GAME OF SHADOWS#2
強大な力を持つ実体達の闘争。人間のそれぞれの営みをよそに、時間の流れが遅い位相にてナナボーゾは罠にはまり、そして…。
登場人物
―ポール・バニヤン…伝説に血肉を与えて具現化した巨人。
―ナナボーゾ…ポール・バニヤンを阻止するために出動した巨人。
詳細不明:異位相、北アメリカ某所、森林地帯
トリックスターであるナナボーゾは今、物理的には己にも匹敵する強敵との戦いを強いられていた。
半裸を晒して戦いながら何か出し抜く手が無いかを考えているものの、まともな案が浮かばず、そちらに思考を割き過ぎるのは致命的なミスに繋がる可能性もある。
溜め息と共にトリックスターの巨人は攻防を続けていた。絶妙なタイミングで入る援護に注意せねば、また先程のような一撃を喰らってしまう。
シールドが一度枯渇すれば更に不利となるであろう。見れば機械そのものの冷徹さで木こりの巨人は攻撃を放っていた。
今日は狡賢さの調子が悪いのかと考えつつも、ナナボーゾは局部的な時空停滞によって燃え盛るポール・バニヤンが振るう重金属の斧を防いだ。
斜め下方から斬り上げられたそれが見えない壁にぶつかり、しかしやや停滞した後に素通りした――だがそれだけの時間が稼げればそれでいい。
湖岸インディアン的な巨人は敵の巨人及びそれをサポートする蒼ざめた牛の位置を確認して一旦大きく後退し始めた。敵は予想以上に巧妙であり、ヘイトコントロールに長け、よく連携が取れていた。
気が付けば思っているよりも早く回り込まれて十字放火に曝される場合があり、それだけは避けたかった。既に四〇日もの間休み無しに戦闘を続けており、大体のパターンは読めてきたが、しかしそれは向こうも同様であろう。
こうなると長期戦は不利である。人型の焔の姿をした敵は高度なシミュレート能力を持ち、それでナナボーゾの攻撃を無効化したり、次回以降の耐性を作っている。
演算速度は恐ろしいまでに早く、ただ単に計算するだけであればそのスピードはナナボーゾのそれをもやや上回っていた。
シミュレートが間に合わない速度の攻撃か、あるいはシミュレート不能の攻撃によって一撃で致命傷を負わせる以外に、このやや不利に傾き始めた膠着状態を脱する手段は無い。
彼らの腰の辺りにまで達する木々から鳥達が一斉に飛び立ち、神に近いトリックスターはそれらを見て『さあ、逃げろ。どこまでも無様に必死で逃げろ』と心の中で煽った。
数マイル後退し、山の斜面に生える木の上で軽業師のように片足で爪先だけで体重をかけて中腰のまま待ち構えた。
牛が遠距離からタングステンの極小弾を弾芯とした重イオンの弾幕を貼り、大嵐の中で舞う雨粒のごとき無数の重イオンの粒が森をずたずたに引き裂きながら迫った。
やれやれ、とナナボーゾは内心思った。彼は極端なまでの森の愛護者――それこそ葉を千切ったり小枝を折ったりしただけで激怒するような――ではなかったが、それでも眼前で木々が引き裂かれるのはいい気分ではなかった。
本来であれば信じられないような速度で発生する諸々の事象をゆったりと眺め、運動エネルギーにも破壊力を求めているために秒速三〇マイルという相当な速度で飛来する無数の重イオン弾の雨が己に到達する前にシールドを広げ、間に合わせのシェルターの中で嵐が過ぎるのを待とうとした。
明滅するシールド越しにじっと状況を見据え、そして動きがあったために身構えた――牛が消えていた。背後にて異常赤方偏移ジャンプのそれと似たセカンド拡散反応を検知し、身が強張った。緊張に震えた。
失敗への恐怖が全身へと広がった――来てくれてありがとうよ。やはり牛の回り込み能力の高さは短距離テレポートによるものであった。
「喰らえ!」
振り向きながらナナボーゾは蹴りを放った。それは彼の背後二マイルの位置に転移して一斉射の準備をちょうどこれから行おうとしていたサポートユニット目掛けて、ヴォイド・ジェルの本流を浴びせ掛けた。
図書館のスパイアを覆っている一時的物質と同じものであり、使い方によっては強力な兵器にもなった。
