三話 音楽室のピアノ8
さっきまで明るさが残っていた空が、闇色にゆっくりと支配されていく。
直也の家を出た華子の足は、自然と小学校へと向かっていた。
別に約束をしているわけではない――小学校にずっといる友人。
「何度来ても、やっぱ夜は慣れないなぁ」
そう言いながらも、裏手にあるフェンスの隙間に、華子はいつものように体を捻じ込ませる。
そして、いつもの開いている窓へと向かう。
が、不意に音が聞こえてきた。耳を澄ませば、それが綺麗な音色を奏でていると知る。
「ピアノ……?」
こんな夜中に、まだ誰か学校に残っているのだろうか。音楽の先生が、練習でもしているのか。
卒業した小学校だから、音楽室の場所は分かる。
華子は、ゆっくりと二階の角にあるその場所へと目をやった。
「ッ……」
いつだって、こうやって後悔しているのに、まただ。
音楽室には、電気が点いていなかった。
「…………帰ろうかな」
そう呟いた時、窓が勝手に勢い良く開いた。
「ひっ⁉」
それは、帰るなという誰かの意思表示だった。
誰かの、というのは、窓を開けている者を、華子が知らないからだ。友人は三階の女子トイレからほぼ動かないそうだから、華子が来ていることを知っていても、出入りしている一階の窓を開けることはできないと言っていた。だから、別のお化けか幽霊が、華子を歓迎しているのだろうと笑っていた。
(歓迎されても……)
恐怖に竦む足を、また学校へ向ける。
慣れないけれど、結局はここの歓迎を受け入れるのだった。
学校内へ入ると、誰かに肩を叩かれ、人魂のような発光体に挨拶をされる。
「あっ、ど、どうも」
お化け達に対しても恐怖と、だがどこか顔見知りに会えた安堵感が華子の心に広がった。
その間にも、ピアノの音は聞こえていた。恐怖は拭えないが、不思議と心地良さがある。
よく耳にする曲のような気もするが、曲名は知らなかった。
「なんて曲だろ?」
音色に耳を傾けながら、三階の女子トイレに向かう前に、珍しく彼女に会った。
「あれ?」
『あっ、ハナ! 丁度良かった!』
トイレにいない花子さん、なんて聞いたことない。
が、この小学校が彼女――友人の『トイレの花子さん』のテリトリーならば、彼女が自由に動き回ってもおかしくはないのかもしれない。
実際、華子は花子のことを深く知らないのだ。
「何が丁度良いのよ?」
花子の顔を見ると、さっきまでの恐怖感がすっと薄れ、安心感だけが残るのは、やはり友人だからなのだろう。
友人は今日も勝気に笑っていた。
『新しいお化けが来たのよ。って、もう分かってるか』
肩を竦めて、耳を澄ます素振りをする花子に、華子はやっぱりと思った。
音色がさらに鼓膜を揺らす。
「このピアノ?」
『そう。素敵な音色でしょ? 弾いてる者の名前はまだないけど、しばらくうちにいるそうよ』
「なんか、有名な小説の冒頭みたいね」
『夏目漱石ね』
「知ってんだ」
『ハナよりも長く存在してますから。てか、ここにいるとずっと聞かされるからさ。小学生で習うもんは完璧よ。全国小学生学力テストだったら、どの学年でも一位を取る自信はあるわよ!』
「あ、じゃあ、この曲名知ってる?」
『音楽っていいわよね。ほら、勝ち負けじゃないってとこがさ』
「さっき一位取るって言っていた口はどこいったのよ? あっ、知らないんだぁ」
花子の瞳がぎらりと光る。
(あ……言い過ぎた?)
華子が話題を変えようとした時だった。
『……今日は来客が多いみたい』
「え?」
花子が窓の外を見やった。
まだ曲名を聞いていないのだが、華子も親友に倣った。
夜が不気味に揺れていた。




