現実的に考えて、不可能だ。
※異世界召喚を批判する意図はありません。
魔王が復活した。
国はあっという間に魔物に蹂躙され、滅びの一途を辿っていく。もはやこれまでとなって、国王は異世界からの勇者を求める、異世界召喚をする事に決めた。
「異世界召喚? 正気か?」
異世界召喚にあたり、呼び出された当代の召喚士ブックは、頭に手を当てて、呆れたように言った。
国王の前での無礼な物言いに近衛兵が気色ばむが、国王自身がそれを手で制す。
「無論。このままでは国が滅びてしまう。一刻も早く、召喚を行うのだ」
冗談ではない。ブックは黒い髪をがしがしと掻いた。
確かにこの国の召喚士は国に有事があった場合、異世界より助っ人を召喚するために存在する。これはこの国の伝承に、異世界より勇者を召喚し、国を救ってもらったとある為である。
だが実際、召喚士の役職は形骸化していた。まず頼まれることのない召喚の為、召喚士といえば、住み込む宮殿にある蔵書を読み漁ることができる役職となっていた。
自他共に認める本の虫のブックは、召喚士に選ばれ天職と喜んでいたのだが、魔王だ魔物だと耳に挟んでいる間に召喚要請である。世俗から離れ、夢の本に囲まれた読書ライフは儚く散ってしまったようだ。
「伝承と同じで良い。異世界より勇者を召喚し、国の為に魔王の討伐に向かってもらう。そして魔王を倒したあかつきには、褒美をとらせよう」
国王がちらりと目をやった隣には、この国の王女が決意したような顔をしている。
伝承では、異世界の勇者は当時の王女と婚姻し、その直系が今の王家とされていた為、今回も同じようにする腹づもりなのだろう。ブックはそう考えながらもため息をついた。
「つまりは、陛下。私が異世界より、この世界を救える力を持つ異世界の者を召喚し、その者に国を守る為に魔王を倒すよう依頼し、魔王を討伐させよと。そう望むと」
「その通り」
「現実的に考えて、不可能だ」
間髪入れず言い放った言葉に、国王は目を丸くした。しかしすぐに怒りの表情を見せる。
「なぜ不可能と言い切る! 伝承では行なっているではないか!」
「あれは伝承。実際だとしても、奇跡だ」
「ならばその奇跡を起こせ!」
「奇跡は何度も起こるものではない」
ブックは仕方ないと言いたげに、裾の長い上着を揺らして、改めて国王に向き直る。
「では、陛下。理由を述べていこう。大まかに分ければ理由は三つ」
ひとつめ、と指を動かすと、空気中にすっと光の軌跡が浮かぶ。ブックは黒板のようになにやら書き付けていく。
「まず、『異世界』からの召喚であること。ここでの異世界の認識が、私と陛下で異なるようなので確認したい。よもや、その異世界とは私達と同じような者が住む世界とでも思っているのか?」
「何を言う。異世界の勇者は我々と同じ人間であった」
「前歴は忘れるように。陛下の認識は、まるで国が違うだけ、だ。そうではない、この住んでいる世界そのものが異なる、それが異世界」
ブックは抱えていた本をぱらぱらと開いて、とあるページで指を止める。
「ここに、かつての召喚士が実験として召喚した記録がある。『そのもの、姿形は巨大な虫に近く、眼は無し、口と思しきものが身体の七割を占める。粘着質な白色で、黒い穴が無数と開いている。召喚後半刻もせず、奇怪な声を張り上げ、身体を揺らし、溶けた』」
王女がひっ、と悲鳴をあげた。ブックは一瞥して、本を閉じる。
「私達の知識は全てこの世界に依るもの故に、異世界は私達の想像を超える。例のように、私達とは全く別物の、想像さえつかない得体の知れないものが異世界の殆どを占める。その未知の異世界から召喚するのはリスクが高すぎる」
「そこをなんとかするのが召喚士の役目だろう!」
喚く国王に、ブックは軽く頭を振る。
ふたつめ、と空の文字を続ける。
「次に、異世界からの召喚者には我が国など無関係であること。突如呼ばれて、我が国の為に魔王を倒す義理などない」
「説得すれば良いだろう」
「言葉が通じない。異世界はそもそも私達の世界と根本から違うのだから、いきなり意思疎通を図ることができると思わない方が良い。先程の例であげた召喚されたものと会話ができると思われたか?」
