禁忌の地に足を踏み入れて、解読を始めた
ー『それでは、これから禁忌の地をご案内してもよろしいでしょうか?』
『わかった、任せた。』
大長老からの話では、最初に私を禁忌の地へ案内したいとのことだった。私としては、現状報告が重要だけど、大長老の様子を見るととても急いでいるようなので、なんらかの理由があるだろうと、とりあえず案内については了承することにした。
早速大長老は、私を連れて祭壇を出た。その後、さらに護衛として戦士複数名を同行させて、集落の中心部を出た。
『禁忌の地は初耳だけどな、どんなとこなの?』
ー『禁忌の地とは、我々ボアスア族はもちろん、我々が知っている周辺の他族も持っている、もしくは持っていた場所です。』
『持っていたとは?禁忌の地って無くしたりするような場所なの?』
集落の中心部を出て、太陽の方角から推測しておそらく東の方向に移動しながら、大長老は禁忌の地について話し始めた。
ー『詳しくご説明したいところですが。実はボアスア族の禁忌の地のことに関して、私をはじめ、今現在部族いるものは、誰一人実際に見たことがありません。』
『!??』
ー『私たちボアスア族に関しても、おそらく他族に関しても同じですが、禁忌の地とは、代々一族の「巫覡」のみが踏み入れられます。言わば神様が巫覡のために用意した屋敷のような場所です。』
『つまり、巫覡にさえなれば使えるってこと?』
ー『厳密に言うと、巫覡とは、神様からのご神託を預かる存在であるため、神様からのご神託の指名によって就任した存在です。ですので、ご神託の指名なしに、仮に誰かがその巫覡の座に就任したとしても、厳密な意味でいう巫覡にはなれません。当然、禁忌の地には入れませんし、入り口の場所すらわかりません。』
『なるほど。では、どうして入り口の場所すら分からないはずの大長老が、こうして私をボアスアの禁忌の地に連れていけるの?』
ー『本来は、巫覡代々の伝承により受け継がれる禁忌の地の情報ですが、残念ながら先代の巫覡が生きている間に、神命による後任の指定がありませんでした。しかし、代わりにこの先訪れるかもしれない神の代理人様のために、先代の巫覡が遺言とともに場所の目印を教えてくれました。そして、神の代理人様が訪れた暁には、素早く、迅速に、真っ先に、直ちに案内するようにとも言われました。その目印まで私がお連れしますが、そちらに存在するであろう禁忌の地の入り口に関しては、神の代理人様の目でしか確認できません。』
先ほどと比べ、大長老はかなり説明がわかりやすくなってきた。ひょっとしてあれかな、さっきまでは大長老も緊張してて思考回路に言葉が追いつかなかったかもな。それにしても、素早く、迅速、真っ先、直ちにってなんなの、要するに「私が現れたら問答無用で連行せよ」じゃないか。ひどいな。神の代理人である私の意向を完全無視じゃん。何が神の代理人だ。
そして、説明を受けてさらに疑問が生じた。
『でも、神託を預かる存在だったら、場所が分からなくても、神は神託で教えてくれるじゃないのか?』
すごく単純な疑問だ。だって神託を預かる存在である以上、そもそも場所が分からなかったら神は教えてくれるはずだ。
ー『申し訳ございません。確かにおっしゃる通りかもしれませんが、残念ながら私は巫覡ではございませんので、その理由がよく分かりません。そのため、ご満足いただけるような回答がございません。しかしながら、関係しているかどうか分かりませんが、一つ私が認識していることを申し上げます。現在、ボアスアを含め、周辺部族の中で、巫覡の継承が途絶えてから再び巫覡が現れた例は、今のところ神の代理人様だけです。』
『!!!…そうなんだ、それはまた不思議なことだ』
ー『はい、私を含めボアスアの民は皆神の代理人様を神様からの恩賜だと思っております。先代の巫覡のご逝去後、長い間私たちは絶望の闇に包まれましたが、七日前に神託剣が光初めて以降、再び希望に満ち溢れるようになりました。』
『……ははは、それはよかったね。』
うっ、まさか私が指導教授からチケットを受け取っただけで、ここの民たちを絶望から希望へ連れて行けたのね、しかも時空を超えて…私ってすげぇ…。
