三話 音楽室のピアノ11-2
頬が若干腫れた顔を上げれば、目鼻立ちの整った少女が険しい顔で立っていた。肩にかかるほどの黒髪が、風もないのにふわりと揺れた気がした。
彼女は、霖之助に少しだけ目をやって、痛みを堪えたような表情をしたが、すぐに憐れむような視線を他の男子達に向けた。
『あぁあ、ここの幽霊、あんた達に取り憑いちゃった』
男子達の一人が、華子を知っていたらしく。わなわなと震え出した。
『こいつ、幽霊女だ! 逃げよう! こいつのせいで、怪我した奴がいっぱいいるんだ!』
そう叫んで、一人が逃げ出し、その後を慌てて他も駆け出した。
『まっ、待ってくれ!』
『呪われる!』
逃げ出した男子達に、『呪われるって……そこまでの力はないってば……』と華子は呟いていた。
『頬っぺた、腫れてるね。これ、あげる。ちゃんと保健室行ってね』
華子は、倒れている霖之助にハンカチを差し出すと、そのまま走って行ってしまった。
それから、他の男子達からの嫌がらせは、ぴたりとなくなった。一人は霖之助に怯えて、近寄りもしなくなった。
霖之助は、ハンカチを綺麗に洗い、あの少女にお礼を言いたくて、彼女のいるクラスを女子に聞いた。みんな、口を揃えて、『橘華子には近付かない方がいい』と言った。彼女の名前を、そこで知った。
橘華子。
助けてもらったこともあるが、彼女のことを目で追うようになった。
いつも華子は一人だった。彼女が何かをしたわけでもないに、近寄ったら呪われると囁かれていた。
そんなことはない。華子は心優しい少女だ。
きちんとお礼を言わなければ、そう思いつつ、二年になってしまった。
同じクラスになったと知った時、嬉しかった。でも、勇気が出なかった。
お礼を言いたい。いや、それだけではなく、もっと話せたら――
結局今の今までお礼を言えていない。話しかけても、華子からは壁を感じる。
霖之助は、自分の弱さを内にずっと抱えていた。
せめて、華子を助けてあげることができたら――
霖之助は、気持ちを奮い立たせ、立ち上がる。
暗くてしばらく目が慣れなかったが、掲示物を見ると二年三組の教室らしい。小学生の教室だからか、机や椅子、棚がとても低く感じられた。
しかし、それらを懐かしむ余裕はなかった。
それは、霖之助の耳にハッキリと届いたのだ。
先よりも大きく、そしてどこか悲しく聴こえてくるピアノの旋律。
そして、やはり――
(聴いたことがある)
曲自体は知っているが、どこか切なく、聴く人の心を惹き付ける不思議な音色に、記憶が再び呼び起こされる。
それは、中学生になる前だ――
「あ……」
霖之助は、教室からふらりと出た。足が自然と動く。
廊下に先ほどまでの恐怖の対象がいるかもしれないという考えはなかった。
まるで、体がピアノの音色に引き寄せられているようだった。
(なんで、ここに……?)
薄暗い中でも、音楽室のプレートだけはハッキリと見えた。
引き戸式の扉に手をかける。
鍵は、かかっていなかった。




