私のこれまでの人生は、研究の一筋だった
私の名前は、「ナオ・ジャヴァイアンナ」。23歳で、フォルサという島国の首都大学で大学院生をしている。
この国では、私の名前は少し珍しいのだ。というのも、この国の98%はハン族で、ハン族は基本的には苗字1と名前2の3音節で命名しているからだ。
もちろん私も生まれた時に両親によってハン族らしい名前をつけられていたが、この国の先住民族運動によって、先住民族の命名法による戸籍登録も認められるようになったので、私も成人とともに自分の意思で先住民族の名前に改名したのだ。
ちなみに名前がナオで、苗字がジャヴァイアンナ、この国が認めている先住民族のうちの、比較的人口の少ないチョ族の血を受け継いでいる。「ジャヴァイアンナ」はこのチョ族古来伝わる8大氏族の一つで、私はその子孫に当たる。
母は、ジッブンという国の父とハン族のバナン支族の母を持つハーフで、私の名前をつける際は、あえてチョ族でもよく見られる女の子の名前で、かつジッブン語でも読みやすいナオを選んでくれたのだ。
父は、純粋なチョ族かというと実はそうでもなく、チョ族の父とハン族のハカー支族の母の間に生まれた子で、父を含めて兄弟は全部で3人いる。
そして私の上には3歳差の兄、下には年子の妹、そして3歳下で末子の弟がいて、実家はなぜかバナン式の伝統的な大家族用の住宅であり、今は両親と祖父母、そして叔父叔母など親戚一同の大所帯で暮らしている。
私たち兄弟は、実家から離れてそれぞれ一人暮らしをしており、3歳上の兄は昨年大学から交際を続けた彼女と結婚して、今は私と同じくダイバ市にいる。私は時折近況報告を兼ねて兄と奥さんと食事をして、毎回兄は私の将来を心配してくれるのだけど、別に私は研究に没頭して幸せだけど…。
すぐ下の妹とは、私が実家から出るまでは常に一緒に行動した程の仲良し姉妹だった。今でもお互い実家に戻ればお互いの些細な近況報告で盛り上がる程だ。ちなみに妹には彼氏がいるけど、えっと今何代目だっけ?とにかく会うたび彼氏が変わるので、姉としては迂闊に前回の話の続きをと言えないのだ。ちなみに今はギーランの大学を卒業し、そのままギーランで就職して一人暮らししている。
3歳下の弟は、小さい頃から私たち仲良し姉妹を含め親族全員に可愛がられながら育ったので、とても世渡り上手で、そもそも頭も兄弟の中で一番賢くて、大きくなってからはよく親族の仲裁役を任される。まあ賢いより前に、こんな可愛い弟に仲裁でも入られたら誰も牙を剥くようなことしたくないし人選としては最適に違いない。そんな弟は今はゲヒョン市の国立大に通いながら、卒業後べー国の大学院に入学する準備をしている。
まあまあ兄弟はこんな感じで、そして両親と祖父母の出身からも推察できるように、子供の頃から、家の中と近所では、チョ族語とハカー語、バナン語、ジッブン語が飛び交い、学校の授業ではフォルサの公用語であるフォルサ・ハン語を使っている。
最近になってようやく全ての民族言語が公用語に並ぶようになったが、歴史的な理由で、公文書に関しては結局フォルサ・ハン語を継続して使用することに。
そもそもこのハン族という民族は、3百年ほど前から、隣の大陸から断続的に大量に押し寄せてきた民族で、いわゆる異民族なのだ。
ただし、この3百年の間に、先住民族との婚姻などを経て、生物的な混血と文化的な同化がかなり進んでしまい、今では純粋な先住民族を探す方が難しいと言われるほどだ。うちの実家がなぜかバナン式住宅に住んでいるのも、混血とともにハン民族への文化的同化が進んだ結果としか言えない。
また私も、顔立ちからしては、だいぶハン族よりの顔をしているが、それでもハン民族よりは少し輪郭が濃いので、チョ族の遺伝の影響がまだ残っている証拠だ。
そして私を含めて、うちの家族の一部の人間にだけ、肌色がより白く、鼻がより高くなる現象が起きていて、長い間は家族の間では謎だったが、私が大学院の研究で読んだ昔の文献と、最近流行りの遺伝子検査を受けてみた結果を照らし合わせて、私なりの仮説を立てると、どうやらネーデルランドの血が混ざっているのではないかとのことだ。
過去に、ネーデルランドがフォルサの一部を領土とした時期があり、その時に私の先祖と婚姻関係か男女関係でもあったに違いない。
昔の文献では、ネーデルランド人がデン・モリ一族との戦争に敗れて、一部の将兵とその眷属がチョ族の地に逃げたと書かれてあったので、読んだ時にまさにこれだ!と思わず図書館の中で叫んでしまった記憶が、今でも脳内に鮮明に残っている。