国王は言葉を詰まらせた。
その視線は窺うように王女に向けられるも、王女は震えながら首を横に振る。
「王女を褒美としても無駄だろう。例え贄の王女を喜んだとしても、そのものはまず王女にとって幸せな相手ではない」
今にも涙を零しそうな王女を見た国王は、しばし項垂れた後、決心したように顔を上げた。
「ならば……仕方あるまい。我が国存続の為だ、強制的に向かわせる」
「力尽くか? 陛下、陛下が望む勇者は魔王を倒せる能力を持った者だろう。これほどまで魔王に追い詰められたこの国で、魔王以上の強さを持った者を力尽くで操られるはずがない。暴れられては内側からこの国は終わる」
弱きものは話にもならないが、とブックは呟く。
国王は再び項垂れた。
「そんな、ブックさま! この国が助かる場合はないのですか?」
王女が悲壮な声で叫んだ。
ブックは書き続ける手を止めて、王女に向き直る。
「強い力を持ち、我々に協力的であるもの。自ら異世界を望んで来たものなら、あるいは。そのような都合の良いことが起こりうれば。私の能力からしてあと一度しか異世界に干渉できないが」
「……仕方がないのだ。もう、一縷の望みだろうとも、異世界召喚に頼らなければ、この国は滅びてしまう。助かる可能性を前に、国王たる儂が縋り付かぬわけにはいくまい。召喚を行って欲しい」
国王が唸り、ブックに懇願する。
「私からも、お願い致します。どうか、この国に活路を」
国王、王女の二人からの強い目線に、ブックは目を伏せた。そしてゆっくり開く。
「不可能である理由のみっつめ。これが一番の大きな理由」
誰かがごくりと息を飲んだ。
ブックが最後まで空に書き切ると、書いた文字が一斉に光る。
「私が、異世界召喚をするつもりがないことだ」
がん、と片足を踏み鳴らすと、ブックの足元に魔法陣が展開される。魔法陣より放たれる淡い青い光が、身体を包み込んだ。
驚愕に目を見開く国王と王女に、ブックは初めて笑顔を見せた。
「召喚で助かる可能性が低いのなら、私は自分が異世界に転移する。己が身が一番大切なものでね」
魔法陣が狭まるのに合わせて、ブックの姿が消えていく。
周りが顔色を変えて何かを口にしているが、聞こえない。ブックに伸ばす手も、既に届かない。
「それでは、御前失礼する」
そう言って、ブックはこの世界から消えた。
***
――という話が、私の聞いた話だ。
市立図書館の奥でうず高く本を積み上げ読みふける本多さん――かつてブックと呼ばれたらしい――の対面に座って、思い出す。
本多さんに会ったのは、偶々図書館に来た時だ。ふと異様なほど本を読み込んでいる人が目に付いて、最初は引いたものだ。
だけど、よく見てみれば本を読む時の顔は冒険に行くようにわくわくしていて、きらきらしていて、私はついその顔に惹かれて声をかけた。
いくつか本の話をした後で、聞いた身の上話が先程のものである。
私は改めて、本多さんを観察してみる。
黒髪に濃い茶色の目。顔はアジア系。ハーフと言われれば見えないこともない。だけど、どこにでもいるような容姿だ。多少片言なくらいで、とても異世界人など思えない。
何故この世界に来ることができたのか、と聞いてみれば、一冊の古びた少女漫画を出された。曰く、異世界召喚の試しで、この漫画を呼び出したという。
内容を見てみれば、意味は不明だが自分と似たような容姿の者が描かれている。多少目が大きく、鼻が尖っており、色が無い等違いはあったが、似通った容姿の者がいる世界があると本多さんは知った。その召喚時の座標というものと、異世界のものである漫画を媒介に、この世界に渡って来たというのだ。この世界の存在を知った奇跡が既に起こっていたから、異世界召喚で奇跡は起こりえないだろうと考えた、と本多さんは笑って言った。
異世界転移なんて、現実的に考えて、不可能だ。
本多さんの言っていることは、なんの根拠も証拠もない。空想の話で、信じるに値しない。異世界人なんているはずがない。
そう分かりながらも、何度も本多さんの元に通う私は、本多さんが本を楽しむように、いつもわくわくしているのだ。