三話 音楽室のピアノ12-1
わたし、なんでピアノを……?
弾けないはずなのに、なぜこんなに指が動くんだろう?
悲しい……寂しい。
会いたい。
誰に?
誰……?
あなたが想っている人は、誰なの?
足音が近付いてくる。
あぁ、来てくれたんだ。
会いに来てくれたんだ。
ズット、待ッテイタ……
がらりと、やけに大きな音を立て、音楽室の引き戸が開いた。
中からひんやりとした空気が溢れたが、それがさらに霖之助を手招きしているようだった。
「あ、……え? 橘?」
ピアノの前に座っていたのは、華子だった。
心ここにあらずと言った風にそこにいるのだが、指先は間違えることなく音色を奏でている。
「橘?」
霖之助が再度名を呼ぶと、指先がぴくりと震え、はじめて音を間違えた。
「橘って、ピアノを弾けたんだ」
霖之助は違和感を覚えながらも、華子に話しかけた。
近寄り難い雰囲気があり、足は動かなかった。
華子がゆっくりとこちらへ視線を向ける。
「ッ……!」
華子ではない――
霖之助は身を固くした。
しかし、先ほどのような恐怖はなく、どこかで見たことのあるような、悲しいような感覚を覚えた。
(なんだろう? どっかで、会ったことがある)
華子が立ち上がる。正確には、華子ではないのだろう。
一歩、また一歩と霖之助に歩み寄ってくる。
『私のこと、憶えてる?』
声も華子ではなかった。
しかし、どこかで聞いたことのある声だった。
どこだったろう。
学校ではない。近所でもない。
数年前に、何度か――
「あ……」
ピアノのコンテストだ。五年生まで、いつも金賞を受賞する少女がいた。
音色を聴いたことがあると感じていたのは、コンテストの際に耳を欹てていたから、記憶していたのだ。
明るい曲では周りを巻き込む陽気な雰囲気で会場を包み、切ない曲の際は聴く者の胸を打つ音色を奏でる少女だった。大人達は皆、彼女の将来に期待していた。
名前は、確か――
「戸塚沙理奈……?」
霖之助が名を呟くと、少女は静かに頷いた。
『うん、憶えててくれて、嬉しい』
笑おうとしているのだろうが、表情が伴っていなかった。
気付いたら、霖之助の目の前に彼女はいた。
『私ね、去年……私……』
彼女は、その後の言葉が続かないようだった。表情が硬い。目が、虚ろだった。
霖之助は、体が徐々に冷えていくのを感じていた。室内の気温が下がっているのか、それとも、目の前の出来事に慄いているせいか。
『私ね……私ね』
徐々に彼女の雰囲気が変わっていく。
「お、い……橘?」
『!』
霖之助の言葉に、彼女は顔をぐわりと上げた。
『私ハ、戸塚沙理奈!』
そのまま、霖之助の両腕に掴みかかってくる。
「ぃッ……!」
あまりの勢いに避けることができず、先ほどまで繊細な音色を奏でていた彼女の指が腕に食い込んだ。
『私ハ戸塚沙理奈ヨ! ズット、待ッテいたノ!』
「それは君の体じゃない……!」
だから、激しく抵抗できない。彼女を傷付けるわけにはいかない。
「戸塚ッ、……頼むから、その体から出てくれ!」
『これハ、私ノ身体……!』
彼女の目と合う。
暗くたゆたう水面のようだった。
『待ッてイタの』
その奥にある感情は、怒りでも、憎しみでもない気がした。
(待っていた? 何を?)
掴まれている痛みよりも、彼女の瞳に奥にある痛みを霖之助は感じた。
それが、さらなる痛みを生む。
「ッ……」
『やっと……』
彼女の声が、耳からよりも自分の中で響く。
『私は……』
その声が、一瞬遠ざかる。
いや、彼女の体も遠くに見えた。
と、背中に痛みが走った。どうやら壁に吹っ飛ばされたらしく、霖之助はその場に蹲る。
しかし、なぜ――




