チクの宿 2
宿の一室に漂う静寂。
やがて口を開いたのは、ソードラットだった。
「ふざけるんじゃねえ、と言いてえとこです。ここは外との交わりを、もうずっと断ってる世界だ。それに死の難所の一つ、絶命の海を渡って来れるとは思えねえ」
部屋の天井を見ながらソードラットは続ける。
「だが、あんたの常識外れはそれで納得出来ますねえ。やれやれ、あんた、嘘はついてねえでしょうね」
天井から視線を移すソードラットに、モンゼンは頷きだけで答える。
「見たことねえもんを初めて見る時は、案外そういうもんだって信じられちまうんですねえ。いやいや、勉強になりました。信じましょう」
あっけに取られるモンゼン。
「お、おい。そんなに簡単に信じていいのかよ。おれはこれを信じてもらえるように説明するのが面倒だから、誤魔化してたんだぞ」
「あんた、バカでしょう。隠すつもりならその世間知らずぶりと、突飛な力も隠すべきだと思いますねえ。それに、あんた多分今まで、誤魔化しはしてきたものの嘘は一度もついてねえ、でしょう。あんたの話、詳しく聞かせてもらえますかねえ」
目をうっすらと開いて、ソードラットはモンゼンを見る。
モンゼンはソードラットと入れ替わるように、天井を仰ぐ。
「あー……いやな、本当はおれが島の外から来たって話は漏らすのはよくねえんだ。島の外に行きたがるやつが出るとまずい。あのこええ海を渡るには、条件がいる」
言い難そうにするモンゼン。
「なんです、そりゃあ」
「言ったろ、おれに『殺』は通じねえ。自分で死ぬとわかってるとこに行くのは、自殺だろ?」
ソードラットは目を見開くが、構わずモンゼンは続ける。
「死にたくても死ねないんだ、おれは。まあ死ぬつもりなんてねえけどよ」
「無茶苦茶ですが、見ちまったからには受け入れますよ。で、外のやつってのはあんたみたいなのばっかりなんですか?」
もう驚き飽きたのか、淡々と言うソードラット。
「いや、そういうわけじゃねえ。砕く拳と奪われた『殺』、まあ恩恵と代償ってとこだな。いや…報酬と枷、か……」
ブツブツと尻すぼみになるモンゼンに、更に訊ねる。
「その与えるだなんだってのはなんです。そもそも、何でホルムンドに来たのか教えてもらえますかねえ」
「ああ……願いを叶えるんだ。おれの願いを叶える為に」
つぶやく様に答えるモンゼンの姿には、普段の暖かな雰囲気はない。
思わず口をつぐむソードラット。
また訪れた静寂。
それを破ったのは、我に返ったモンゼンだった。
「まあそんな訳だ。あの坊主の願いや、ザムってのの願いを叶えてるのは、自分の為だな。これ以上詳しい話はあれだ、ちょっと言いたくない」
普段の、どこか憎めない様子に戻ったようだ。
「やれやれ、もうそれでいいです。きっと理解しようと思うほうがバカですねえ、こんな話。ですが、わかりました」
ソードラットは、不満や疑問を全て飲み込む。
先ほどのモンゼンの姿に、見覚えのあるものを感じたのだ。
あれは自身も幾度か感じたことがある、心にあいた虚。
即ち、守れざるものの苦悩だった。
「そうそう、そういえば、実は道中ずっと気になっていたことがあるんですがねえ」
湿っぽい話は終わりとばかりに、ソードラットは切り出す。
「あんた、意識を砕けば無傷で相手を倒せるんでしょう。なんで、私はこんなにボロボロにならなきゃならなかったんですかねえ」
自身の哀れな姿を身振りで示しながら訊ねるソードラットに、モンゼンは言った。
「あー……そりゃ雨だったからだ」
「……は?」
相手の言葉を疑うソードラット。
「ほら、水滴が拳に先にあたっちまうだろ。目に見えねえもん砕くのはなあ。なんかほら。難しい」
悪さを指摘された子供のように弁解するモンゼンに、ソードラットはずいと近付く。
「あ、待て。だから言ったろ、やめろって。手加減出来ねえって」
ベッドの前に立つソードラットに、必死で弁解するモンゼン。
「言いてえ事はそれだけか、このやろう」
夜の宿に、くぐもる様な音が響き渡った。




