは手を貸さず、代わりに「どうすれば直るか」と問い続ける。最初は反発や諦めを見せる村人たちだったが、カイが率先してその問いに応え、知恵を絞り、自らの手で修理に取り組む。男はヒントを与えるのみで、村人たちが試行錯誤する姿を静かに見守る。やがて、村人たちは協力してポンプを修理し、水を再び得ることにも成功する。
男は「力」ではなく「問い」を使い、村に自立と「創造」の可能性を与えていく。暴力と略奪に支配された世界で、人々に新たな選択肢と、未来を自ら切り開く力を示唆する。しかし、男の正体や真の目的は依然として謎に包まれたままだ。
荒れ果てた大地に、また砂嵐が吹き荒れる一日が始まる。空は鈍い鉛色に淀み、風が土埃を容赦なく巻き上げた。武装集団による支配が始まって約半年。
セオルの「問い」に触発された村人たちの血の滲むような努力で蘇った畑は、今もまだしっかりと緑を保っていた。しかし、そこにはわずか半年前のような力強い畝の輝きは少しずつ失われつつあり、若苗は頼りなく風に揺れ、土の表面にはひび割れが目につく。「また、同じことになるのか…」背を丸めて雑草を抜く老女のつぶやきは、風にかき消されながらも、畑の隅々にまで染み渡るようだった。
村人たちの足取りも少しずつ重くなりつつあった。子供を背負った母親が、顔の土を拭う間もなく、石を積み上げる。痩せこけた男たちが、力なく鍬を振るい、時折、乾いた咳が砂塵に混じる。彼らの顔は、朝焼けを知らぬようにくすみ、瞳の奥には諦めの色が浮かび始めていた。
「せっかく作っても、みんな奴らに持っていかれる…」
井戸端で水を汲む若い男たちの会話は、ほんの半年前までの希望に満ちたものではなく、むしろ今日の生を繋ぐことへの、不安が色濃く滲んでいた。じわじわと広がる疲弊は、このままでは、あの絶望的な日々へと逆戻りしてしまうかもしれないという、静かな恐怖を村人たちの心に植え付けていた。
この半年間、村は生きるための喘ぎを繰り返していた。武装集団は、まるで獣が獲物を貪るように、何の規則もなく村の収穫物や物資を奪い去った。ある日は夜中に押し入り、翌日の食事に使うはずの僅かな穀物を根こそぎ運び去ったかと思えば、またある日は、来年の種となるはずの貯蔵品まで容赦なく奪っていった。彼らの「必要」は常に変わり、村人たちはその底のない要求に怯え続けた。
冷たい銃口が突きつけられた恐怖は、今も村人の心に深く刻まれている。僅かな反抗のそぶりを見せた者は容赦なく打ちのめされ、時には幼い子供が「人質」として連れ去られていくこともあった。親たちの悲鳴と、連れ去られる子供たちの鳴き声が、村の記憶に重くのしかかっていた。彼らが村に残していくのは、かろうじて飢えをしのぐだけの、わずかな食料だけ。武装集団は「ちゃんと渡せば殺さない」とうそぶいたが、その「ちゃんと」という基準は日ごとに、あるいはその場の気分で変わった。それは、まるで砂漠の真ん中で、底のない袋に水を注ぎ続けるような徒労感だった。
かつて未来を語り合った若い者たちの瞳からも、あの輝きは失われ、ただ今日という日を無事に終えることだけが、彼らの全てになっていた。村は、わずか半年前までの活力を失い、ゆっくりと、しかし確実に、以前の絶望的な状況へと逆戻りし始めていた。
だが、そんなじわじわと広がる絶望の日常の中にも、決して消えぬ火種があった。それは、セオルという男が残した、「問い」という名の灯りだった。彼は村人が窮地に立たされても、手助けすることはなく、直接的な答えを教えることもなかった。ただ「どうすればいい?」「なぜそう考える?」と、彼らの思考を深く掘り起こす問いを投げかけただけだった。それでも、その問いかけは、村人たちの心の奥底に深く刻み込まれ、武装集団の支配によってかろうじて保たれる「生」の中で、唯一の「考える」という自由として、静かに、だが熱く燻り続けていた。畑を耕す合間、僅かな食料を分け合う時、ふとした瞬間に誰かの頭をよぎる「問い」は、彼らが人間であることの証しだった。
