四話 呼ぶ山4-1
川幅はそれほど広くはない、まさに小川のそこは、光でできているようにキラキラと輝いていた。
サラサラと流れる水と小鳥の囀、そして蝉の合唱が、人の時とは違う時刻を奏でているようにも美優紀には思えた。
目の前では、息子の直也が近くのレンタル釣り具屋から借りた初心者用の釣り竿で釣りをしている。
スタッフの中年男性に『坊主、良い魚釣ったら、教えてくれよ』とにんまりと言われたものだから、直也は張り切っていた。
案外、魚のエサとなるブドウ虫も直也は平気で、自ら針に付けていた。できたと見せてきた直也に、美優紀の方が悲鳴を上げたくらいだ。
怪談好きな我が子は、大蜘蛛や大百足といった妖怪も好きだから、虫にあまり抵抗がないようだった。
(こんなところで、怪談好きが役立ってくれるなんて)
美優紀は内心で感心した。
そして、ふとスタッフの男性が言っていたことを思い出した。
『坊主のお母さん、一つだけちょっと気を付けてね。呼ばれても、決して返事をしないこと』
『え?』
『なぁに、よくある迷信っていうやつですよ』
怪訝な顔をする美優紀に、男はにっこりと優しく微笑んだ。
直也が『はやく! お母さん!』と急かしたから、詳しくは聞けなかったが、スタッフのちょっとした悪戯心だったのか。
(こういうところって、まだそういったことを信じている人もいるのね)
水面を見据えて、じっとしている直也を見て、美優紀は思う。
正直釣れなくても直也が満足してくれならば、と美優紀は思っていたが、直也は水面に目を凝らし、真剣だった。
さっきのレンタル釣り具の件だけでなく、父親に言われたことも、直也の闘争心のようなものに火をつけているのだろう。
『お母さんとハナちゃんに、美味しいお魚を食べさせてあげよう』
美優紀は、夫の照が息子にそっと提案していたのを見ていた。それを聞いて走り出した直也の横顔には、微かな逞しさを感じられた。
(やっぱ、男の子なのね)
毎日一緒にいる母親の自分よりも、時々出張であまり息子と一緒にいられない父親の照の方が、息子の気持ちを捉えているような気がした。
小川の畔で、幼くも確実に成長している息子に、少しの寂しさを重ね見守っていると、釣り糸を垂らしている水面を指差して、彼が嬉々とした。
「お母さん! 見て見て! 釣れそう!」
息子の真剣さを目の当たりにしていた美優紀は、自分もいつの間にか釣らせてあげたい、という気持ちになっていたことに気付いた。
「直、油断しちゃダメ。ほら、静かに、待つの」
「うん!」
分かっているのかいないのか。
元気に頷く息子に、美優紀は苦笑した。けれど、それが嬉しくもあり、満たされた気持ちにもなる。
(直也とこんな時間を過ごすの、そういえば久しぶりだわ)
美優紀がそっと直也の背後から身を屈め、彼と同じ視線で水面を見詰めると、息子はそれに満面の笑みで振り向いた。
直也の垂らす釣り糸が引いた。
「あっ!」
「直! 引っ張って!」
「うん!」
びちゃびちゃと水面が跳ねる。
当たりだ。銀色の影が、再び水と光に吸い込まれる。
「ッ……!」
直也が機を伺っている。
(この子、実は釣りの才能があるのかも!)
我が子に隠れた才能を求めながら、美優紀も息を呑んでいた。
「今だ!」
直也が竿を強く引く。
ぴちゃんッ、と銀色の魚が水面に跳ねた。
「やったぁ!」
直也は大喜びで、糸を手繰り寄せた。
「すごぉい! 直、釣れた!」
「これ、お母さんの分ね」
顔の横に今釣った魚を掲げ、直也はにんまりと笑った。
「ありがとう、直。本当にありがとう」
美優紀も笑顔になっていたが、目の奥が熱くなっていくのを感じていた。




