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第一章第2部: 小さな命

村の狭い通りを、少年が砂煙を蹴立てて走っていた。

足を取られ、転びそうになりながらもすぐに体勢を立て直す。

砂に濡れた涙の跡が残る顔を上げると、彼は荒い息を吐き出した。


「どこだ…!」

掠れた声を絞り、周囲を見回す。

村人たちは振り返るが、すぐに視線を逸らす。

大人たちの会話が途切れ、低い声で何かを囁き合う。


男はその時、低い屋根の影に身を寄せていた。

背を土壁に預け、何も言わずに子供らを眺めていたユビが、その動きを目で追う。

少年の荒い呼吸が聞こえる距離まで近づいた。


「おい…」

男は小さく声を出したが、少年は目を見開いて男に飛びつくように近寄った。


「来てくれ!」

声が割れていた。

「ミロが死んじゃう、助けて!」


男は視線を落とした。

砂を含んだ風が二人を打つ。

少年の肩が上下し、唇が震えた。


ユビが男の脇で小さく光を滲ませた。

男はゆっくりと息を吐いた。

「お前の名は?」

少年は一瞬言葉に詰まったが、切羽詰まった声で叫んだ。

「カイだ!早く!」

男は短く頷く。

何も言わず、立ち上がる。


カイと名乗った少年は、それを見ると泣き出しそうな顔で顔を背け、でもすぐに振り返った。

「早く!」

男は少し歩を速めた。

ユビは男を追い越しそうになりながらついて走る。


「その子はお前の弟か?」

男が低く問いかける。

カイは振り返りもせず、かすれた声を絞った。

「弟じゃない。でも弟みたいなもんだ。小さい頃からずっと一緒なんだ」

風が吹き、二人の間の砂を巻き上げた。


村の隅にある小さな家から、かすれた泣き声が漏れていた。

乾いた土壁に縫い付けた布をめくると、暗い灯りがかすかに照らし、熱気と血の匂いが籠っていた。

幼い子供は粗末な寝具の上で身をよじり、呻き声を漏らす。

顔は赤黒く腫れ、唇は乾いてひび割れていた。


傷口からは膿が滲み、布に茶色の染みを作っていた。

母親らしき女が泣きながら冷たい水を絞った布を額に当てるが、子供は弱くうわごとを言うだけだった。


部屋には親戚らしい数人の大人が集まり、祈るように見つめていた。

誰も言葉を発しない。

治す手立てなどなかった。


その時、土壁の外から走り込む足音が近づいた。

布をはね上げて飛び込んできたのはカイだった。

砂で汚れた顔を歪め、目には涙が滲んでいた。


「助けてくれ!」

声が裏返っていた。

「お願いだ、あの人を、あの人を呼んできたんだ!」


部屋の空気が一瞬止まる。

大人たちがカイを睨みつける。

「ふざけるな」

「よそ者だぞ」

「何をするつもりだ」


カイは首を振り、声を絞った。

「治せるんだ。俺、見た。あの手を。ユビを」

言葉が震え、声が割れた。

「お願いだ。ミロを……」


外に立つ男の影が揺れる。

家の中を見つめる黒い瞳は砂の上で動かない。


ユビがその足元に身を寄せ、小さな青い光をともした。


母親と思しき女が泣きながらミロを抱きすくめた。

「もう、やめて……もういい……」

声が潰れて嗚咽になる。

大人たちの視線が交錯し、何も言えなくなる。


カイはミロの母親を押しのけ、崩れるようにひざをついた。

「頼む、あの人にやらせてくれ。お願いだ」

肩が震え、砂に涙が落ちる。


空気が凍りついた。

誰も動けなかった。

外の風の音だけが続いた。


男は一歩だけ足を進めた。

その動きに、大人たちがざわめく。

手が柄にかかる者もいた。

だが男は武器を持たない。

視線をゆっくり巡らせるだけだった。


長老格の男が低く吐いた。

「どうせ死ぬ。試すなら……好きにしろ」

言葉が石のように転がった。

母親は泣き崩れ、身動きひとつしなかった。


男はユビに目をやり、わずかに顎を動かした。

ユビが青い光を強め、音もなく男の横に立つ。

男はカイを見た。

「案内しろ」

カイは泣きながら頷き、ミロの小さな体を抱いて押しやった。

男は無言でそれを受け取り、傷口を覗き込んだ。

ユビが静かに光を滲ませた。


挿絵(By みてみん)


