エピローグ
此処にも四季がある。
夏からすっかり冷めた空気が、辺りを秋にし、そして次の季節へと移り変わらせてくれる。それが徐々になのか、早急なのかは、時のみぞ知る。
幽霊や妖怪、お化けには確かに時間に追われる仕事や試験はないし、生きている者達の終わりである死という終わり方はないけれど、時はあるのだ。
これは、自己という意識という中に存在している限り、逃げられない鎖なのだろう。
最後の児童が小学校から出ていく後ろ姿を屋上から眺め、花子は思う。
もうすぐ逢魔が時だ。昼と夜の狭間の、一瞬だけすべての存在が同じ空間にいる時。
そんな時を関係なく、行ったり来たりする友人を花子は心配していた。
『何故、あの時に引き継がなかったのだ?』
不意に背後から擦れた翁の声がし、花子は大きく息を吐いた。彼女が呼吸をしていなくても、ふぅっと空気が下へと流れる。
『今さらね、門さん』
『その呼び方はどうにかならぬのか?』
『ならない。あたしが決めたんだから』
『ふぅむ』
門の神は、長い髭を撫で、唸った。
此処の主の言の葉は絶対だ。
いつしか、そう決められた。それは、花子が此処の『トイレの花子さん』になる前からだった。
花子は大きさの変わらない己の掌を見た。
(もう終わりにしてよかったのよね)
此処を守る自分よりも最適な者が、すでに見付かっていた。
そう――華子だ。
彼女の体を借りた時に、いやそれ以前から分かっていた。
華子が、この小学校に入学してきた時から。
(あたしが体に入っても、意識を失わなかった。力の放出の仕方を知らないだけで、内に秘めた力はもしかするとあたしよりも……)
だが、まだこの位置を譲るわけにはいかない。
花子は、またふっと小さく息を吐く。呼吸はしていなけれども。
『そういえば、門さんはどうしてあの子を守ろうとしたの?』
翁の姿の神に、花子は問うた。
特別力のある少女ではないようだったが、門の神は身を挺して守ろうとしていた。
少しの沈黙の後、彼の神は静かに言う。
『あの娘は、最後の参拝者だったのだ』
門の神の乳白色の瞳が、過ぎ去った時を眺めていた。そこに懐かしさという人間のような感情はないのかもしれないが、どこか捨て難いものを見守っているように花子には思えた。
忘れ去られてしまえば、神もまた最期を迎える。
花子は穏やかに笑い、『そうだったの』と言った。
存在するすべての者に流れる時。
そこに名が付けられた時、それは何かしらの形になる。そして、それの殆どが有限なのだ。
だから、花子は――
『花子さん、そろそろ戻らなきゃいけないんじゃない?』
ピアノが門の神の横に顕現し、花子を呼んだ。
『そうね。今日は来てくれるわ』
花子がそう言えば、ピアノは首を傾げた。
『どうしていつも分かるの? テレパシーとか?』
『勘よ、勘』
『そうなの⁉』
ピアノが驚くのを見て、花子はクスクスと笑った。
『あっ、もう来た。ったく……生きてる友達ができたんなら、まずそっちと時間を共にすりゃいいのに』
『とか言って、嬉しそうだよ、花子さん』
ピアノの言葉に肩を竦めて、花子は自分の居場所へと戻る。
きっと彼女は今日も呼ぶのだ。
自分の名前と同じ。
「はなこさん、はなこさん」
今日は何をして遊ぼうか。
「ちょっと? 花子? いないの⁉」
(はいはい、いるってば。気配で分かってるくせに、相変わらずせっかちね)
花子は、あえてゆっくりとドアを開けた。
そこには、体調が戻り切らない青白い顔に、満面の笑みを湛えた友人が立っている。
あの頃から少しずつ大人になっていく彼女。
「花子、聞いて!」
(体調悪いなら、来なくてもいいのにさ)
花子の呆れ顔などどこ吹く風で、彼女は話し出すのだ。
花子は『はいはい』と適当に頷く。彼女が「それでね」と話し続ける。
自分以外を知って、彼女は大人になっていく。
それでも、花子は失いたくないと思っている自分に気付いていた。
「そういえば花子、久々に自分の足で歩いて、どんな気分だった?」
『浮けないって不便って思った』
「人の体使っといて感想それ⁉」
『てか、ハナ、もう少し筋肉付けた方がいいよ? あたしが動き辛い。あと、髪はもう少し伸ばした方がいいわ。お揃いになるし、あたしが借りた時、あたしが成長したみたいな感じになるじゃん?』
「もう二度と貸さんわ!」
深くなっていく闇に、トイレのはなこさん達の話し声とツッコミは、今日も一瞬の光となって溶けていく。
それが永遠になることなど永遠にないことを温かい時は花子に突き付け、笑いながら過ぎていくのだった。
~了~




