14:南凛太朗 1月3日21時30分 ③
「たとえば、俺みたいなさ」
「あぁ、はい、はい」
「めちゃくちゃ聞き流された気がする……。なんかいつも聞き流されてる気がする……」
いつも、いつも。そうされても問題のない伝え方しかしないからだろう。溜息と一緒に台詞を呑み込んで、周囲を見渡した。おたがいさまだということは、重々承知している。
ロータリーの向こう。商業ビルの側面につるされた看板が目に入り、南は小さな声をもらした。先ほど覚えた非現実がじわりと足元から蘇る。
「なに? 南さん」
「いや、おまえ、芸能人なんだなと思って」
「え? え? なに、いきなり」
「いや、目の前におまえのドアップがあったことに気づいて。なんだっけ。なんか、酒の」
「あぁ、たぶん、チューハイ……」
「変な感じだよな、なんか。おまえの看板見ながら、電話してんの」
そうだ。この状況は「変」なのだ。あたりまえのことではない。
南がよく目にする、へにゃりとした力の抜けた笑顔ではない、爽やかな笑顔。芸能人の時東はるかの顔。遥か頭上から、それが自分を見下ろしている。
「時東?」
不意に訪れた沈黙に、名前を呼ぶ。しばらくしてスマートフォン越しに響いたのは、どこか拗ねた声音だった。
「南さんの家に行きたい。炬燵に入って、お酒飲みたい。南さんのごはんも食べたいし、あの部屋で寒いなって思いながら眠りたい」
「寒いのかよ、結局」
「いや、寒いけど、そこはいいんだって。こう、なんというか、心の持ちようの問題だし。今度、あったか毛布を持ち込もうかなぁと企んでたけど、そうじゃなくて」
じれったそうに言い募った時東が、はぁ、と小さく息を吐いた。ぐちゃぐちゃと髪を掻き混ぜる姿が浮かぶ。苛立ったとき、自分の感情に困ったとき、時東はよくそういう仕草を見せたから。
「俺のわがままだよ。わがままなんだよ。わかってる。でも、あんまり、なんていうのかな。南さんに、そういうこと言われたくなかった」
そういうこと。芸能人として扱われること。そういう目で見られること。
「俺がいないところで、俺の前にいてほしい」
時東の本音なのだろうとわかったから、「そうか」と南は応じた。いつもどおりの調子で。
正しかったと確信したからだ。自身に言い聞かせていたことは正しかった。そして、自分が距離感を取り違えなかったことに安堵した。
時東が求めているのは、芸能人ではない自分を受け入れてくれる場所で、誰かで、それがたまたま「あのときの自分」だったというだけ。
だから、そういう自分である限りは「好き」だというだけ。
――まぁ、でも、そうだよな。
薄々とわかっていたことでもあった。
町役場勤めの旧友に頼まれ、断り切れずにテレビ番組の取材を了承した。たまたま番組のゲストが時東だった。それだけの、縁。
いつ切れてもおかしくなかった細い糸が、たまたま、本当にたまたま、いろいろな偶然が積み重なって、繋がっていただけのこと。俺は、そうではなかったけれど。
暗くなった画面を一瞥し、南はスマートフォンをしまった。帰ろう、と思った。
馬鹿みたいに。先ほど月子を形容した言葉が過った。
馬鹿みたいに記憶の底にずっと沈めていたのは、誰だ。湖面に浮き上がりそうになったあどけない笑顔から、南はそっと目を逸らした。
あいつが捨てた過去を、なんでよりによって、俺が覚えているのだろう。
あいつはすべてを捨て去っているのに。記憶されることなど望んでいないだろうに。
だから、あいつは俺になにも聞かない。だから、俺もなにも問わない。




