黒衣の男
五日前。ワルダー率いる第四師団精鋭部隊が、街道に向けて出発した。
森林戦を得意とする彼らの行軍はスムーズに進み、翌日には略奪者と思われるものの痕跡を発見する。
生活の跡。森の中には枝と葉で作られたテントのようなものと、消えた焚き火、そして「略奪」されたものたちの果ての姿。
ワルダー達が見つけたのは、食い荒らされた人体と、つみ上げられた白骨だった。
略奪者とは、ホルムンド島において特別な意味をもつ。
ワルダーのように突き出た大口を持つように進化したもの、ソードラットのように体毛が進化したもの、ザムのように異常な嗅覚と毛並みをもつものなど、殊更人種に置いては進化のパターンが非常に多岐に及ぶ。
稀にその進化の中、異常なスピードで容姿、身体能力、精神が発展したものが現れる事があるのだ。
こうした異常進化者は何故か例外なく他の人種の共存を拒み、今まで共に暮らした人種すら自身の食料として略奪し始める。
人であることをやめた人種、人種への襲撃者を、ホルムンド島に住まう人々は彼らを奪うもの、「略奪者」と呼び、野生の動物などより遥かに恐れていた。
略奪者は常識では測れない進化を遂げたものである。
共通するのは人種への敵対心と食欲のみであり、その行動は予想もつかないものであることがほとんどだ。
ワルダー自身も略奪者の討伐は何度か経験していたが、経験を重ねた彼でも決して油断出来るものではなかった。略奪者の不在を感じた彼は、周辺を調べることで略奪者の情報を少しでも得ようとした。
幸い襲撃を行ったと思われる場所が見つかった。地面と、いくつかの木々に発達した脚力で踏み切った足跡を発見した第四師団は、略奪者は「跳ね足」と呼ばれる跳躍力に優れた種族がベースであると断定した。
通常「跳ね足」を持つものは殺傷力は低いが、今回の敵は略奪者である。
逃げ道を塞ぐ包囲を作り上げ、じわじわと追い詰める作戦を取ることとなった。
作戦は順調に進み、逃がすことなく略奪者を追い詰めるワルダーたち。
内心、滝のそばで水を飲む略奪者を見たワルダーはほっと胸をなでおろしたものだ。これなら大丈夫だろう、と。
あの滝はそう簡単に超えられまい。包囲にも絶好の機会だ。
長い彼の戦歴で培われた彼の直感は、略奪者を脅威と見なさなかった。
おそらく今まで討伐に失敗していたのは、略奪者の進化が森林というフィールドを最大限生かせるものだったからだろう。
とはいえ、見た目で全てを判断出来る敵ではない。
部隊が包囲を狭めきるまで引き付けるつもりで、足を踏み出したワルダーは、略奪者の殺気を感じ取った。
気付かれたか、と背中の大剣に手をかけるワルダーは、異常に気付く。
彼らの包囲網の中心、略奪者に向かって歩く黒衣の男に、彼の直感は最大限の警戒を告げていた。
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カッカッシャン。カッカッシャン。
やけに賑やかな音をさせて、黒衣の男はワルダーの包囲網に近づいてくる。
ワルダーには、この響く音に今まで誰一人気付かなかった事より、彼の直感がこの男との戦いを避けたがっている事が不思議でならなかった。
「止まれ! どこから来た!」
彼の部下が黒衣の男を止める。既に略奪者に察知されてしまった以上、作戦は変更せざるを得ないだろう。
不測の事態でも対応の早さと一般人の安全を考慮するのは、さすが騎士団の精鋭である。
が、黒衣の男は立ち止まることはなかった。慌てて数人の部下が黒衣の男に駆け寄っていく。
「どけよ。蛇野郎」
黒衣の男は落ち着いた声でそう告げると、部下を拳で跳ね飛ばした。
戦場には似つかわしくない、力のこもっていない拳だった。
まるで寄ってくる蚊をよけるような動きだったにも関わらず、部下は倒れて動かなくなる。
「何をする貴様!」
仲間が倒され、部下達が次々駆け寄っていく。
あっという間に黒衣の男は十数人の部下に囲まれたが、その男は歩みを止めることもなく告げる。
「その兎みたいなやつに用があんだよ。どけ」
ウサギみたいなやつ、とは略奪者のことだろうか。部下達の先、滝のそばにいる略奪者へ黒衣の男は歩みを進めていく。
「ミグに何をした!」
「止まれ!」
騎士に暴行を働けば、もう一般人とは見なされない。
彼は敵と判断され、囲まれ武器を突きつけられている。
「殺しちゃいねえ。いいか、これが最後だぞ」
歩みをやっと止めた黒衣の男は、両腕を握り締めて体の前に構え、三度同じ言葉を言う。
「どけ」
