三話 音楽室のピアノ1
三歳か四歳くらいから小学を卒業するまで、ピアノを習っていた。
何を見て、やりたいと言ったのかは憶えていない。
でも、楽しかったことは覚えている。いっぱい怒られもしたが、今でも練習していた曲は弾けるし、楽譜は読めるから新しい曲もある程度弾けないこともない。
最近、自分が音楽好きだということに気付いた。
でも、ピアノはやめた。
母子家庭になり、習い事をする経済的な余裕がなくなったのもある。母は続けてもいいと言ってくれたが、二歳年下の妹の方が上手だったから、続けるのは彼女だと思った。
それに、中学に入れば、部活がある。
音楽が好きだからと吹奏楽部に入るのもなんだか気が引けて、悩んだ挙句、前から少し興味のあったサッカー部を選んだ。部費などもあるからお金のかからない部活にしたかったし、帰宅部という選択肢もあったが、母にそんなこと気にしなくていいと苦笑された。幸い、運動神経は悪くなかったようで、一年でレギュラーになれた。
でも、時々ピアノを弾きたくなる。
少し掌を見詰めていた吾妻霖之助は、微かに首を横に振り、足首を回す。一か月前に捻挫した個所は、もう痛むことがなかった。
グラウンドは、昨日の夜の雨で、所々水溜まりができていた。
今朝の空も不安定で、いつ雨が降っても不思議ではない。
今年の梅雨は長めなのか。スッキリ晴れる日もなければ、暦の上では夏なのに、暑さを感じる日もない。
体を温めるために、霖之助は念入りにストレッチをした。
そんな彼の背後から、同じクラスで友人の北川謙が声をかけてきた。
「吾妻、おはよ! 足、もう大丈夫か?」
「おはよう、キタ。ああ、もう大丈夫」
霖之助が笑って答えれば、謙も笑った。
「そっか! よかった! 吾妻いないとさぁ、部活あんま楽しくないから、休まないでくれよなぁ」
謙は小柄で人懐っこく、同級生というよりは弟のような感覚だ。素直に感情を出すところも、霖之助には羨ましかった。
以前から何故か目で追ってしまう――橘華子のことも。
華子は、一人でも気にしない振りができる。きっと、心の奥底ではずっと泣いているはずなのに、彼女は人前で泣かない。普段は目立たないように、怯えているように見えるが、ふとした瞬間、何かを決意したような目になるのを、霖之助は見逃さなかった。
そして、華子には、人に見えないものが見えるという。
人と違う世界を見ているのだろうか。
霖之助には、霊感や第六感と呼ばれるものはない。幽霊を見たことはない。
でも、時々見てみたいと思う時がある。
いや、会いたいと思う時があると言った方がいいのかもしれない。
(そろそろお墓参りに行かないと)
「吾妻? どうした?」
「え?」
気付いたら、監督を囲み、チームメイト達が集合していた。謙が怪訝な顔でこちらを見ている。
「あっ、すいません」
急いで、霖之助も輪に加わる。
今日も、変わらない一日が始まる。
霖之助は、学校での顔をして、笑った。




