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1:時東はるか 9月2日2時15分 ③

「それはそうですけどねぇ。あ、収録の前になにか腹に入れますか? おにぎりかサンドイッチならありますけど、希望があればどこか寄りますよ。テイクアウトで」

「いや、大丈夫。適当にもらうから」


 断って、時東は傍らの袋を覗いた。おにぎりにサンドイッチ。岩見の言葉どおり時東が好きだと言ったことのある種類ばかりだった。気遣いはありがたいが、今の時東にはどれも同じなのである。

 不思議なことに、あのロケの日。回復したはずの味覚は、南食堂限定の魔法だったらしい。

 以前のように、やれあそこの店がいいだのと頼む気も起こらない。岩見が訝しんでいる可能性はあるが、味覚が死んでいるとは思っていないだろう。我儘を言わなくて楽になったとでも思っていればいい。

 ぺりとサンドイッチの包みを剥がしてかじりつく。トマトときゅうりの歯ごたえは感じるものの、あるべきはずの味はないままだ。

 そういえば、南さんって、こういったサンドイッチとかも作れるのかなぁ。想像して、味気なさを誤魔化そうと試みる。

 まぁ、南さんにはカフェエプロンより白い手ぬぐいのほうが似合う気もするけど。あの、頭に巻く感じの。土方のお兄ちゃんというか、江戸前寿司の大将というか。つらつらとした思考の海に沈みながら、時東は残り一口を飲み込んだ。


 早く終わってくれたらいいけど。クイズ番組の出演者とスタッフに念を飛ばしつつ、水を流し込む。

 悲しいかな、味がないものを食べることにもそれなりに慣れてしまった。けれど、どうせならば、おいしいものを食べたい。味覚が消えてはじめて、時東は食の大切さを思い知った。

 そんなわけだったので、味が戻った瞬間の感動は大変なものだったのだ。この数年の中で一番大きく感情が動いたと言っても過言ではないほどに。


 ――だから、よけいショックだったんだよなぁ、あれ。


 東京に戻った足で意気揚々と赴いたお気に入りの店で、味を感知できなかった瞬間は。だから、時東は諦めたのだ。認めざるを得なかったと評してもいい。

 理由はわからないが、あの人でなければ駄目なのだ、と。


「南さん、こっちで店やってくんないかな」


 そうすれば、毎日でも通う自信がある。半ば以上本気の呟きに岩見が笑った。


「おいしかったですけど、普通の味じゃないですか。無理ですって。こっちじゃなかなか」


 その普通の味が、時東にとっては運命だったのだ。この贅沢者、と内心で毒づいて、目を閉じる。

 収録が終わって家に帰ったら、すぐにバイクで出かけよう。

 はじめてプライベートで店に押しかけた夜。良く言えば意外そうな、悪く言えば迷惑そうな顔をされたものの、それでも南は、時東の居場所をつくり、受け入れてくれた。

 時東を芸能人の『時東はるか』ではなく、ただの迷惑な客として、閉店後の店内で受け入れてくれる。そうして、味のする温かいごはんを出してくれる。

 それがどれだけありがたいことなのか、きっと南は知らないのだろうけれど。自分が知っているからいいのだと時東は思った。南食堂の看板が恋しかった。


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