その言葉に怒りをあらわにした部下達が、それぞれの武器を手に襲い掛かる。
そして、男の体に傷が刻まれることなく、彼らの武器は砕けた。
「なっ……」
ワルダーは言葉を失う。彼は構えた拳で武器をいなすような動きをしただけだ。
それだけで、鍛えられた鉄が砕けるわけがない。
ワルダーの視界の先では、部下達のヘルムが砕かれ、倒れていく。
ふと、あっけに取られていたワルダーは視界の端で何かが飛んでくるのを捕らえる。
「めしだぁ。めしめしめし」
腰を地面すれすれまで下ろしてワルダーを見るのは、略奪者だった。
脚力を生かして、滝のそばから飛んできたようだ。
謎の襲撃と略奪者、二つ同時にこなさねばならなくなった。
ワルダーはため息をつく。部下達も心配だが、状況は最悪ではない。
どうやらこの略奪者、人としての知性は失っているようだ。
であれば、略奪者の性質に正直に、人種を狙う事にのみ関心を見せるだろう。逃げられる心配はない。
略奪者は笑い声のようなものを上げながら、鋭い爪をこすり合わせて研ぎあげている。
「めし、めしのじかんですよー」
「略奪者はわしにまかせろ! お前らはその黒いのを止めろ!!」
これなら、とワルダーは思う。
一番厄介なのは略奪者になり、人種としての知性も併せ持つタイプである。
こちらを襲うのはあの爪と、恐らく脚力を生かした攻撃。
ワルダーを傷つけるには少々不足だろう。
言葉とも言えない言葉を吐き、大きくしゃがみこんだ反動でワルダーへ跳び掛る略奪者。
両手から長く伸びた爪は、鋭い鎌のようだ。
鋭い爪はワルダーの右肩の鎧を切り裂き、鱗を裂き、皮まで達して、そして止まる。
「馬鹿者が! 貴様ごときの爪でやられていたら、王都騎士団師団長は務まらんわ!」
ワルダーは略奪者をそのまま大剣で切りつける。
が、一人で度重なる討伐から生き延びた略奪者も簡単には斬らせてくれない。
爪が抜けないのを悟ると、ワルダーの巨躯を思い切り蹴りつけ、一気に距離をとる。
「あごめし、はらめし、ぜんぶめし」
歌うように言葉を発する略奪者。
ワルダーから離れて跳んだ先、巨木を足場にして更に高く跳ぶ。
姿は見えないが、ワルダーの鼻先はやつの体温を感じ取っていた。
奴は木々を跳び渡り、徐々に迫ってきている。
木々の揺れる音。こすれる爪の音。
どれにも紛らわされることなく、略奪者の位置を正しく知覚することにワルダーは集中していた。
「めしができました。めしです」
目前に迫る鎌のような爪。しかし、ワルダーは微動だにしない。
「ふん。随分強度の足りない爪だな。こんなものがめしになるか馬鹿者」
乾いた音を立てて、ワルダーの大口は略奪者の爪を噛み砕いた。
「めしがめしです。めしをめし」
残された左腕を振るって、腰下を狙う略奪者。
しかし、ワルダーが背中から抜いた大剣は略奪者の進路を完全に塞いでいた。
略奪者は地面に足をのめり込ませてしゃがみ込み、そのまま後方高くへ跳び下がった。
また頭上から襲い掛かるつもりなのか、木々が揺れる音が森の中に響く。
ワルダーは鼻先に意識を傾ける前に、ふと気付く。
黒衣の男のほうに行った部下たちはどうした。木々の揺れる音しか聞こえない。
略奪者から意識を黒衣の男に向けるワルダーは、200の精鋭が全て倒されているのを見る。
シャン。
音がする。
カッ。
どこだ。どこにいる。
カッ。
脂汗が流れる。直感が早鐘を打つように危機を告げる。
「どけ」
目の前には、黒衣の男がいた。
周りには、倒れた部下達。
「きさまああああああああああ!」
ワルダーは略奪者のことも忘れ、黒衣の男に大剣を振りぬく。
肉に入り込んだ手応えがあった。
しかし、黒衣の男がワルダーを見つめる目は光を失わない。
「どけ」
ワルダーは、黒衣の男に刺さったままの大剣を捨てて、殴りかかる。
黒衣の男の目は、変わらず静かな怒りを携えている。
「どけ」
男がまた言った。
ワルダーは大口を開けて男に噛み付く。
血の味。ワルダーの顎の力と鋭く並んだ歯は、人の体などたやすく食いちぎる。
黒衣の男の左肩から胴部に渡って、ワルダーの大口に収まっている。
既に意識を無くしてもいいはずだが、ワルダーの直感は脅威が去っていないことを告げ続けていた。
喰らいついた顎の力が、突然抜ける。
右腕に猛烈な痛みが走ったからだ。
右腕には力が入らない。完全に折れ、いや砕けている。
「もう言わねえぞ鰐野郎」
黒衣の男は拳を握り、そう告げる。
眼前に迫り来る拳を最後に、ワルダーは意識を失ったのだった。