夜が帳を降ろし、武装集団の見回りが遠のくと、村の長屋の奥で、かすかな灯りがともる場所があった。そこには、村のリーダー格の若い男を中心に、若者たちが密かに集まっていた。彼らはセオルが残した、水や作物の効率的な管理方法、わずかな電力の利用術、そして何よりも「暴力ではない解決」という哲学を、まるで禁断の書を読むように貪欲に学んでいた。話し合いの声は常にひそめられ、外に漏れることはない。彼らはその知識と「問い」を頼りに、武装集団の「収奪」の隙間を縫うようにして、効率的に作物を育てる秘策を練り、収穫の一部を巧妙に隠蔽する知恵を身につけ始めていた。それは、武装集団の目を欺き、明日へと命を繋ぐための、ささやかな、しかし確かな抵抗だった。
◇◇◇
武装集団の拠点では、荒々しい成員たちが闊歩する中、ひときわ静かに、そして鋭い眼光を放つ若者がいた。名はザック。彼は、日がな一日、訓練場の隅から、あるいは物資が運び込まれる倉庫の入口から、成員たちの様子を観察していた。今日、遠征から戻った小隊の荷は、いつもより明らかに少ない。運び込まれる上納品も、以前のような質を保ってはいない。荒ぶる司令官とその取り巻きが喚き散らす怒声の裏に、確かな焦りが滲んでいることに、ザックは気づいていた。この無秩序な「収奪」は、目先の利益にしかならない。いずれ、村々は完全に荒廃し、自分たちの供給源すら尽きるだろう。この司令官の場当たり的な指示が、この集団を緩やかな破滅へと導いていることを、彼は誰よりも冷静に看破していた。
「このままでは、ジリ貧だ」
ザックは、同じようにかつて村々から連れ去られ、この武装集団に組み込まれた同世代の仲間たちにそう囁くことがあった。彼らは、武装集団の殺伐とした環境にどっぷりと浸かり、感情を押し殺す術を学んできた。だが、村との関わり、特に「収奪」の際に村人たちが密かに見せる「知恵」の片鱗や、彼らの畑から得られるはずの豊かな収穫物が、次第に枯渇していく様が、ザックたちの心深くに忘れかけていた「人間らしさ」と「先を見通す理性」を、少しずつ揺り起こし始めていた。この無秩序な状態では、いずれ全てが消え去ってしまう。それを避けるためには、何らかの「規則」や「取り決め」が必要ではないか――そんな思いが、彼らの頭の中に芽生え始めていた。
武装集団の拠点では、ザックの声が、これまでとは違う響きを持ち始めていた。無秩序な収奪が村を、ひいては彼ら自身の供給源を枯渇させつつあるという彼の指摘は、多くの成員が漠然と感じていた不安を明確な言葉にしたものだった。特に、遠征先から戻った者たちが報告する他の地域の荒廃ぶりに、ザックの危機感は現実味を帯びていった。食料も物資も底を尽けば、この集団は自壊する。それは、暴力だけでは解決できない、根源的な問題だった。しかし、この粗暴で目先の利益しか見ない幹部たちに、どうすればこの危機感を共有させ、行動を変えさせられるのか。ザックの心には、新たな「問い」が渦巻いていた。
やがて、ザックのような合理的思考を持つものたちが自然と集まり、その「問い」の答えを探り始めた。彼らは、暴力だけを信奉する司令官を含む幹部たちに、いかにしてこの集団の存続に関わる喫緊の課題を理解させるか、知恵を絞った。「このままでは、皆が飢える」という単純な真実を、彼らが最も理解する形で突きつけるにはどうすればいいか。より持続的な搾取のためには「法」が必要だということをわからせるにはどうするか。彼らは抗いようのないエビデンスを集め、その対抗策としてどのような「法」が必要なのかを綿密にまとめ、司令官に進言することを決めた。
