三話 音楽室のピアノ12-2
『何もしないことは優しさじゃないわよ、少年』
声がした。
それは、華子でも、戸塚沙理奈でもなかった。
腕と背中の鈍い痛みを堪え、顔を上げる。
月明かりという僅かな光源に映える赤が見えた。
(この赤、どっかで見たことが……)
さらに、顔を上げる。
そこには、小柄な少女の背中があった。
『見えてんだ。まっ、いいけど』
少女の横顔が僅かに見える。色の白い頬だった。
自分よりも年下の少女だが、言葉からは随分と年上のように感じられる。
立ち上がろうとする霖之助に、少女はぴしゃりと言う。
『邪魔するなら、そこで寝てて』
少女の言葉に、霖之助は自分の無力さを痛感した。体よりも心がじくじくと痛む。
『返してくれる? その子、あたしの唯一の友人なの』
「え?」
唐突な少女の言葉に、霖之助の痛みはどこかへ吹っ飛んだ。
『何? お化けが友人作っちゃいけないの?』
少女は今、自らのことをお化けと言った。いや、その前に、華子が友人と――
『嫌……嫌よ……私、やッと……』
ただひんやりしていただけの空気が、ピリピリと肌に刺さる。
『これはちょっと話し合いが必要ね』
風もないのに、赤いワンピースが揺れている。少女の長い髪が、意志を持っているかのように靡いていた。
これは、夢か。
それとも、部活中に勢い良く当たったサッカーボールのせいで、変な能力でも目覚めてしまったのだろうか。
混乱する霖之助に、少女は容赦なかった。
『少年、どうすんの?』
「え、あ……俺?」
『ハナ――橘華子を助けてくれんの?』
「助ける」
霖之助が立ち上がれば、少女は満足そうに微笑んだ。
『あたしが彼女を体から追い出すから、ハナを支えて』
「分かった」
体の痛みは引いていた。この空間には、何か力があるのかもしれない。
『私は、まだ……生キテルの!』
彼女が叫べば、空気が荒波のように少女と霖之助を襲う。
が、それを少女が片手で薙ぎ払った。
『悪いけど、ここのボスは、あたし』
ふっと風を切る音がする。と、少女は、彼女に向かい、勢い良く駆けていた。
「えっ⁉」
危ない――
霖之助が言葉にする前に、少女と彼女は華子の体を通り過ぎていた。
「ッ……」
霖之助も駆け出す。
華子の体が、こちらに倒れ込んできた。どうにかそれを受け止める。体が温かいことに、まずはホッとした。
ずるりと滑り落ちそうな華子の体を支えながら、霖之助は屈んだ。
「お、おいっ……橘……!」
呼びかけると、華子は少しだけ身動ぎをした。
「橘? おい、大丈夫か?」
再度、霖之助が呼ぶと、華子の瞼は微かに震え、ゆっくりと開いた。
「……え……あれ?」
「よかった」
「え……えっ⁉」
安堵する霖之助の顔を見た途端、華子は驚いて、ドンッと勢い良く体を突き放す。
「ッ……ぃつぅ!」
「あっ、えっ……ごっ、ごめん、なさい!」
ひっくり返った霖之助を、今度は華子が慌てて支えた。その手から、彼女が微かに震えているのを感じた。




