家族
マーリィは鼻歌交じりに朝食の用意をしていた。
久しぶりに三人分の食事を作れるのが、嬉しくて仕方ないのだろう。
トマトと鶏肉を煮込む彼女の顔には、優しい笑みがあった。
「あれ。お母さん、ハーブ切らしてたんじゃなかったの?」
トマトの煮込みを匙で持ち上げながら、先ほどまで寝ぼけていたオロが言う。
彼の指すハーブとは肉料理に合う香草のことで、主に王都から届けられるものである。
つい先日まで、この香草はアンプでは在庫を切らしていた。
街道が閉鎖されていたためである。
封鎖が解かれてすぐに王都から耳の早い商人達の交易が始まり、昨日からやっと街中で買えるようになっていた。
「あなたがモンゼンさんに頼んでくれたおかげよ。沢山食べて強くなるんでしょ?」
マーリィはザムの傍で食事の世話をしながら答える。
モンゼンに気付けをされてやっと意識は取り戻したものの、ザムの目の光と腕は失われたままだ。
とても一人では食事が出来ない夫は、しかし事件前のように一家揃っての食卓を望んだ。
そこで、こうしてマーリィが甲斐甲斐しく手助けをしているのだった。
コン、コン。
団欒中の一家の玄関を叩く音がした。
「誰かしら。ちょっと見てくるわね。あなた、ちょっと待っていて」
ザムの口の周りをふき取ると、マーリィが席を立ち、玄関に向かっていった。
「お客さんみたいだよ、お父さん」
「オロ、物を食べながらしゃべるんじゃない。テーブルを汚すとまた怒られるぞ」
残された二人のやり取りは、先日までの悲壮さを感じさせない平和さが漂っていた。
「あなた」
マーリィが戻ってきて、夫に声をかける。
「マルディさんが来て下さったわよ」
豊かな体毛に覆われた大男を連れて、マーリィが戻ってきた。
「朝から済まない。食事の邪魔をしたようだね。それに、見舞いが遅れた」
マーリィにお茶を断りながら、マルディは非礼を詫びる。
相次ぐトラブルやハンズ支部室の片付けに追われていた彼は、ザムの意識が戻った報告を聞きつけすぐ飛んできたのだ。
目の周りには隈が出来ている。寝てないのかもしれない。
「支部長が詫びる必要はない。身動きが取れなかったので、報告が送れてしまいました。それに、依頼を失敗したのはおれです」
ザムはしっかりとマルディの方を見ながら言う。
優れた嗅覚で正確をに位置を把握しているようだ。
「ハンズが依頼を失敗するのは、力量の見極めが出来なかった協会の責任だ。ただの略奪者と侮ったせいで、あなたは大怪我をして、それ以外のハンズは命を落とした。申し訳なかった」
マルディは視力のなくなっているザムに向かって、深く頭を垂れる。
視界の端では、オロがザムの服の裾を握り締めるのが見えた。
幼いなりに、マルディのせいで父がひどい目にあったことを理解したのかもしれない。
しかし、情報を得る必要がある。
同じような事件は起きてはならない。マルディは幼子の目に耐えるように顔を上げ、言った。
「何があったのか、聞かせてくれるか」
「襲撃地にたどり着いた我々が見たのは、略奪者だけではありませんでした」
ザムの報告に、目を見開くマルディ
「跳ね足の略奪者の他に、もう一人。包帯で身を包んだ、やけに華奢な男が現場にいました。恐らく、おれと討伐に向かったハンズに手を下したのは跳ね足です。しかし、手も足も出なかったのはこの包帯男のせいです。異常な男でした」
「異常、とは」
「不思議な力を使っていました。何でもない森の木を鞭のように使ったり、見たこともないウッドイーターを従えたり。仲間はこいつに捕らえられ、おそらく略奪者に……」
「待ってくれ。子供がいる。席をはずしてもらったほうがいいんじゃないのか」
マルディは配慮の足りなかった自分を呪う。
死人が出た事件だ。こうなることが目に見えていたはずだった。
しかしザムは、隣に立つ自分の息子の方を見ながら言う。
「いえ。父の仕事を見せるのも義務です。オロもハンズになりたいそうなので、このまま報告を続けさせてください」
隣のオロも、父の言葉に頷く。
「わかった。続けてくれ」
マルディに促され、ザムは続ける。
「捕らえられた仲間は、そのまま略奪者に殺されたのでしょう。それと、異常な点はもう一つ。体からは腐臭を撒き散らしていました。あれは、死体の臭いです」
「死体が動いていた、と言うのか」
「おれの鼻が間違ってなければ」
ザムは自分の鼻を指差し、言う。
続けてザムが行った報告では、その包帯男は略奪者の隣に立ちながらこういったという。
「これから、お前達の嫌がることをしてやる」
と。
ザムは一度は包帯男の操る木の鞭に捉えられはしたものの、略奪者が襲いかかるタイミングにあわせて敵の爪と自分の槍を使って拘束から逃れ、何とか逃げ切ったらしい。
愛用の槍と片腕を失ったが、子を再び抱けるなら儲けものだと最後には笑ってマルディに報告を終えた。
「おおよその事はわかった。病み上がりに済まない。働けない間の生活の保障は、協会がするから安心して欲しい」
「それは……」
ザムが保障を辞退しようとしたが、マルディは構わず続ける。
「あなたはアンプを何度も助けてくれた英雄だよ、ザム。英雄にここまでのケガを負わせたのに、のうのうと生きている自分が、私は恥ずかしくて仕方ないんだ。今までのあなたの活躍を、少しでも恩返しさせて欲しい」
ザムとマーリィは、並んで頭を下げる。
評価への嬉しさと感謝が、その表情には浮かんでいた。
「おじさん」
オロが、マルディを呼んだ。
「僕、お父さんみたいな立派なハンズになる。いっしょうけんめい、強くなる。おじさん、僕にも仕事させてくれる?」
「ああ。お父さんより強くなって、立派なハンズになるんだよ」
マルディは優しげに微笑み、先ほどまで自分を睨んでいた幼子を見た。
先ほどまで握り締めていた小さな手は、もうザムの服から離されていた。