21:時東悠 1月26日8時40分 ①
窓の外から響いた高い子どもの声で、時東は目を覚ました。
あれ、ここ、どこだっけ。寝起きのぼんやりとした頭のまま、のっそりと布団から這い出る。畳が冷たい。そうだ。また戻ってきたのだった。足元から感じる冷たさで思い出した。
欠伸ひとつでカーテンを引いた時東は、「うわ」と小さな感嘆をもらした。
「積もってる」
一面銀世界。道理で寒いはずである。その寒さをものともせずに遊ぶ子どもの姿に、ふっと笑みがこぼれた。警報が出ているのかもしれない。
警報が出て学校が休みになると、子どものころはうれしかったんだよな。懐かしい記憶に思いを馳せる。不謹慎とわかっていても、なんとなくわくわくしたものだ。
大人になると、そんなことばかりも言っていられなくなるけれど。引きこもる予定だった本日の時東には関係のない話である。
たぶん、東京に戻る三日後は、交通機関も機能しているだろうし。のんきに結論づけて、時東はゆっくりと身体を伸ばした。なんだか、ひさしぶりによく寝た気分だ。
――普通、自宅のほうが寝やすいと思うんだけどなぁ。
そんないまさらなことを考えながら、軽く身支度を整えて階段を下りる。漂ってきた匂いに、そういえば、実家の朝も和食だったなぁ、と。またしても懐かしいことを思い出してしまった。
母親からは「たまには帰ってきなさいよ」と言われているのだが、もう随分と実家に顔を出していない。両親と仲が悪いわけではないものの、実家に帰ると来客が増えるから嫌なのだ。
実家の近所に住んでいて、特別に自分をかわいがってくれた祖母も、デビューして間もないころに鬼籍に入っている。それもあって、ついつい足が遠のいているのだった。
「おう、おはよう」
台所にふらりと顔を出すと、南が新聞から顔を上げた。台所にあるテーブルに畳んだ新聞を置く仕草が、ひさしく見ていない実家の父親と重なって、苦笑がこぼれそうになる。
どうにかそれを呑み込んで、「おはよう」と時東は挨拶を返した。そうしてから、今日の曜日を思い出す。
「そっか、南さん、今日お休みだ?」
「俺はそうだけど。おまえは大丈夫なのか?」
「え? 大丈夫って仕事?」
「そう。このあいだよりずっと積もってるぞ。当たらねぇな、天気予報も」
「大丈夫、大丈夫。俺、二、三日こっちにいるから」
良いのかどうかは聞いていなかったけれど、決定権を委ねられた身である。まぁ、大丈夫だろう。にこりとほほえむと、南がかすかに眉を寄せた。どことなくもの言いたげな表情。
「おまえさ」
「ん?」
「その顔……、いや、まぁ、いいわ、なんでも」
「ちょっと、なに、南さん。気になる言い方しないでよ。俺のかっこいい顔がどうかした?」
意図的に茶化した自覚はあったが、南も南で必要以上に白けた顔をした。
「はい、はい。なんでもない、なんでもない。かっこいい、かっこいい。春風ほどじゃないけど」
「さらっと容姿比べないで! それもあんな規格外の人と」
「そういうことでもねぇよ」
比べるなという指摘が胸に入ったのか、妙に嫌そうに否定する。だが、それ以上の皮肉は飛んでこなかった。軽く溜息を吐いた南が立ち上がる。壁に面したキッチンスペースと、冷蔵庫。そうして、二人掛けの小さなダイニングテーブル。
夜は炬燵のある居間で食べることも多いが、朝や昼はここで食べることも多い。この家に寝泊まりするようになって知ったことだ。
「時東」
いつまで突っ立ってんだ、と呼び寄せられるかたちで席に座る。
相前後して小鍋を火にかけた南に、食べるよな、とほぼ決定事項で問われたので、うん、と時東は頷いた。
優しい味噌汁の匂い。ひとりで暮らすようになってから――味覚がおかしくなる以前からだ――の時東に朝食を食べる習慣はなかった。それなのに、この家にいると、三食きちんと食べようという気になる。
――食べることは生きること、だっけ。
大昔、祖母が言っていたことだ。聞いた当時はよくわかっていなかった。でも、今は少しわかる気がしている。自分のために食事を用意してくれる人がいることの、ありがたさも。
ありがとう、とかけた声に、ん、と愛想もそっけもない返事。なんでもないことのはずが、なんだかどうにもこそばゆかった。
[21:時東悠 1月26日8時40分]




