坑道 5
人の子供ほどもある心臓だった。
巨体を循環させうるだけの強固な膜は破られ、張り詰めていた体液が刺された箇所から大きく吹き上がる。
地を踏みしめていた八本の足は力を失い、何度目かわからない地響きと共に巨大蜘蛛は地に伏した。
「やれやれ。また只働きしちまいましたねえ。あんた、貧乏神かなんかですか」
動かなくなった巨体を眺めながら、ソードラットは言う。
もう諦めているのか、口で言うほど怒った様子はない。
理不尽な怒りを向けられたモンゼンはしかし、散々迷惑をかけている自覚があるのか反論はしないようだ。
「暴れて崩れるような坑道じゃなさそうです。先を急ぎましょう、こんなのがまた出てきたらたまらないですからねえ」
身震いをしながら言うソードラットに従い、再びモンゼンはたいまつを手に取るのだった。
襲ってきた脅威を跳ね除けたモンゼンとソードラットだが、その行程はとても順調とは言えなかった。
「ピピ。ピピルピピピ」
白い毛玉が、懲りずに蜘蛛の糸に捕らわれている。
ピピルたちファー・バットはこのような暗所を好む生き物なのだ。
はしゃいで飛び回るのは仕方がない事かもしれない。
モンゼンの懐に入っていればいいものを、坑道の中を飛び回ってはピピルが蜘蛛の巣に捕まっている。
「はぁ。またかよ。じっとしてろよ」
既に慣れた手つきで、モンゼンは坑道の隅で巣を外してやる。
「それにしても、あのうすらでかいのが通ってきた割には、蜘蛛の巣だらけですねえ」
ソードラットが言う。
巨大蜘蛛が通ってきたであろう部分こそ蜘蛛の巣がないものの、それでもたいまつを向ける先には無数の糸が張り巡らされていた。
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ソードラットは、お気楽な同行者達を見ながら、考えをめぐらせていた。
蜘蛛が共食いをするのは珍しいことではない。
食料の限られた環境では、種同士の殺し合いは決して珍しいことではないのだ。
しかし。
周囲を見渡しながら、ソードラットは思う。
蜘蛛の巣には、本来ロックスパイダーの主食となるべき、小動物や小さな昆虫も捕らわれているのだ。
あの巨大蜘蛛は、明らかに同種のみを狙って喰らっていたことになる。
これでは。
これでは、略奪者と同じではないか。
暗所を楽しそうに飛び回る白い毛玉と、特に異常を感じ取った様子のないモンゼンに呆れながら、自身が対面した不思議にソードラットは首を傾げるのだった。
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坑道の中腹を越えたあたりで開けた場所に出た二人は、休憩を取る事にした。
蜘蛛の巣を振り払いながらの暗所での旅路は、思ったより二人を疲弊させていたようだ。
ソードラットは焚き火の近くに腰掛けながら、背中に手を回して体毛を掴む。
「なにしてんだ?」
「ああ、はいはい」
体毛を抜き取りながら、ソードラットは答える。
「あんたや蜘蛛のせいで、だいぶ傷んじまいましたからねえ。こうやって抜いてやると、生えてくるのが早くなるんです」
睨むような視線から、目をそらすモンゼン。
どうやらやぶへびだったようだ。
「それにしても、ラッキーでしたねえ」
ソードラットは傷んだ体毛を掴んでは抜きながら言った。
「なにがだよ。襲われるし、蜘蛛の巣だらけだし散々じゃねえか」
モンゼンはピピルを膝に乗せながら、ソードラットを見る。
「いえね、この分なら街道を通るよりずっと早く付くんですよ。今篭ってるこの穴はチコム山の中なんですが、街道はチコム山の穴群を避けるように通ってましてねえ。山を安全に通ろうと思ったら、二日はかかるんです」
「じゃあ、この分でいくとどれくらいなんだ?」
ピピルを撫でながら訊ねるモンゼンに、ソードラットは手を休めずに答える。
「そうですねえ。もう半分は越えてるでしょう。山のまわりを街道使って通ろうと思ったら上下の起伏もあって回り道しなきゃならねえですが、真ん中を突っ切れるんでねえ」
空気を通すように汲んだ焚き火が崩れる音がした。
二人と一匹は火の回りで体を休める。
暗くなる頃には、坑道を出る事が出来るだろう。
巨大な捕食者のいなくなった坑道には、静けさが戻っていた。