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23:時東悠 1月26日17時05分 ④

「ただ、なんだ。テレビで見る顔してるっていう話」

「テレビで、って……」

「おまえ、去年はそんな顔してなかっただろ」


 淡々と告げられ、時東はぎゅっとペンを握りしめた。身体の中のどこかがたまらなく痛かった。あんたがそれを言うのか、と言いたい衝動が渦巻いている。

 あんたが距離を置こうとしたから、これ以上は踏み込むなと言ったから、だから――。


「だから戻っていいって言ったんだよ。そんな顔してるやつ、引き留められないだろ」

「なにそれ」


 ぽろりと非難がこぼれた。一度こぼれたら、もう駄目だった。次から次へと際限なくあふれ出していく。


「それで帰れって言ったの? なに、それ。そんな顔してるんだったら、むしろ置いてやってよ」

「なんでだよ」

「なんでだよって。南さんにはないの、こう、俺がふつうに笑わせてやるとか」


 そういうのさぁ、と言いかけたところで、時東は我に返った。

 自分の口から飛び出した言葉の恐ろしさに気がついたからである。

 おまえが笑わせろ? どんな期待を、俺は他人に押しつけようとしているんだ。そんなものはこりごりだと思っていたはずなのに。


「時東?」


 気遣う呼びかけに、「なんでもない」と必死に笑顔を取り繕う。


「ごめん。南さんには、南さんが大事にしてる世界があるんだなぁって。それだけ」


 へらりとした笑みで、へらりとしたことを時東は言った。笑っていることにしてほしかった。踏み込んだあとに拒絶されることは怖い。捨てられることは怖い。

 だから、時東も線を引き直したのだ。この場所がなくなるよりはいいと、そう思い切って。だから、だから。そちらもそのつもりだったのであれば、世界を広げるつもりがないのであれば、急に踏み込まないでほしかった。

 そうでないと、どうしていいのか、わからなくなってしまう。


「そんなセンチメンタルなことを、ちょっと考えてました。今、絶賛、制作活動中だったので」


 だから、この話はこれで終わり。そう告げるように、時東は視線をノートに向け直した。なんでもいい。適当に文字を書けばいい。わかっているのに、指先は笑えるくらい固まってしまっていた。


 ――嘘も、適当にやり過ごすことも、得意だったはずなんだけどな。


 悩んでいるていで溜息を吐くと、また声がかかった。


「おまえにだって、おまえの世界はあるだろ」

「どうだろう。まぁ、あるのかな」


 なんで、そんな慰めるようなことを言うかな。思ったものの、八つ当たりに近い感情の気がして、精いっぱい愛想の良い相槌を打つ。


「同じ場所で生活してるうちにできあがっていくもんだろ。そういうものは」

「うん、でも、そうだなぁ」


 みんながみんな、南さんみたいには生きていけないんだよ。拗ねた子どもの台詞に、ひっそりと蓋をする。俺が大切にしていたつもりの世界はどこに消えたんだろう。過ったそれに、時東は愕然とした。

 これは、駄目だ。自分で言うのもなんだとは思うけれど、精神的にかなり落ちている。


「この家にも」

「え?」

「いや、だから、この家もそうだって言ってんの。おまえがしばらく居座ってただけでも、おまえの場所はできただろ。そういうもんなんだよ」


 視線を上げて後悔した。顔を見るつもりなんて、なかったのに。


「悪かったな。説教臭くて」


 自分はいったいどんな表情をしていたのだろうか。謝られてしまい、時東は慌てて言葉を継いだ。笑うことは、今度こそできていなかっただろうけれど。


「いや、べつに。そういうわけではなくて」


 本当に、そういうわけではなくて。でも、だとしたら、どういうわけなのだろう。自分で自分の感情をコントロールできないことは、時東は嫌だ。だから、いつだって、「時東はるか」の仮面を被って生きていた。それが最善と思っていたかったからだ。

 そうすることは、楽だった。仮面を被っていれば、生身の自分が傷つくことはない。ぐっとペンを握りしめる。


「なんというか」


 誤魔化すつもりだった台詞の続きが、急かすでもなく話を聞く瞳を認識した瞬間、消え失せてしまった。心の奥底に閉じ込めていた破片が、ぽろりとこぼれおちる。


「俺もここの一部になれてたのかな」


 それは、ずっと。この家にはじめて招かれたときから、心のどこかにあった時東の願望だった。

 この場所は、この家は、この人の隣は、いつのまにか、時東にとって、心の安らぐ唯一になっていたから。


「まぁ、現に今、助かってるしな。おまえがいるおかげで」

「……そっか」


 あいかわらず、甘いなぁ。そんなふうに思ったら、なんだか泣きそうになってしまった。けれど、べつに、自分が特別というわけではないのだろう。

 たとえば、この人の幼馴染みである人にも。この人はあたりまえに同じようなことを言うのだ。どろりとあふれたのは、少し前の記憶だった。


 ――俺がなにを言ったところで、時東くんの眼には、そういうふうに映っちゃってるんでしょ。


 余裕たっぷりの顔に微笑が浮かぶ。計算され尽くした、自分の魅せ方をよく知っている人間のそれ。時東と同じようで、少し違うもの。


 ――でも、まぁ、いいんじゃないの。そんなに深読みしなくても。だって、あいつにかわいがってもらってるでしょ、時東くん。少なくとも、今は。だったら、それでいいじゃない。


 それだけで満足していたら、問題はなにもないだろう、と牽制するように。言葉の意味を理解した時東の胸に沸いたのは、怒りとも嫉妬とも羞恥とも言い切れない、どろどろとした感情だった。

 なにもかも持っているくせに。他人と比較して自分を卑下したところで、時間の無駄だ。わかっていても、そう思わずにいられなかった。

 なんでも持っているくせに。特別な才能も。優れた容姿も。気心の知れた特別も。


「時東?」

「なんでもない。ちょっとトリップしてた」


 それはある意味で、嘘ではなかったので。苦笑して、今度こそと時東はノートに向き合った。


「やばい。なんかすごく暗い歌ができそうな気がする」

「なんでだよ。おまえの曲、基本的に明るいだろうが。似非臭いくらいに」


 ――もう、本当に嫌だ、この人。


 俺の歌を知らないっていう設定なら、最後まで順守してよ。なんて、言えるわけもなく、「そんなことないよ」とペンの先を見つめたまま時東は応えた。

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