ザックたちが司令官にその「法」を進言した時、案の定、怒号が飛び交った。「軟弱な!」「もっと奪えばいいだけのことだろう!」粗暴な幹部たちは、これまでのやり方を変えることを頑なに拒んだ。しかし、ザックは冷静だった。彼は、枯渇しつつある村々の報告や、奪うものもなく、疲弊しきって戻る遠征部隊の姿、そして食料庫の底が見え始めた現実を、司令官の前に突きつけた。日々の収奪で得られる量が減り、飢えが自分たちの喉元に迫っていることを、数字と冷酷な現実で突きつけたのだ。司令官は、当初は憤怒に顔を歪めていたが、やがてその理屈が自分たちの生き残りに直結していることを理解せざるを得なかった。
こうして、ひと悶着の末、司令官はザックたちの提案にしぶしぶ合意し、新たな「法」が導入されることになった。それはまさに「乱雑な収奪」から「緻密な支配」への明確なパラダイムシフトだった。管理された「上納」システムが設けられ、村ごとに明確な労働ノルマが課された。暴力の使用にも一定の規則が設けられ、正当な理由なき殺傷は禁じられるなど、最低限の秩序が持ち込まれた。反発する者もいたが、飢えへの現実的な恐怖、そして何よりも、一度決めたルールは粗暴なメンバーにも徹底して守らせるという司令官の冷徹な態度により、その規範は次第に集団内に浸透していった。それこそが、この無法な集団をまがいなりにも「集団」として結束させてきた、この司令官の唯一の資質だった。それは、武装集団が自らの存続のため、村という「資源」を枯らしてはならないと、渋々ながらも認めざるを得なかった、苦肉の策だった。
村人たちは、この新たな「法」の導入に、一見従順に従う態度を見せた。その法は、村人たちにとっては甚だ過酷なものであったが、それでも以前の無秩序な「収奪」や「暴力」に比べれば、いくらかの予測可能性をもたらし、ないよりはずっと良かった。むしろ、僥倖と言ってもよかった。彼らの心には、セオルが残した「問い」の炎が、その過酷な「法」の条項の一つ一つを冷静に見つめ直す力を与えていた。彼らは、目の前に突きつけられた「法」に対し、ただ黙って従うだけでなく、その「生かさぬよう、殺さぬよう」という支配原則の隙間や、矛盾点を密かに見抜き始めた。セオルがもたらした効率的な生産方法や、わずかな余剰を巧妙に隠蔽する技術は、この新たな支配下で、自らの命を削られないための防衛策としてさらに磨き上げられた。村人たちは、課されたノルマをぎりぎりで達成しながらも、培われた知恵と工夫を凝らし、武装集団の目には決して映らない隠し畑で密かに作物を育て、土中深く掘られた貯蔵庫に物資を隠した。決して暮らしが楽になったわけではなかったが、「死」を避けるための、息詰まるような知恵比べだった。
水面下では、村のリーダー格の若い男を中心に、秘密裏の知識共有と他村との連携が密かに進められていた。かつてセオルが接触した村々、あるいは武力ではなく「問い」によって変化の兆しを見せ始めた他の集団との間に、見えない糸が紡がれていく。それは、武装集団の目には映らない、より広範な「問い」のネットワークだった。
武装集団の内部でも、この「法」の導入を機に、組織内の対立や変革の兆しが見え始めていた。ザックのように先を見通す者たちは、司令官の旧態依然とした思考と、現状維持に固執する一部の勢力に対する不満を募らせていた。暴力による支配の限界、そしてこの惑星で生き抜くための真の「答え」とは何か。武装集団の未来に対する「問い」が、組織の深部にまで食い込み、静かな亀裂を生み出しつつあった。それはまだ小さな波紋に過ぎなかったが、やがて来るべき嵐の予兆でもあった。