第16話 ワインは万斛の蝋涙の如し(10)
……ふう~。
夕暮れ時の外の空気、ひんやりしてて気持ちいい~。
立派なお屋敷に長くいたから、緊張で火照ってたみたい。
ともあれわたしの初仕事、無事完了っ!
「……やれやれ。不出来な弟子のせいで、荒稼ぎし損ねた」
「あはっ、いいじゃないですか! ガリさんよろこんでくれましたし」
「まあ、開けないのが正解……って錠は、初のケースだった。いや、俺が気づけなかっただけで、過去にあったのかもな」
「ですです。合言葉に故人の思いが込められているなら、継いだ人がそれを推し量るべきですっ! 解錠師の出番は、そのあとかと!」
「鍵穴の相手ばかりしているうちに、視野が狭くなっていたかもしれん。この堅っ苦しい格好から早く解放されたいって急きも、ぶっちゃけあった。自省せねば」
……ほっ、よかった。
師匠、怒ってないみたい。
いつもの不愛想な顔だけど、気持ち笑顔に見えるような……。
……ん?
師匠の視線、わたしの顔じゃなくって、ちょっと下……。
……ああっ!
メッシュの胸元見てるぅ!
「師匠っ! いまわたしの胸、見てましたねっ!? いやらしいっ!」
「みっ、見ていないぞ、そんなものは! 俺が見たのはその、胸元のホクロだっ!」
「胸元って……やっぱり胸見てるじゃないですかぁ! それに『そんなもの』って言いかたはないんじゃ…………って、ホクロ?」
「あ、ああ……。ジョゼットさんと同じ赤っぽいホクロが、たまたま目についたからな……。おまえとジョゼットさん、やはり親子なのかも……と思ったまでだ」
「胸元に……赤っぽいホクロぉ?」
えっ、そんなのわたしにない。
まさか……乳首見えてるっ!?
いやいやちゃんとコーディネーターさんに、ニップレスしてもらったし!
……………………。
……ある。
申し訳程度の胸の谷間に……なにか赤っぽい点が、ある。
虫刺され……?
……じゃない。
これちゃんとしたホクロ。
こんなところに、こんな目立つホクロ……あったかなぁ?
うーん、自分の体しっかり見たことないから、なかったって断言できない……。
でも確かに、おかあさんのホクロに……よく似てる。
「……なっ? あるだろ、ホクロ」
「だからぁ……! いやらしい目で、見ないでくださいぃ!」
「みっ、見たくて見てるわけじゃないっ! そもそも見せたくないなら、そんな胸元開いた服借りるなっ!」
「これはわたしが選んだんじゃなくって、貸衣装屋のコーディネーターさんが選んでくれたんですよーだ!」
「センスの欠片もないコーディネーターがいたもんだ。おまえと同じ、新米だろう」
「きっと、先見の明がある人だったんですよー。お嬢さんなら、こういう大胆な服もすぐに着こなせるから、慣れておきなさい……って。あっ、どうせすぐに似合う女になるんですから、いっそこの服買い取っ「ダメだ」
「あうーっ! またそうやって口を噤ませるぅ! 師匠が得意なのは解錠じゃなくって、施錠じゃないんですかぁ!?」
「…………フン。ところでエルーゼ、あの二枚目の扉……な。おまえ、合言葉の見当、ついていたんだろう?」
「あっ、わかりますぅ!? わたしでもすぐ解けたから、ガリさん本人に考えてほしい……って、思ったんです! そういう師匠も、察しついてますねぇ?」
「ま……二、三日中に『自力で解けた』という電報が届くだろうな。ひょっとすると、いまごろもう解いているかもしれん」
「じゃあ、その合言葉……。師匠と弟子で、一緒に言いましょうか! せーの! お・と・う・さ・ん!」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
「……ど、どうして一緒に言ってくれないんですかぁ! わたし、ただのお間抜けになっちゃったじゃないですかぁ!」
「知るかっ! つーか、元から間抜けだろーがっ! この話はもういいから、帰りの馬車拾ってこい! 俺は疲れた……ちょっと寝るっ!」
「えっ? 寝るって……ここ、街中ですけど……」
「すうううぅ……」
ぎゃあああぁあああっ!
歩道の真ん中で、ダンゴムシポーズ決めてガン寝始めたぁ!
この人の神経、いったいどうなってるのぉ!
えっと……馬車……馬車どこで拾えるのおおおぉおおおっ!?




