ザムとマーリィ
オロは、家の前に座りながら首を傾げる。
「真っ黒なおじさんにもらった袋、何が入ってるんだろ」
先日モンゼンから渡された布袋をぶらさげながら眺めている。
「これ開けちゃっていいかなぁ」
袋に手をかけようとしたオロは、そのまま手をとめて鼻を引くつかせる。
きれいな匂い。なじみはないけど、落ち着く匂い。
この匂いは…と周囲を見渡す彼の耳に、聞き覚えのある音が飛び込んでくる。
かん、かん、かん、かん。
オロの家の門から現れた男は、彼の姿を見ていった。
「坊主、それは開けちゃだめだぞ。お守りだからな。中は見ちゃだめなんだと」
「真っ黒のおじさん!」
「なんて呼び方すんだよ、坊主。おれはモンゼン。坊主の名前はなんだ?」
モンゼンはオロに向かって音を鳴らしながら近寄る。
「ぼく、オロ」
「そうか。オロ、お前の願いは通じた。お前の父親の仇には、天罰を下した」
オロには難しいのだろう。首を傾げる。
「あー。やっつけたぞ」
モンゼンがわかりやすく言い直しながら、モンゼンはオロの顔の高さまでしゃがみこむ。
オロの大きな瞳には、みるみる涙があふれてきた。
「お前がちゃんと祈ったからだ。でもな、おれが願いを聞き届けられるのはいつもじゃない。これからはお前が父親と母親を守るんだ。いいか。強くなれ。誰も頼らなくていいくらいに」
モンゼンはオロの頭をなでながら、優しく言う。
「オロ?」
泣き声を聞きつけたのか、マーリィが家の中から顔を出した。
「オロ……どうしたの? あなたはどなた?」
「おれはモンゼン。オロの母親か?」
マーリィは頷く。
「オロの願いは聞き届けられた。その報告に来ただけだ」
「じゃあ、あなたが……」
「オロの父親の仇は天罰が下った。あー。倒された、と言えばわかるか?」
マーリィは大きく目を見開く。
「だが、お前の願いはおれじゃあ無理だと思う。どうにか出来そうなやつなら知ってるが、ちょっと話できねえか?」
「私の望みがわかるというんですか」
「はん。顔みりゃわかるよ。どうすんだ?」
「…中へどうぞ」
先日ソードラットが座っていた席にモンゼンは案内されていた。
目の前に出されたお茶を一口飲むと、顔をほころばせる。
「うめぇ。暖かい味がする」
「私が作ってるんです。庭で作った香草をいくつか煎じて。匂いにうるさいのが二人もいますから、お茶を飲ませるのも一苦労です」
マーリィはそっと笑って答える。
「いい家族だよあんたら。うらやましい」
「でもこんなことになってしまいましたから……あの人、まだまだハンズとして働きたいはずなんです。オロが誇ってくれる自分の仕事が、自分の誇りでもある、っていつも言っていました」
「戻したいか。お前の願いはそれか」
「はい」
マーリィははっきり頷く。
「すっかりなにもなかったようにってのは無理だな。ハンズとして働けるようには出来ると思う。それでいいか」
もう一度頷くマーリィ。
「よし。ひとまずあんたの旦那からも確認とらせてくれ」
「え……? 夫はまだ意識を失ったままです」
マーリィは状況が理解出来ないのだろう、たどたどしく夫の状況だけをモンゼンに伝える。
「峠は越えたんだろ?」
「えぇ、そう聞いてますけど……」
「じゃあ、旦那のとこに案内してくれよ。あとはなんとかする」
「なんとかって……」
マーリィは納得出来ない顔ながらも、仇を討ってくれた男の言葉にすがりたいのだろう。
「ではついて来てください」
というと席を立ち、ザムの寝ている部屋にモンゼンを案内する。
ザムは以前と変わらず、ベッドに横たわったままだった。
怪我の痕は痛々しく残り、長く眠っているせいか目の辺りは大きく窪んでいるが、呼吸は安定しているようで胸は規則正しく上下している。
ザムを暫く眺めていたモンゼンは、様子を伺うマーリィに向かって言った。
「あー。ちょっと驚くかもしれねえが、黙ってみててくれねえかな」
「あの……何をするつもりなんですか?」
モンゼンは額を指で掻く。
