第11話 ワインは万斛の蝋涙の如し(5)
はあああぁ……。
依頼者さん家、外観も絵本の小城みたいだったけれど……。
広間もすっごく広くて立派!
ダンスフロアみたい……見たことないけれど。
ここだけで、わたしんちの一フロアより広いよね……。
真っ白な壁、真っ赤な絨毯、長~いテーブルには高価そうな燭台がズラリ……。
ここがわたしの解錠師(見習い)としての……初の現場。
不足なし……っていうか、過分っ!
「……エルーゼ、きょろきょろするな。馬車の中で飽きるほど、首を振っただろう」
「あ、あれはしかたないですよう。旅客用の馬車乗ったの、初めてでしたから……。故郷じゃあ農作業用の馬車だって、『人間積むのもったいない』って、めったに乗れなかったんです」
それに……完全形態の師匠が、向かいに座ってるんですもん。
目のやり場なくって、窓の外きょろきょろしちゃいますよぉ。
おまけに貸衣装とはいえ、こんな立派な純白のワンピース着られて……。
浮足立つなって言うのは無茶ですぅ!
あとこのワンピース、胸元がメッシュで……恥ずかしいっ!
胸の上半分が透け透けっ!
こんなの着てる人、一度も見たことなかったのに……まさか自分が着るなんてっ!
貸衣装屋のコーディネーターさん……意地悪っ!
「想像以上の田舎から出てきたんだな。なんだってジョゼットさんは、そんな隠遁生活をしていたのやら……」
「師匠が知ってるおかあさんは、どんな人だったんですか?」
「……また今度な。仕事中だ」
「む~! 自分から名前出したくせにぃ!」
あっ……と、高そうなスーツ着たおじさんが、こっち来る……。
あれが依頼者さんかしら……。
「主のガリ・ブダリューです。お待たせしまして、申し訳ありません」
ちょっと小柄な、オールバックの紳士風壮年男性。
いわゆるイケおじなんだろうけど、わたしは管轄外かな。
「解錠師の、シアラ・シュダスキーです。こちらは弟子の…………おい立て!」
「あ、はいっ! え、えっと……弟子の、エルーゼ・ファールスですっ!」
「……間抜けが」
はわわわわっ!
そう言えばこういう場面では、座ったままは失礼って、おかあさんから教えられてたっけ……。
田舎は座ったままで話せる大人ばかりだったから……油断。
「はははっ、初々しいお弟子さんですねぇ。どうぞ、楽にしてください。馬車を降りてすぐに仕事……というのも性急ですから、まずはこちらのワインを、一口どうぞ」
「……急に訪ねたわたしどもに、厚いもてなし。痛み入ります。エルーゼ、遠慮なくいただこう。座りなさい」
「は、はい」
う~……師匠ってば、こういう場に慣れてる感じ。
解錠院のソファーの上だと、でっかいダンゴムシなのに~。
んー……あれっ?
ガリさん、カートで運んできたワインを変な容器に移し替えてるけど、いったいなにしてるんだろう?
こそっと師匠に聞いてみよ……。
「……師匠。あれはなにをしてるんですか?」
「田舎娘は、デキャンタージュも知らないのか……。古いワインは味が固くなっていることがあるから、ああやってデキャンタという容器に移して空気になじませ、味を柔らかくしているんだ」
「へぇ~。あれはデキャンタージュで、移す容器はデキャンタ……」
「エチケットの銘と年、そして香りから察するに、半時間はかかるな」
「ええっ? そんなにかかるんですかっ!?」
「シーッ……。俺たちはアポなしで訪ねたんだ。向こうにも、いろいろと準備をする時間が必要。これは向こうなりの時間稼ぎ。黙って合わせるのがマナーだ」
その気遣い、わたしが訪ねていったときにも欲しかったです……くすん。
……って、アポなしで訪ねたの、わたしのほうだっけ。
「……シアラさん、エルーゼさん。ワインが開くまで、しばしお待ちを」
「一五七七年ガルツァ産『潮騒の踊り子』……ですか」
「……お見事! あ、いや……これは申し訳ない。ブラインドテイスティングじみたことを、させてしまったようで。『潮騒の踊り子』と言えば、思いだされるのがこの言葉。『唯一とは、最後でもあり、最低でもある』……」
あっ……。
師匠が今朝、言ってた言葉……。
「そのワイナリーの開祖、ギチェル・グラムの金言ですね」
「さすが、よくご存じで。ワイン空白地帯へワイナリーを築き上げたギチェルはそう言い、広大な農園の一部を、無縁の後進たちへ無償で貸し与えました。市場の独占に意味はない。同業で切磋琢磨し、この地のワインの質を高めていかねば……と」
「しかしギチェルは結局、生涯その先頭を走り続けることに。今わの際に『踏む影がないのは、探究家にとって最大の不幸である』という恨み節も遺していますね」
「ええ。金言集に載せられる言葉は、一人一言が慣例。ゆえにそちらはあまり知られていませんが、後者を推す人も少なくありません。いやあ、きょうこそは、あの扉が開きそうな気がしますよ」
……あの扉?
それをこれから、師匠……とわたしが解錠するのかしら?




