21:時東悠 1月26日8時40分 ②
「南さん。今日は仕事お休みなんでしょ? どこか行くの?」
仕事があろうがなかろうが、この家の主の朝は早い。
おじいちゃんみたいだね、と口を滑らせて閉口させた前科があるので言わないだけで、それに近いものがあると時東は思っている。
自分は済ませているにも関わらず、こちらが食べ終わるまで静かに同席してくれることも含めて。
母親に父親に、おじいちゃん。自分はいったい、この人にどんな夢を見ているというのか。内心で呆れつつ、ごはんの残りをさらう。
白米に、大根と玉ねぎの味噌汁。そうして、昨日の残りという煮物と、店でも提供しているお手製のお漬物。はじめて用意してもらったときは、いたく感動したものだ。もちろん、今日も大変ありがたいと思っている。
「まぁ、そうだな。とりあえず雪かきだな」
「雪かき?」
東京生まれ東京育ちの時東には無縁の言葉である。繰り返した時東に、南がわずかに苦笑をこぼした。
「店の前と、あとこの家の周辺。このあたりは道が細いから、除雪車通らないんだよ」
「……手伝おうか?」
断られるだろうなぁとわかっていたものの、一種の様式美というやつである。案の定、湯呑に口をつけた南は、あっさりと首を横に振った。
「あらかた終わってるから。残りもすぐ終わるし、気にしなくて大丈夫」
つまるところ、すでに一仕事は終えているらしい。本当に早起きだね、と言う代わりに、時東はのんびりと呟いた。
「まぁ、俺が手を出したほうが仕事も増えそうだしねぇ」
自慢でもなんでもないけれど、顔の割れている芸能人なので。その時東の本意に、南はたいていの場合、気がつかないふりを押し通す。今日もそうだった。
「慣れてないやつがやると高確率で腰痛めるんだよ」
やらなくて済むならやらないほうがいい、と。なんでもない調子で応じた南が、空いた湯飲みを机に戻す。同じタイミングで、時東も箸を置いた。にこりとほほえむ。
「じゃあ、ありがたくおこもりさせてもらおうかな。南さんも転んで怪我しないでね」
「そこまで年じゃねぇよ」
「それはそうかもしれないけど。――あ、片づけくらいは俺がしておくから。いってらっしゃい」
ごちそうさまでした、と頭も下げれば、好きに過ごしたらいいんだからな、と気遣う言葉が返ってきた。片づけくらいは、去年もしていたはずなのだが。
それとも、春風からなにか聞いたのだろうか。懸念を押し込み、時東は笑った。
「やだな、南さん。ちっちゃい子じゃないんだから、そのくらいやるって。というか、そのくらいやらせてよ」
至れり尽くせりではさすがに落ち着かない。笑ったまま言い切って、食器を手に流しに立つ。
ふと頭の中に「持ちつ持たれつ」という春風の言葉が浮かんだ。今の自分は完全に「持たれて」しかいないのだろう。
でも、せめて「持たれて」いたいと思ってしまう。なにも「持たれない」よりは。
――あ、駄目だ、これ。
あまり考えないほうがいい。昨日の夜、そう決めたことを思い出し、時東は水道のハンドルをひねった。きんとして冷たいけれど、しばらくすれば温かくなるだろう。
冷水のままでやると南が気にするので、きちんとお湯にするようにしているのだ。
注がれる視線に気づかないふりをしていると、「じゃあ、行ってくる」という声が背にかかった。洗い物をしたまま、「行ってらっしゃい」と送り返す。なんだかまるで家族みたいだ。
しばらくすると、玄関のドアを引く音が遠くで聞こえた。そうして「凜ちゃん」と呼ぶ高い女の子の声。ついで聞こえた「だから、その呼び方はやめろって言ってるだろ」という諦め半分の苦言に、時東はふっと笑みをこぼした。「遊ぼう」とゆする声が続くのが、なんともほほえましい。
子どもは本能で「いい人」を嗅ぎ分けるという話をなにかで聞いたことがある。見た目が多少怖かろうが、そういう人には素直に懐くのだ。この人は大丈夫だと本能でわかるから。
どうせ、なんだかんだと言ったところで、折れて遊んでくれる。それを子どもは知っているのだ。俺と同じだな、と思った。