そう、繰り返すが私は大学院生なのだ。大学院といえば研究、そして何を研究しているのかというと、フォルサの先住民族とその言語について、だ。生まれた環境が環境なので、5つの言語が喋れて、4つの文化と関わってきたせいで、高校の時に、言語と歴史文化に人生の全てを捧げたいと思った。文化は歴史の結果、歴史は文化の過程、民族と場所が文化の根源とも言われるからね、私は先住民族の文化に深く浸かりたくてしょうがない。
でも、研究文献の多くは、国際言語であるイングラン語で書かれていることから、私はそのために高校の時に必死にイングラン語を勉強して、無事に首都大学のイングラン語学科に入り言語学専攻を選んだ。
その甲斐もあって、先住民族に関する文献を思う存分に読める楽しさを味わえたのだ。
ちなにみフォルサの先住民族に関する文献には、過去にフォルサを統治したジッブンの学者による研究も大量に残っているので、ジッブン人の親を持つことでジッブン語も小さい頃に教わったため、特に難なく読めてラッキー!だね。
そして、私の実家が位置するジョンホアという街には、バブサ族のボアスア支族がいた。ボアスア族の言語はファボラン語に近かったのではないかと言われていて、だったらファボラン語を復元したいと思って、大学では言語学専攻を選んだ。
ファボラン語は、ネーデルランドの宣教師が残した一部の文献からしか情報がなく、復元するには近縁言語を頼りにするしかない。そして文献を読み進めて分かったのは、そもそもファボラン語のファボランとはファボラン族ではなく、バブサ族と敵対した民族が蔑称としてバブサに使ったのを、宣教師がそのまま誤って認識して、そして書き残したのだ。つまり初めからファボラン族は実在せず、バブサ族の支族が使ったバブサ語の方言のようなのがファボラン語として記録されたのだ。
おっと、また脱線した。
その後、近縁言語の情報を探している中で、偶然読んだ文献には、チョ族は古くは海に住んでいて、時代が下がるにつれ山に移動したこと、そしてバブサ語では自分たちの民族のことをチョと呼ぶこと、が記載されているのだ。
なんか不思議な縁を感じるー
まあ、そもそもフォルサには現存する十数の先住民族の言語資源、そしてファボラン改めバブサ語の文献、そして他にも消滅した複数の先住民族の言語で書かれた書類が残っているので、復元はそこまで大変ではない。
ちなみにフォルサの先住民族は、オーストシアという大語族に属しており、その大語族に目を向ければまさに比較言語学の宝庫だ。フォルサの南にあるフィリピナスやハワイキ東にあるグアハン、サワイキなども全て、バブサ語を含めフォルサ先住民族語の親戚言語である。
しかし、流石にここまで範囲を広げるとそれぞれの言語も当然のように色々通時的と共時的比較も必要なので、さらに膨大な時間を要することは想像通りだけど、まあいざとなれば私の言語愛に負けることなんてないから心配は不要だ。
これまでの輝かしい人生を思い出しながら、12月23日の今日も私は研究論文の執筆を続ける。
修士論文のテーマとは思えない期待の大作だ!と指導教授にかなり期待の目で見つめられながら言われたが、まあ私からしては当然のことだ。だってさ、なみの大学院生は皆大学から遊んでばかりだし、ろくに研究なんてせず、適当に楽チンな物をどっから引っ張ってきてテーマにして文字数を誤魔化してはい出来上がりって、あんな研究を侮辱する行為なんて私にはできない。
昔の昔、大学を出て学士号を取っただけでも「すごい!」と言われた時代もあったのに、今は世間における博士号の価値なんて紙くず同然で、ひどいインフレを見たものだ。
ああ悔しい、本当に悔しいけど、せめて私だけでも「ボアスア族バブサ語の再構」の研究論文を書き上げて、「修士号」の名誉を挽回してフォルサ先住民族の言語研究に一石を投じたい。
まさにこの情熱をさらに燃やそうとしたところ、ふっとパソコンの横においてあるチラシと入場券が目に入った。
指導教授から「ナオちゃんなら絶対行きたいと思ったから渡したよ、少しでも息抜きになればと思ってね、まあ結局行ったところでまた研究モードに切り替わるだろうと予測はできるけど」と、紹介のチラシと入場券をタダでくれた。
もらった時は、それこそ私も興奮しすぎて、一夜寝れなかったけど、結局ここ数日なんだかんだで用事があってまだ行けないでいる。
研究論文もほぼ書き終えたし、明日はクリスマスイブだけど予定もないし、よし、ここに行こう。
「先住民族歴史文化博物館特別展:バブサ族の歴史と文明展〜最新発掘品とともに〜」
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