三話 音楽室のピアノ3
今日の彼女は、どこかワクワクしているように見えた。
斜め右にある彼女の席。
横顔が微かに見える。肩までの髪を時々耳にかけて、さっきからノートに何かを書いている。
一限目は彼女の苦手な数学で、確かに黒板には新しい数式が書かれていた。が、今日はそれほどノートに書き写すことはないように霖之助は思っていた。
(何書いてんだろ?)
それも、少し嬉しそうに――
彼女が、僅かに顔をこちらに向けた。
霖之助は慌ててノートに目を落とす。
見えないものが見えるというだけあって、勘も鋭いのかもしれない。
彼女は不思議そうな表情を浮かべ、また視線を戻した。
(変な奴みたいじゃん、俺)
でも、目で追う時間が、日に日に長くなっていることを自覚していた。
なぜ気になるのかは分からないけれど――
「吾妻、橘」
「あっ、はい」
「えっ、あ、はい!」
数学教師の斉藤に呼ばれ、二人は同時に立つ。
彼女が――橘華子が、ちらっとこちらを向いて、戸惑ったような顔をした。
(あれ……俺、なんか嫌がれてる?)
霖之助が気にしている間に、華子は前に向かう。
クラスメイトからは、嘲るような表情が見て取れた。
普段の華子は、ビクビクとして、正直見ている側がイライラとさせられる時がある。そして、自分が優位に立っていると勘違いさせられる。
(でも、……)
彼女の表情が変わる瞬間を、霖之助は見たことがある。
先月もだが、その前に霖之助は――
「吾妻? どうした?」
「えっ?」
気付けば、今朝のようにみんなが霖之助を見ていた。
華子も、控えめにこちらを伺っている。
「すいません」
黒板前で、華子の横に並ぶ。
華子は霖之助が横に並べば、視線をサッと黒板に移した。
(やっぱ、なんか……)
胸の辺りに、今まで感じたことのない何かを少し感じた。
華子は、いつの間にか黒板に書かれた数式の答えを導き出していた。
(苦手じゃなかったのかよ?)
自分の席に戻る華子を横目に、霖之助は心の奥に疼いた何かを押し込めて、自分も数式を解いた。
数学のように答えが一つならいいのに――
「うん、二人とも、正解だ」
斉藤が満足げに頷いた。
そんな斉藤とは反対に、霖之助は小さく息を吐き、肩を落として席に戻ったのだった。




