第19話 開錠屋レン(2)
「……つまり、裁判所から保全命令が出ている噤みの金庫が、留守中に何者かに開けられて、中身を盗まれた……と。そういうわけですね、マーサさん?」
「まあ白々しいっ! 夫とグルになって、盗難事件をでっち上げたくせにっ!」
「……まあまあ、落ち着いてください。金庫が破られたのは、きのうの午後二時から三時の間……ということでしたね。その間わたしたちは仕事で、ガリ・ブダリューさんのお宅を伺っていましたよ」
「えっ? ブダリュー伯爵の?」
「確認してもらっても構いません。ああ、先ほど謝辞の電報も届きましたよ。こちらです」
「あ、あら……そうでしたか。伯爵のお知り合いならば、信用できますわ」
えーっと……。
このオバ……ご婦人、マーサ・グーシーさんの話をまとめるとこうね。
マーサさんは旦那さんと不仲で、離婚協議中。
富裕層で財産も潤沢だから、お互いの取り分で大揉め。
結論が出るまでは家庭裁判所の勧めで、資産のほとんどを保管している自宅の金庫に、噤みの錠をかけることに。
施錠者は裁判所から派遣された、国家公務員の職人。
物理の鍵は旦那さんが管理し、マーサさんが合言葉を設定。
どちらか一人では、金庫を開けられない状態に。
ところがそれから数日経ったきのう、マーサさん宅へ泥棒が侵入。
金庫を開けて、中の物をごっそり持ち去った。
警察は窃盗事件として捜査を始めたけれど、マーサさんは旦那さんが解錠師と結託して金庫を開け、財産を独り占めしたと睨んでる。
……で、午前中は裁判所派遣の職人を問い詰め、午後はうちに来たってわけね。
あっ、ピッキング用の道具見られたら、せっかく晴れた疑いが再燃するかも……。
さりげなく、わたしの体で隠して……と。
「裁判所派遣の職人はこういった場合、合言葉として文字をいくつかランダムで設定させます。マーサさんのケースも、同様でしたか?」
「はい……。適当な四文字を設定しました。たった四文字で大丈夫なのかという不安もありましたけれど、組み合わせが膨大だから大丈夫、とのことでしたので……」
「仮に『あ』から『ん』までですと、濁音や半濁音を含めない場合、四十六文字。四文字の組み合わせならば、それの四乗ですから……約四百四十八万通り。仮に二秒に一度合言葉を試したとしても、最悪一カ月近くかかる計算です。もちろん、運良く一発目で成功することも、なくはないですが」
師匠計算速っ!
「ああ……はい。そんな感じの説明を受けましたわ」
「一応お聞きしますが、その四文字をメモに取ったり、口にしたり……は?」
「いいえ、断じて! 警察にも言いましたが、合言葉は推測できない適当なもので、口にも文字にも一度も出していませんっ!」
「……となると、『推測できない合言葉』を推測された可能性がありますね」
「はい?」
「推測されやすい言葉……例えば『たべもの』『のみもの』といった単語、『おはよう』『おやすみ』といったあいさつ。そういう意味を持った四文字を除外した文字列に的を絞って、解錠を試みる手口もあるんです。ベテランになると、その人の口調からおおよその見当がつくとか」
「まあ、怖い……」
「裁判所仕えの職人はわたしども専門家と違い、数ある資格のうちの一つとして、施錠や解錠の技術を身に着けます。ですから噤みの合言葉は、せいぜい四文字くらいしか設定できないんです。さらなる万全を期すならば、今後は専門家への依頼が無難ですね」
「そうでしたの……。四文字の合言葉では、用心不足でしたのね」
「まあ、いまは解錠師よりも探偵へのご相談をお勧めします。金庫に貴金属や権利書の類があったならば、近々ご亭主が換金されるでしょうから」
「わかりました。さっそく夫に、探偵を張りつかせます。お騒がせしました」
「エルーゼ。マーサさんをお見送りして」
「……あ、はいっ! 足元、お気をつけください」
──ドスドスドスドスッ!
うわあ、すごい足音。
でも、音はすごいのに、わたしのときみたいに「みしみしっ」って軋まないのは……なぜ?
「……師匠、マーサさん送ってきました」
「そうか。ふわあああぁ……いまのですっかり目が覚めちまったし、ちょっと歩いてくるか。おまえは留守番兼ピッキングの練習だ」
「お出掛けですか? どちらへ?」
「……いまの金庫破りの犯人に、ちょっと心当たりがな。確認してみる」
「あっ! でしたらわたしも、お供しますっ!」
「……そう言われないよう、わざわざ『犯罪者に会いにいく』と言ったんだがな」
「だって今回も、噤みの錠絡みじゃないですかっ! わたし、噤みの錠に惹かれて師匠に弟子入りしたんですっ! きのうみたいに、わたしの助言がお役に立てるかもしれませんし! あはっ!」
「……フン、勝手にしろ。なにかあっても守ってはやらんぞ」




