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10:時東はるか 12月17日21時55分 ③

「続いて、時東さん。時東さんは今年でデビュー五周年ということで、おめでとうございます」

「ありがとうございます」

「今回は、大ヒットを記録した五年前のデビュー曲を含むスペシャルメドレーをご披露くださいます。五周年のアルバムも発売のご予定だとか。どうですか。デビューから五年経って、今のご心境は」


 そうですね。なんだかんだとやっているあいだに、あっというまに五年も経っちゃいました。年が明けたら、バラエティだけじゃなく新曲も披露できると思うので、楽しみにしていてくださいね。ずっと応援してくれているファンの皆様のおかげで、五年もやってこれました。これからもどうぞ応援よろしくお願いします。

 頭の中では、リハーサルの折に喋った文面がすらすらと浮かび上がっている。


「そうですね。えー、と」


 それなのに、なぜか続きが出てこない。

 感極まっていると思ったのかもしれない。「時東さん?」と呼びかけようとしたアナウンサーを視線で制し、時東はカメラに向かって静かに口火を切った。


「五年前、僕は、縁あって芸能界に入り、ミュージシャンになりたいと願っていた夢を叶えました。そして同時に、『芸能人の時東はるか』になりました」


 時東らしくない語り口と、予定と違う内容に、スタッフの怪訝な視線が集中し始める。その戸惑いを意図的に無視して、時東は続けた。まだ時間はある。


「テレビの中にいる僕や、ライブ会場でステージに立っている僕は、皆さんに創り上げてもらった『時東はるか』です。その僕に対して、なにを求めるかも、なにを想像するかも、非難するかも、応援してくださるかも、やめるかも。すべて皆さんの自由だと思っていますし、僕がコントロールするものではないと思っています」


 嘘でも建前でもなく、それは本音だった。本当に、そう思っている。

 商品である「時東はるか」に付加価値をつけるのは自分ではない。だから、なにを言われても構わないと割り切っているのだ。「時東はるか」は芸能人であり、生身の商品だから。しかたがない、と、そう。


「僕は、僕の歌いたいものを、伝えたいものをここから送ります。けれど、それはここにいる『時東はるか』です。皆さんが見ているのはオンの僕であって、オフの僕ではありません」


 スタッフだけではなく、観覧席がざわめいている。岩見が必死でカンペを上げている。あぁ、これは間違いなく怒られる。わかっているのに、時東は「時東はるか」の顔で、小さく手を上げた。


「長くなってすみません。あと一言です。あと、一言だけ」


 ほんのわずかに空気が緩む。けれど、時東は再び話し始めた。

 視界の端でアナウンサーが話を遮るタイミングを探っている。承知していたが、止めることはできなかった。


「職場や学校の自分と、家の自分は違いますよね。それと同じなんです。職場の人とプライベートの場面で遭遇すると、身構えたり、視線を逸らしたくなったりしませんか。オフの自分をオンの知人に見られたくないからですよね。侵食されたくないからですよね。僕も、それと同じです」


 だから、南食堂は大切な場所だった。

 食べ物の味がわかる唯一の場所だから、というだけでなく、あの店が、時東を時東個人として受け入れてくれたからだ。

 南は、時東をどうしようもない人間としか見ていない。真実は違うのかもしれないが、少なくとも時東はそう信じている。


「皆さんはオンの僕と繋がっていますが、オフの僕とはあたりまえですが、繋がっていません。僕にとって、オンが大切な時間であるのと同じように、オフも大切な時間です。だから」


 テレビ番組の企画で訪れた食堂に、時東はるかがよく遊びに行っている。

 そんな情報がファンのあいだで流れていることを、時東は知ろうとしなかった。少し考えればあたりまえにわかったはずのことを、見落とした。あの店では一個人でいたいという自分本位な感情を優先したからだ。

 その結果、自分を受け入れてくれた人と、その人の大切な場所を傷つけた。


「僕のオフの時間を奪わないでください。僕の落ち着ける場所を傷つけないでください」


 しんと静まった観覧席と、テレビの奥に向かって、時東は頭を下げた。

 この行為にどんな意味があるのか、どんな結果を巻き起こすのか。正直、なにもわからない。だから、これもまたひどく自己本位な行為だった。

 わかっている、知っている。けれど、許せなかったのだ。なにもできなかった自分が。これからもなにもできないだろう自分が。


 時東はるかの自称古参ファン、迷惑行為自慢で大炎上。

 岩見の言うとおりに検索をすると、記事は簡単にヒットした。当人がSNSに上げた写真や文面をまとめた記事は、流し読みをしただけでも気分の悪いものだった。

 時東はるかに逢いたくて田舎まで出向いたのに、なにも教えてくれなかった。

 サインも写真も断られたし、追い出された。何様のつもりだ。

 あたしたちを受け入れないなら、こんな看板も店もいらないでしょ。

 意趣返しというよりも、八つ当たりとしか思えない暴挙だった。

 スプレーで大きなバツ印を吹きつけた暖簾と玄関。その前で笑顔でポーズを取るふたりの少女。

 その写真を見たとき、どちらが何様だと思った。ふざけるなと本気で腹が立った。あそこはあの人の城で、あの人のものなのに。

 この子どものものでもなければ、時東のものでもない。あの人が譲り受けて、あの人が守っている、あの人の家だ。


 そのあと、自分がどうやって歌ったのか、時東はまったく覚えていない。


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