五話 受け継いだ者9-1
三階の廊下は、さらに暗く感じた。
しかし、さっきよりも眩暈や息苦しさはない。
(やっぱりすごい力……)
廊下の突き当りにあるトイレを目指す。
なぜか鼓動が張り裂けそうなほど鳴る。
いつも来ている所なのに――緊張している。
前に彼女が言っていた。
『ビルのように住所は一緒だけど階が違う、って考えてもらえばいいかしらね。ビルって、どの階も内装はほぼ一緒でしょ? 小学校もそうだし。でも、階が違えば、似たような場所だけど、いる人や机の並びが違う。ハナもあたしも、本来なら、別の階にいる存在なの』
もしかすると、此処は、彼女の創った空間ではないのかもしれない。
そんな恐怖さえ湧いてくる。
彼女の声を聴くまでは。彼女の姿を見るまでは。
安心できない自分がいることに、華子は気付いた。
「橘? 大丈夫、か?」
「……うん」
霖之助の心配そうな声かけに、華子はどうにか応えた。
女子トイレの前までで、霖之助はさすがに立ち止まる。
華子はひとり、三つ目の個室の前に立った。
三回ノックする。そして、こう呼びかけるのだ。
「花子さん、花子さん」
一瞬、辺りが無音になる。
が、次の瞬間、空気がぐっと重たくなる。
バンッとドアが開き、冷え切った風が個室から吹き荒んだ。
「ッ……!」
華子は両腕で顔を庇い、その場に踏み止まる。
「たっ、橘……!」
外から霖之助が声を張り上げた。
しかし、彼の声はゴォゴォと鳴る風に掻き消される。
透明な風がやがて赤い炎に姿を変え、ゆらゆらと揺れたかと思えば――
『本当に巻き込まれるのが好きね、ハナ』
長い黒髪と万年赤いワンピースの少女になる。
この学校の真の主――トイレの花子さんだ。
そして、華子の唯一の親友。
さっきまで緊張しドキドキしていたはずが、彼女の色白の顔を見ると、安心してしまうから不思議だ。
「花子……別に、巻き込まれたわけじゃ……」
『しっかり巻き込まれてんじゃない。あたしの言いつけ、守らなかったわね』
「うっ……」
呆れた花子に、華子は何も言えなくなる。
彼女はいつだって、本当のことを言う。
『あたしは、あの子を助けるつもりはない』
「……え?」
華子の耳奥で、それは大きく木霊した。
助けるつもりはない。
此処では死刑宣告のようなものだ。
真っ直ぐ自分を見詰める半透明な黒い瞳に普段の冗談がどこにもないことを、華子は感じた。
でも、ここで引き下がれば、瑠奈が本当に危険な目に遭ってしまう。
華子は、花子から視線を逸らさなかった。
「花子しか、助けてくれるお化けがいないの」
『あら、上げ足取れない。人って言うかと思ったのに』
さっきは冗談を見せなかった瞳に、微かな茶目っ気が浮かぶ。
しかし、華子にはそれを感じ取ることができても、付き合う余裕がない。
「もう! 花子! お願い!」
『お願いなんてされても、変わらないわ』
花子が、トイレの前で待っている霖之助へ、いや彼が背負っている瑠奈へ目を向けた。
『あたしは、あの子を助けるつもりはないわ』




