四話 呼ぶ山5-2
「あの先に、何があるの?」
『山よ』
「知ってるわよ!」
先から抑揚なく答える花子に、華子は苛立ちを覚えて声を上げた。
照がキッと花子を睨む。
「変な妖怪でもいるっていうのか? それは、君の仲間なのか?」
『そうだって言ってたら?』
「美優紀を返せ……返してくれ! 直の心も……!」
『直君はちょっとびっくりしてるだけよ。此処の者達に関係ない』
「そんなことなんで分かる⁉」
穏やかそうに見えた照が声を荒げるのを見て、華子は体を竦めた。
それに、花子が小さく息を吐く。
『照、お願いだから、ハナを恐がらせないで』
「俺の家族はいいのか? 美優紀は? どうなんだ⁉」
今度は深く息を吐いた花子が、赤いワンピースの裾をひらりと翻した。
『だから、あたしが来たんでしょうが』
「え……?」
花子の瞳に浮かぶ感情は、哀しみのようにも、慈しみのようにも華子は思えた。
此処にいる者――それは一体何者なのだろう。
『山は、……いや、海は、人の中で存在するあたし達とは違う者達もいるからね。いつもみたいに、好き放題とはいかないわ』
花子でも手出しが難しい相手。それが何か華子は知りたくなった。
『ハナにも手伝ってもらわないと、今回は特に厳しい』
「えっ? わたしが花子を手伝えるの?」
驚く華子に、花子は苦笑した。
『ごめん、あたしは今、ハナがいないと動けないのよ』
花子がここまで来たのは、華子に取り憑いているからだ。
珍しく申し訳なさそうな花子に、華子は首を大きく縦に振った。
「やるわ。美優紀さんが危ないんだもん」
華子は直也を見る。
先から何かを呟く彼は、ただ一点だけを見詰めている。
好奇心はもちろんある。が、それ以上に、直也に悲しい思いをさせたくない。優しく、はじめて年上の友人と言える美優紀を救いたいと強く思った。
さらに、花子から手伝ってほしいと言われたことが素直に嬉しかった。
(いつも守ってもらってるんだもん。こういう時こそ、花子の役に立たなきゃ!)
力強く頷く華子に、花子は優しくも、やはり哀しそうな眼をしていた。
『ありがと、ハナ』
差し込む木漏れ日に、花子がふわふわと揺れている。
夜ではなく、しかも小学校の三階のトイレを離れて、花子の姿を見たのもはじめてだった。
暗がりで見ていた花子の顔よりも、しっかりと彼女の表情が窺える。
時折透ける幼い顔立ちは、大人びて憎らしいことを言うとは思えない可愛らしさで、花子が本当は直也と同じ十歳ほどの少女だと思わせる。
しかし、変わらないその体躯と赤いワンピースが、彼女は随分前にこの世から離れた存在で、お化けなのだと華子達に実感させるのだ。
ここは学校のトイレではないけれど、花子は間違いなく――
『そんなに見ないで。穴が開くでしょ?』
「へっ?」
そんなにじぃっと見ていたのだろうか。
花子が普段の呆れ顔で華子を見ていた。
(あぁ、やっぱ花子は花子だ。他の何者でもない、わたしの親友)
華子は思わず笑った。
『何よ?』
「ううん、なんでもない!」
怪訝な顔をしながらも、『あっそ』と答えた花子は、対岸を見据えた。
『照は直也君と先に帰ってて』
「えっ? ハナちゃんと花子さんだけで行くのか⁉」
『その子を一人にしておけないでしょ? それに、あたしは照に取り憑けない』
華子に視線を移した花子は言った。
『大丈夫。道はあたしが示す。ハナに無理をさせないわ』
照はしばらく息子と華子と、花子を見たが、やがて小さく息を吐き、頷いた。
「すまない。美優紀を……頼む」
「はい」
華子も頷き返した。
花子を見れば、彼女は軽く視線を伏せ、再度行く道を示した。
「まずは、あっち側に渡らないと」
横目に、バケツの中で直也が釣ったらしい魚が跳ねたのが見えた。
本来なら、ここで直也が釣った魚を見て、みんなで喜んでいたはずなのに――
その瞬間だけ、直也の声が華子の耳に滑り込んだ。
呼ばれた……
ハッとし振り返れば、直也は照の腕の中でぐったりとしていた。
さっきの声は空耳だったのか。
(美優紀さん、どうか無事でいて)
華子と花子は、対岸へ渡るための道を探し、歩き始めた。




