第31話 囀りの階段(3)
「……ジョゼットさん。あなたはエルーゼを、俺が好みそうな少女像に育て、自身の魂を少しずつ移し……。さも病気のように、衰弱死した。そして遺書と遺品で、俺と再会できるよう仕向けた……」
「……ええ」
「さっきあなたは、誤算が一つ……と言いました。ですが、もう一つ、ありましたよ?」
「もう……一つ?」
「あなたがエルーゼの、本当の母親になっていたことです」
「ええっ……?」
ぐすっ…………。
……えっ?
「……ジョゼットさん。あなたはエルーゼを引き取り、育てるうちに……。本物の親子の愛情に目覚めた。そうですね?」
「い、いえ……。そんな……。わたしは一人の少女の思春期を奪った罪人。そのような感情は、みじんも……」
「ですが愛情もなしに、エルーゼのような無垢で伸び伸びとした間抜けな少女は、育たないと思うんです。子育て未経験の俺が言っても、説得力ないでしょうが」
……師匠っ!
間抜けはよけいですっ!
「エルーゼの奥に潜んでいたあなたに、見えていたかはわかりませんが……。あの噤みの小箱の合言葉『おかあさん』を言い、ピュア・ブラッドの意味を知ったときの、エルーゼの心の震え……。あれは、ただ利用するために育てられた娘のものだったんでしょうかね。果たして」
「あ、あの合言葉と、ピュア・ブラッドは……。きみに、わたしの娘だと信じ込ませるための仕掛け……。小道具に、すぎないわ……」
「そもそも、そこからおかしいんですよ。俺にエルーゼを押しつけるなら、わざわざジョゼットさんの娘だって名乗らせる意味がない。俺たちは確執あるまま袂を分かったのだから、デメリットしかない。だとすると……」
だとすると……。
な、なんですか……師匠……?
「これがわたしの自慢の娘だ……って、俺に紹介したかったんでしょう? 確かにはじめは邪な企みで、血縁を捏造しやすい同姓のエルーゼを引き取ったのかもしれない。身元がバレにくい片田舎へ移り住んだのかもしれない。けれど育てていくうちに……いつしか本物の、母子の愛情を抱いた」
「そ、そんなことは……決して……」
「……わかるんですよ。なぜなら俺も、あなたに六年間育てられた弟子ですから!」
「…………っ!」
あ、ああ……。
そう……そうだわ……。
この人に、長年育てられたのは……わたしも師匠も……一緒……。
師匠は、陰気くさくて、口悪い、人間ダンゴムシ……。
わたしは田舎くさくて、垢抜けなくて、キスもきょう初めて経験した子ども……。
だけど……でも……。
この人に……立派に育てられてるっ!
その自信は……肉体を奪われているいまも、揺らがないっ!
「そして俺に、この噤みを解いてほしいと、エルーゼを託した。エルーゼという錠から、あなたを取り出すのではなく……。あなたという錠から、エルーゼを取り出すためにっ! 合言葉はこの……俺とあなたの対話ですよっ!」
『……ううん。合言葉は師匠との、対話だけじゃない……』
「えっ……? エルーゼ? エルーゼの声が……体の内側からっ!」
『二段階ロック……。わたしとの対話が、二つめの合言葉よね。おかあさん……』
「あ、ああ……! エルーゼ……!」
『ねえ、おかあさん。わたしいま、おかあさんの料理の味……思い出してるよ。わたしの口の中に……蘇ってるでしょ? 「叔母さんの料理は村で一番味が薄い!」って、何度も困らせちゃったけれど……。あれが、おかあさんの味……だったんだよね。わたし……いまになって、やっとわかったよ。ごめんね』
「ぐすっ……。うっ、ううっ……エルーゼ……」
『勉強、学校の先生の教え方が悪い……って、よく復習させたよね。学校終わって、また家で勉強……って、むくれたことも多かったけど……。おかあさんの教えかたのほうが、ずっとずっとわかりやすかった。「叔母さんの教えかた上手!」って言うと、うれしそうににっこりしてたよね。眼鏡の奥で、下弦の月のように目を細めて……こんなふうに』
「うっ……あぐっ……。瞳を閉じさせないで、エルーゼ……。涙……堪えきれなくなる……わ……ぐすっ……」
『日に日に衰弱していく、ベッドで寝たきりのおかあさん……。世話するわたしに、いつもいつも「ごめんなさい」って……。言わないでって、その都度返してたけれど……。あれ、わたしの体を……奪おうとしていたことを……謝ってたんだね』
「ごめ……ぐすっ……ごめん……なさい……。エルーゼ……」
『だから謝らないで……って。それよりも、わたし……。おかあさんがこうして、わたしの中で生きていてくれたことが、本当にうれしいのっ! 謝らないといけないのは、わたしのほう……。最期まで「叔母さん」って呼んで……本当にごめんね、おかあさん。いままで呼べなかった分、たくさんたくさん、おかあさんって呼ぶから……。ずっとずっと、わたしの中にいてね……おかあさんっ!』
「エルーゼ……! ああっ、わたしの最愛の娘……エルーゼ! うあああぁんっ!」