「説明しにくいんだよなあこれ。寝てるから起こすだけだ。大丈夫だから、頼むから騒いだりしねえでくれよ」
そういいながら彼は拳を握り、腕を引く。
まるでザムを殴りつけるような動きだ。
「ちょっとっ! 何をするつもりですか!」
引き絞られた腕はザムの頭に向かって伸び、その拳は鈍い音を立ててザムにぶつかった。
「あなたなにしてるんですか!夫に……怪我人に何をっ」
マーリィの甲高い声と、予想通りの展開に頭を抱えるモンゼン。
その間に男の低い声が割り込む。
「マーリィか……?」
「あなた……気がついたの?」
マーリィはモンゼンに食らいついていたのも忘れて、突然目覚めたザムに駆け寄った。
「はぁ。わかっちゃいたけど、やっぱり騒がれるよなあ」
「当たり前です! 殴り起こすなんて非常識じゃありませんか!」
モンゼンを振り返り怒鳴るマーリィ。
「ちがうって、ありゃ眠ってるの起こしただけだ。怪我一つしてねえはずだから見てみろよ」
確かにマーリィの見る範囲には殴られたような跡はない。
納得はいかないが、夫が目覚めた喜びのほうが大きいのだろう。
モンゼンを再び睨むその目には、光るものが見えていた。
「誰かいるのか、マーリィ」
「えぇ、モンゼンさんという方が……。あなたを殴り起こしたんです」
モンゼンに怒りを見せていたのも忘れたように、マーリィは夫を振り返る。
「そのモンゼンさん……か? 彼が言うとおり、殴られたという感覚はなかったよ。突然眠りから覚めたような、不思議な気分だな」
ザムは横になったまま、モンゼンの言葉を支持するように妻に言う。
「そんな……」
「声がうまく出せないんだ。水を飲ませてくれないか」
少しかすれた声でザムがマーリィに頼む。
マーリィはザムの口に水差しをあてがい、ゆっくりと傾けてやる。
よほどのどが渇いていたのか、長い時間をかけて水を飲んだザムは、そっと右手で合図をして、満足を示すと言った。
「ふう、ありがとうマーリィ。左手はやはりもうだめなんだな……それに、なにも見えない」
マーリィは辛そうにうつむく。
「それだがな、あんたのその体なんとか出来るかも知れねえ。で、その前に確認したいんだけどよ。
あんた、まだハンズってのの仕事してぇか?」
「……どういうことだ」
モンゼンの問いに、横たわるザムは意図を理解しきれない。
「目はだめかも知れねえなあ。でも腕なら何とか出来る。知り合いがいてな。多分、腕を作ってくれる。ただ、そりゃ元々のお前の体とは違うもんになるってことだ」
モンゼンは続ける。
「あんた、まだ守りたいんだろうみんなを。そんな顔してるぜ。中途半端に戦う力持つより、いい機会だと思ってのんびり暮らすのもいいんじゃねえのか? 片腕でもなれりゃあオロは抱いてやれるだろ。不自然に体いじってまでハンズってのやりたいのかよ」
「頼めるか」
間髪おかずに答えるザムに、モンゼンが問いかけていく。
「考えなくて良いのか。そう簡単なもんじゃねえ。目が見えねえ状態でどこまで出来る」
「おれは鼻が利く。目なんかよりずっとよく見えるように訓練するさ」
「作った腕が思い通り動くとは限らね……いやそりゃねえな。でもそっちも訓練がいる。いい年の大人が一から出直すのは楽じゃねえぜ」
「一度殺されかけて生き残ったんだ。今までのおれの実力は誇るようなもんじゃない」
「オロにまた悲しい思いをさせるかもしれねえぞ」
「わかってないな。悲しませたくないから、もう一度ハンズとして生きたいんだ」
モンゼンはため息をつく。
ザムと傍らに座るマーリィを見つめ、言った。
「あんたら二人の願いはよくわかった。じゃあ治るように祈ってな」
そういって、オロに渡したような布袋を投げ渡す。
「お守りだ。持ってろ」
状況が掴めずに戸惑う夫婦を残し、モンゼンはザムの家を出る。
家からは子供の歓声が聞こえてきた。
父の目覚めをオロが喜んでいるのだろう。
「迷わずお互いの無事を祈りあってやがる。本当にいい家族だ」
モンゼンはつぶやいて、歩き出す。
顔までたれた黒髪で、その表情は隠されていた。