丸太食い
男は思う。こうして医療院に運ばれるのは、何年ぶりだろう、と。
男が新兵だった大昔、所属する部隊が大打撃を受けたときも、彼は一人すぐ戦線に戻れた。
男が小隊を任せられた北方の反乱で、レジスタンスの罠に陥った時も彼だけがたいしたケガも追わず生き延びた。
かつて南に住まうある戦闘部族との戦で首長と一騎打ちになった時は、首長の持つ巨大な槌を噛み砕きこれを討伐、それから彼は「丸太食い」と呼ばれるようになった。
男の名前はワルダー。
彼が意識を取り戻したことにより、カフル街道で何が起こったのか明らかになろうとしていた。
ワルダーは今、医療院の一室でヤイズと向かい合っている。
「ワルダーさん、無事で何よりです」
と、ヤイズは声をかけ、そして改めて尋ねる。
「何があったんですか。あなたがそう簡単にやられるなんてとても信じられない」
「ふん。お前らも覚悟しておけよ、これが老いだ」
ワルダーが自嘲気味に返す。
「まずな、わしらと運び込まれた負傷者がいるだろう。それが略奪者だ」
「な……」
「大声は出すなよ。わしは頭が痛い。あいつがどんな状態だかは、もう聞いた。順を追って説明するから最後まで聞け。いいな」
ヤイズは頷き、真実を待つ。
「わしらが街道に向かって二日、隊のやつが略奪者を感知した。発見時点ではやつは一人だったな。楽な任務だと思ったな。わしらの隊に森で勝てるやつはそうおらん」
ワルダーは水を大口に浴びせかけ、続きを語る。
「で、討伐しようとまずは包囲を固めた。感知したところじゃ奴は【跳ね足】だったからな。逃げられたら面倒だ。アンプの酔っ払い共でも腕利きがやられたと聞いてたからな。警戒して、わしが先陣を切った」
「ワルダーさん。あなたの頑強さは知っているつもりですが、危険に身を晒すのはやめてくださいと何度も……」
ヤイズが思わず口を挟むが、ワルダーの大きな手で止められる。
「後にしろ、説教は後で聞く。でな。やつもわしらに気づいていざ、ってとこでだ。突然、黒い男が歩いてきたんだよ。シャンシャン、カンカン、音鳴らしながらな」
「略奪者の仲間ですか?」
「いや、ありゃ違うな。見たことねえ男が見たことねえ格好してやがった。おい。次に話の邪魔したら、噛むぞヤイズ」
ワルダーに睨まれたヤイズは渋々頷く。
「うちの隊のやつがその黒ずくめを止めようとしたんだ。まあ作戦の邪魔しやがって、ってわしも思ってたからな。止めなかった。そしたら、うちの隊のやつ、小突かれただけで意識失っちまった」
ヤイズが何か言いたげにしているのを無視して、ワルダーは続ける。
「それからはあれだよ。逆上したうちの隊のやつが次々どつかれて、わしが拳骨くらって、それで終わりだ。あそこで赤ん坊みてえになってんのが略奪者なとこ見ると、あいつもやられたんだろう」
ヤイズは絶句する。
散々王都と自由都市を悩ませた略奪者と、騎士団が誇る「丸太食い」を一人で手玉に取ったというのか。
「そんなとこだな。おいヤイズ、わしは珍しく怪我人なんだ。聞くこと聞いただろ、寝るぞ」
「報告のため一度退室しますが、すぐまた戻ります。お休み頂いて構いませんが、ワルダーさんにゆっくり休養をとって頂くのは難しいのかと。では、失礼します」
難題が増えたとばかりに眉を寄せるヤイズは、せわしげに部屋を出て行く。
「怪我人扱いくらいしてほしいもんだな、全く……」
閉まったドアを眺め、ワルダーがつぶやいた。
ワルダーはふと思う。自身の引退の時期がきたのではないか、と。
戦場に出てはや40年は過ぎた。幾多の戦を経て自身が得た戦績と栄誉は数知れない。
こんな醜態を晒すなど、ワルダー自身が信じられないのだ。
信じられないといえばもう一つ。
ワルダーは自身が黒衣の男にいともたやすく破られたことを、全く悔しく感じていなかった。
血気盛んな猛将、敵の得物すら食らい尽くす丸太食いと呼ばれた男は、自身の負けをすんなりと受け止めていた。
ああ、とワルダーは気付く。
例え最盛期の自分でも、あの男を倒すどころか5分も目の前に立っていられないだろう。
老いたのではない。
絶望的な力の差を、受け入れてしまったのだ。