しかし、いつまでも神の代理人という称号で呼ばれても、先ほどの祭壇のような公の場では構わないが、ここは護衛の戦士以外は誰もいないので、私としては名前で呼び合う方が楽だけど。仮にそれが神命であれば仕方ないが、とりあえず聞いてみよ。
『そういえば、私のことは、神の代理人様と呼ぶように神託で指示されたのか?』
ー『いいえ、そのような指示は先代の巫覡から受けておりませんが…』
『だったら、私の名前で呼んでもいいよ、私はナオ・エ・ジャヴァイアンナ・ネ・ジョンホアだ。大長老の名前を聞いても?ちなみに、ジョンホアとは私がいた時代のボアスアのことだ。』
今まで生きた中では、あんまり使うことのなかった「フルネーム」を、大長老という格の持っている相手には丁寧な意味を込めて使った。
ちなみに、「エ」は名前と氏族名の間に、「ネ」は氏族名と出身地の間におく属格を現す修飾語である。私はジョンホアで生まれたので、ジョンホアを出身地としたが、私がいた現代では、確認できる先祖代々の出身地とする人もいた。
ー『ジャ、ジャヴァイアンナだと…ボアスアだと…これもまた神様の奇跡とも言えましょう。私は、アクワヌ・エ・ジャヴァイアンナ・ネ・ボアスアと申します。まさかここで未来の子孫と出会えたとは、神様にはいくら感謝しても感謝しきれません。』
『私もまさかここでご先祖様と会えるとは思いませんでしたよ、アクワヌさん、これからもよろしくお願いしますね。大長老と呼ぶのは、公の場だけにしますね。あと、私のこともナオと呼んでください。』
ー『ナオ様、よろしくお願いします。私も今後は正式の場以外では、こうしてお名前でお呼びします。』
チョ族の伝承によると、一族は「始まりは海、次第に山へ」移り住んだので、フォルサの先住民族の歴史を紐解くと、今山岳地帯に住んでいる民族は、皆本来はこの島の沿海部、もしくは平野地帯に住んでいたと推測されているので、実証とまでいかないが、十中八九、このボアスア族が後にチョ族となる運命を辿った民族だろう。
それに、ジャヴァイアンナはチョ族古来伝わる氏族であり、その中でも「名門」と言われているため、「大長老」のアクワヌさんとは直系でなくてもかなり近い血縁関係を持ってることは言うまでもない。
直系であれば、私としてはむしろ後生である私のほうが敬語を使い、アクワヌさんは使わなくていいと思ったけど、しかし私が「神の代理人」という「大長老より上の」立場である以上、血縁関係よりこの立場のほうが重要である。まあ本当の直系である証明は遺伝子検査のできないこの時代では神のみぞ知ることであろう。
しかし、私がこうして過去に戻ったことによって、ボアスアを全く異なる運命へ連れていくのであろう。また、今この時代にいる私が、これから立ち会うであろういくつか確定された「歴史」の瞬間のため、私が今までの人生で積んできた知識や経験を、何一つ無駄にならず確実に活かしていけるだろう。実際に経験してみると、やはり神様って本当にいるんだな。
〜〜〜
ー『ナオ様、禁忌の地につきました。』
『アクワヌさん、ありがとうございます。』
案内されて辿り着いた場所は、集落からすこし離れた、山の近くにあった砂地。すぐ近くには小さな川が流れていて、その周りは草原と湿地しかなく、屋敷ところが家屋すらないのだ。
そして目の前に私の膝までの高さのある小さな石柱があり、そのすぐ後ろに、少し地面から浮いているこれもまた直径2メートル強の白い円形の霧状のものがある。ひょっとしてこれが、入り口ってものかな。
ー『ナオ様、私の目にはこちらの石柱以外、何も見えておりませんので、もし石柱の近くに何かがあれば、きっとそれが入り口です。どうぞお入りください。私たちは外にいます。』
『アクワヌさん、わかりました。では入ります。』
一言断ってから、私は白い霧に手を伸ばした、そしてその瞬間全身が白い霧に包まれて、一瞬にして目の前の景色が変わり、白い空間が目の前に広がっている。
その後、白い空間の中から次々といろんなものが現れたというか出てきたというか。書類だったり、器具だったり、とにかく色々ある。