この技は二度と奴には通用しまい。そう、ポール・バニヤン本体には消え行く牛から送信された遠隔測定データによって通用しないであろうが、しかしこれでいい。
予想通りあのゆっくりと移動する甲殻類じみた牛にはバニヤンのようなシミュレート能力は存在しない。後方支援に徹していた事からの予想であったが、賭けは彼の勝ちであった。
真鍮色の輝きに包まれながら量子レベルですうっと崩壊していったサポートユニットを尻目に、自ら作り上げたシールドの要塞を叩き割って、ナナボーゾはふらりとポール・バニヤンの眼前に一瞬で接近した。
両者は向かい合い、そのまま何秒か何も起こらぬままで時間が過ぎた。沈黙を破ったのはナナボーゾであった。
「お前の友達を調理してやったところだ」と激戦によって服が破れ上半身を晒す巨人は言った。煽るように、そして蔑むように言いながらも、内心ではこの強敵を讃美していた。
それが使われる動機は別として、ポール・バニヤンは完成度が高く、傍から見ても美しい人造の巨人であったからだ。
「そのようだ。私は彼を友として認識していた。世俗の闘争に駆り出された空虚な身だが、それでも喪失の悲しみは理解できる」
対するポール・バニヤンは淡々と答えた。何も変わらないように思えたが、しかし彼なりに友の喪失を悲しく思っているようにも見えた。
だが実際のところ、怒りが噴出するでもなかった。あくまでポール・バニヤンはイサカの甲冑のごとく燃え盛る焔そのものの巨人であり、あくまで戦闘用の機械であった。
故に握り締める重金属の斧が怪力で軋む事も無く、怒りが強過ぎて周囲の時空が歪曲する事も無かった。
用途が限定された人造物の限界が、悲しくも露呈されたのだと言えた。その様子を眺めながら、ナナボーゾは話を飄々と進めた。
「お涙頂戴ってか。失礼、ちょっくら喉が渇いたんでな」
ナナボーゾはどことなく本調子が少しだけは戻ったような気がした。そのように思いながら膝を衝くと、川に右手を浸した。
巨人が掬い上げた水の中に魚がおり、それの鱗が光を反射して煌めくのを見た時、ポール・バニヤンは約六万通りの予測を立てた。
そして次の瞬間――瞬間という言葉を適用してよいのであれば――燃え盛る木こりの巨人はその頭部に甚大な損傷を受け、ゆっくりと姿勢が崩れ始めた。
素晴らしい技術で小惑星を加工して鍛え上げられた重金属斧が蒸発し、それの発する紫色の蒸気が霧散していった。
剣豪作家シラノがその詩と剣の果てに到達した『とある兵器』について創造主がもう少し真面目に解析していれば、あるいは被害を減らす事ぐらいは可能であったかも知れない。
木こりの巨人はそれと同質の攻撃によって過程が存在しないダメージを負い、噴出する緑色の液体イーサーが辺りを染め上げ始めた。
詳細不明、戦闘終了後:異位相、北アメリカ某所、森林地帯
ナナボーゾは考えていた――今際のポール・バニヤンが言った通り、人間とは弱過ぎるという事はない。
アメリカという魔物はオジブワに何をし、そしてこれから何が起こるか。それを思うと暗澹たるものが心を満たした。
彼は決して過保護な守護神でも、尊敬される誘導者でもない。彼はオジブワの隣人であり、そして踏み越えるべき荒野であり、理不尽でどうしようもない諸力の一つであった。
だがそれでも、縁を持った者どもが大いなる悲劇的な運命に投げ込まれるのは悲しく思えてならなかった。
まるで、魔王が宿敵ブッダの死を嘆くがごとき心境であろうか――もしそのような事があり得るならば。
出会うべきでなかった世界同士が出会い、起こるべくして起きた激動であると言うのか。もしかすればそうであるのかも知れなかった。
彼は世の中を占める不可逆性を罵倒し、死や犠牲を利用した生け贄の無限連鎖講理論へと唾を吐き、残酷さの尺度そのものであるエッジレス・ノヴァを忘れられた言語で冒瀆した。
そしてそれから、虚空向けて暫く大笑いした。遠い彼方で己らに権力を供給していたそれぞれの人間が、この半世紀近い年月の中でどうなったのかを思って笑い、そして涙が出なくなるまで泣いた。