男は小さな体を寝具に横たえさせ、傷口を確かめた。

腫れは赤黒く、膿が滲み出し、熱で皮膚が脈打つ。

幼児は浅い呼吸を繰り返し、弱くうわごとを吐いた。


男は低い声で短く問う。

「どうした」


室内が一瞬固まった。

誰も目を合わせない。

母親は泣きながら子を抱き寄せようとするが、力が入らない。


長老格の男が渋い声を絞り出した。

「……水場だ。パイプが腐って割れてた。気づかずに切った」

吐き捨てるように言ってから、目を逸らす。

「薬もねえ。何日も放っといた。こうなるしかなかった」


沈黙が降りた。

母親のすすり泣きが壁に吸い込まれる。

男は目を細め、腫れた傷を見た。

大人たちは何も言わない。

母親が首を振り、声を失ったまま泣いた。


ユビが小さく光を滲ませ、静かに土を踏む音を立てた。


◇◇◇


男は低く問いかけた。

「何日だ」

母親が震える声で答える。

「……四日……熱が引かない。動かないの」

男は目を細め、傷口を押さえるようにそっと触れた。

熱が皮膚を通して伝わる。

腫れた部分は弾力を失い、奥の組織が死にかけていた。


「感染が深い。菌が血に入った」

母親が泣き声を殺した。

周りの大人たちが無言で息を呑む。


ユビが男の横に回り込み、じっと子供を見つめた。

異なる色を宿す瞳が、わずかに収縮する。

体の表面を流れる模様が脈動し、青白い光を放った。


「いいぞ」

男は短く言い、ユビに目をやる。

ユビが静かにうなずくように、光を細かく瞬かせた。


細い光が傷口を舐めるように走り、奥の組織を透かすようにスキャンする。

感染した部分を視覚化し、血流の速度や成分を読み取っていく。

ユビの表面の光が強まったり弱まったりを繰り返す。


周囲の村人たちは緊張に息を詰めたまま、動けない。

男は視線を落とし、ユビに短く問いかける。

「どうだ」

ユビは光を抑え、低い電子音を一度だけ響かせた。

男が目を伏せて言う。

「血中感染。組織壊死。毒素の蓄積」


母親が声を上げて泣いた。

男はそれを見もせず、ユビを一瞥した。

ユビが全身を青く点滅させ、ゆっくりと体を震わせた。


「パスの設計に入れ」

男の言葉が落ちる。

ユビは光を絞り、体を丸めるように動きを止めた。

青白い光は徐々に弱まり、やがて消えた。

その小さな体はまるで力を失ったように土の上に崩れた。


母親が息を呑んだ。

「死んだの??」

村の大人たちがざわめき、不安げに視線を交わす。


男は短く首を振った。

「静かにしろ」

その声は低く、感情を抑えていた。


ユビは動かなくなった。

光も音もなく、まるで壊れた人形のように土の上に沈黙した。

部屋を満たす空気が重く、誰も息を詰めたまま見つめていた。


母親は泣き崩れた子を抱こうとして、震える手を止めた。

長老格の男がじっと男を睨みつける。

「何をするつもりだ……」

その声には恐れと苛立ちが滲んでいた。


男は答えず、ユビを見下ろしたままだった。

ユビの小さな体は動かない。

だが皮膚の下で微かな脈動が走り、かすかに熱を帯びる。


誰も声を出さなかった。

時間が果てしなく伸びるように思えた。

村人たちは息を潜め、冷たい汗を滲ませていた。


母親は嗚咽を押し殺し、子供を見つめた。

長老の目が鋭く光る。

「……本当に、助けられるのか」

声は低く、確信を持てない色を帯びていた。


男は視線を動かさずに答えなかった。

その瞳には、確信だけが宿っていた。

だが男は動かず、ただユビを見つめていた。


やがて、ユビの体表に微かな光が戻り始めた。

滲むように青白い線が走り、皮膚の模様がゆっくりと脈打つ。

体が小さく震え、呼吸するように全身が起伏した。


「始まる」

男が低く言った。

ユビが頭を上げ、光を収束させた瞳で子供を見つめた。

細い脚を踏み出し、ゆっくりと子供の傍に寄り添う。


周りの村人たちが息を呑む。

母親が泣きながら身を引いた。

ユビは小さく頭を傾け、ミロを包むように尾を曲げた。

その体表が突如として強い光を放ち始める。

青白い光が部屋を満たし、壁に揺れる影を刻む。


子供の皮膚が淡い光を反射し、赤黒かった腫れがみるみる引いていく。

膿が溶けるように消え、割れていた肉が閉じていく。

子供の呼吸が深くなり、弱かった声が小さく途切れた。

血色が戻り、まるで眠っているかのように安らかな表情を見せる。


村人たちは誰も声を出せなかった。

ただ光に包まれた光景を呆然と見つめていた。

母親が涙を滲ませながら口を押えた。

父親らしい男は目を見開き、固まったままだった。


光がゆっくりと弱まり、ユビの体表の紋様が脈を打つように落ち着く。

ユビは男を見上げ、小さく喉を鳴らすような音を立てた。

男は視線を落とし、幼児の顔を確かめる。

「損傷した組織は修復した」

「いま、毒素の排出が進んでいる」

「このまま安静にしておけば、一両日で回復するだろう」


長老格の男が低く呟く。

「……ナノマシン、か」


男はわずかに視線を動かした。

「ああ」


長老は目を細め、短く絞り出すように言った。

「昔は当たり前に使っていた。怪我も病もすぐ治った……俺が子供の頃には、まだあった」


周囲の大人たちは黙り込む。

その意味をつかめず、視線を落とした。


部屋を満たす沈黙が重い。

母親は子供の寝息を確かめ、震える息を吐いた。

父親は目を落とし、手を握り締めた。

カイはただ泣きながら、ミロの体に触れていた。


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