でもちょっと待って、書類って、書類らしきものって、確かにまだ宣教師によって文字が伝わっていないはずじゃなかったっけ?書類があるなんて矛盾でしかない話だ。
不思議と思いながら、私は書類らしきものを手に取り、そして一枚ずつ確認した。
これは、今まで一度も見たことのなかった文字だ。いや、似たようなのはあった、古代のティニスや、もう少し後にできた大陸のグラ族、のちのハン族が使っていたような、象形文字の系統だ。
しかも紙のような書類に書いてあるものもあれば、絹布、木簡、竹簡、鉄器、青銅器、石器など、さまざまな媒体にこの文字が刻印されている。
そういえば先代の巫覡はこれが読めたのか?でも大長老は、巫覡を含めて「文字」とは何かは知らなかったと説明したけどな。
まあ、先代の巫覡に関しては本人に聞くすべを持ってないので一旦置いとくとして、未知の文字の解読に関しては、仮にも大学で言語学を専攻した私にとっては、そこまで難しいものではないはず。
まあ完全にどこかの知らない民族の文字だったら絶望的かもしれないが、とりあえずここはボアスアの禁忌の地である。つまりこれらの書類に書かれた文字は、おそらくボアスア族が使うバブサ語の文字だと推定できる。
次に、これが象形文字だけど、必ずしもハン族が使うハン文字のような、表意文字にしかならないようなことはない。イングラン語文字やムアンタイ語文字のように、表音文字に変化したケースもある。
仮に表音文字である場合、今度は、母音と子音を分けたうえ、ハンクック語のような四角く組み立てたものもあれば、母音と子音の区別を明確にしないものの、一定のパターンが見られるイングラン語やネーデルランド語のような横並びのものもある。さらに、母音を書かないアンミヤ語とか、色々あるので考え出すとキリがない。
とりあえず四角く組み立てていないようなのでハンクック語のパターンではないけど、ネーデルランド語パターンなのか、アンミヤ語パターンなのかは、実際に文字の発音を推定しながら解読していくうちにわかるはず。
ありがたいことに、単語の間に空白、そして文と文の間には句読点のようなものが入っている。これで文構造と品詞の推定ができる。そしてボアスア族のバブサ語はVSO型(動詞ー主語ー目的語)またはVOS型(動詞ー目的語ー主語)の言語なので、動詞が一番先に来る。主語と目的語に関しては重要部が一番左にくる構造を持っている。あとは残りの品詞の種類を区別して、その中から特に格助詞、接続詞、接辞などから先に特定していくのだ。これらの品詞はパターンが限られているので、そこから発音の解読をすることがしやすいのだ。そして私の予想通りに発音の解読が順調に進めば、あとは時間の問題だけ。
まあ独り言が多くなったけど確実に解読を進めている。確かに前から私は独り言が多いが、なにせ大学に入ってから一人の時間が実家にいた頃よりだいぶ多くなったからだ。
その時は、朝の開館から夜の閉館まで、一人で学校の図書館に籠り、お腹が空いたら食堂に移動し、授業があれば教室に行くけど、それ以外はずっと図書館にいたのだ。
あの時はイングラン語と言語学、そして先住民族史を本格的に学び始めた頃なので、全ての知識に貪欲で、まるでブラックホールのように、図書館にあった本を片っ端から読み進み、とにかく何もかも取りこぼさないように飲み込もうとしたのだ。
おかげで、その後大学院生になってからの研究生活では、基礎的な知識に困ることなくすぐに独自研究ができるようになったのだ。指導教授から聞いたけど、私は研究室内では「二つ名」をたくさん持っているようだ。歩く言語スパコンだとか、教授の指導教授だとか、愛を言語に捧げた女だとか、まあ今はこうしてここで謎の文字を解読することができるので、納得するしかないよね。
特に最後の方が揶揄としか思えないが、私はこれで幸せだし、別に今まで彼氏を持っていなかったわけでもなく、いやあいつは果たして彼氏っていえるの?まあとにかく私は今幸せです!
さあ、解読を続けよう。
言い回し、誤字脱字、文法の誤り、表現の改善などがあれば感想や誤字報告に書いていただくととても嬉しいです。