こんなに優しいなんて聞いてない!(side 柚葉)
花火大会が終わると共に、俺の初恋も終った。
花火の音が大きくて、彼女の返事がはっきりとは聞こえなかったものの、彼女の申し訳なさそうな表情とごめんなさいという口の形が、拒絶を物語っていた。
「はぁ・・・・・」
人混みに紛れて家に帰る気力が出なくて、しばらく時間を置いて家に帰ろうと思って、橋にもたれ掛かる。
何がだめだったのだろう。確かに俺は三枝さんのことを少ししか知らないけれど、それは付き合ってからもっとお互いをよく知ればいいと思っていた。
けれど、それではだめだったのだろうか。
いろいろと考えてみるけれど、分かることは三枝さんと一緒にいて楽しかったことばかりで。そのことが余計、悲しかった。
気を紛らわせようとスマホを見る。適当にツイッターを眺めていると、福岡からラインで『振られちゃった』と送られてきた。その直後に、泣いている犬のスタンプが送られてくる。
既読がついたそれに返信するために、『俺も』と送信する。
スタンプも、適当に悲しそうなスタンプを適当に押した。
すぐさま『カラオケでも行って騒ぐか?』という返信が送られてきたけど、そんな気分にはなれなくて『いや、帰る』という返信をしてありがとうのスタンプを押す。
了解のスタンプには、既読で返信しておいた。
トークの画面に戻ると、桐葉の文字が目に付いた。そういえば、今回いろいろ相談に乗ってもらったのに結果をまだ連絡していなかった。
ここで連絡しなかったら家に帰って聞かれるだけで、面と向かって結果を言うよりは、ラインで済ませてしまう方が気が楽だった。というか、顔を合わせたら何も言わないで欲しい。
『振られた』
その一文を打つと、やっとその事実が本当だったことを認めざるを得なくて、あぁ。振られたんだ、という実感が沸いてきた。思わず涙が携帯の画面を濡らしてしまっていて、慌てて画面を離して涙を拭う。
彼女といるくせに割と早く既読がついて、焦った。
どんな返信が返ってくるのだろうと構えていたのに、慰めの言葉も、馬鹿にしたようなスタンプも返ってこなかった。
どうせ彼女に『携帯よりもあたしに構ってよ』とか言われたのだろう。
ラインの画面を眺めるのはやめて、適当なゲームのアプリを開いた。無料の範囲で遊んでいるこのゲームは、強い敵は倒せないけれど、それでも気を紛らわせる程度の効果はあった。
ごめんなさいと悲しそうに言う三枝さんの表情が消えてほしくて、敵を倒すことに専念する。悲しませるつもりじゃなかったんだ。
ただ、隣で一緒に笑って、ずっと一緒にいたかっただけなのに。
そう思いながらひたすら敵を倒していると、
「柚葉」
と俺を呼ぶ兄の声が聞こえて、声の方を向くと、少し息を切らした兄貴が立っていた。
「え、なんで兄貴がいるわけ?」
もしかして振られた俺がどんな顔をしているのか眺めに来たんじゃないだろうなと思いつつ、そう言った俺の声がすごく鼻声なことに気がついた。やばい。さっきまで泣いていたことがばれる。
「別に?たまたま通りかかったら振られてへこんでいる弟がいたから、声を掛けただけ」
言うんじゃなかったと若干後悔していた俺は、その言葉に何も言うことが出来なかった。
兄貴は面白いことが大好きで、ちゃらくて人の物を自分の物だと勘違いしておやつを勝手に食べたりするくせに、彼女とデートした時には必ず家まで送り届けるという律儀な主義を持っている。だからもし仮に通りがかったとしても、側に彼女がいるはずなのに一人だし、一人で家に帰ろうと思っていたのだとしても、この道は帰り道じゃないから。
だから、嘘のはずなのに。
「ほら、帰るよ。そろそろ人も減って帰りやすくなった頃だろうし」
そんなそぶりを見せない兄貴が腕を引っ張ってそう言うので、渋々帰ることにした。
黙々と兄貴の後をついて歩く。何か言えよ、兄貴。そう思っても意外にも兄貴は静かで。仕方が無いから俺から口を開くことにした。
「彼女は良かったのかよ」
彼女のことを聞かれるとは思っていなかったのか、意外そうな表情で、いつも通りチャラく
「平気平気」
と答える兄貴は、いつも通りだった。なのに、こんな状況、絶対イレギュラーとしか言いようがない。
けれど、イレギュラーは今に始まったことじゃなくて。
毎年花火大会の時は必ず浴衣を着ていくくせに、今年は浴衣を持っていない俺のためにこの浴衣を買してくれた。
良い花火スポットがあると、あの橋のことを教えてくれた。
図書館へ行くときのファッションの相談に応じてくれた。
ちょっとした会話に悩んだ時も、兄貴が助けてくれた。
「お、コンビニあるじゃん。そうだ。お前にアイス買ってやるよ」
そして、アイスまで買ってくれるという。
「いや、いいよ。そんなに気を使わなくても」
「遠慮するなよ。ほら、前に食べちゃったおやつのお詫びだよ。お詫び。この間根に持ってただろ」
そう言ってコンビニに入っていた桐葉を追いかけようかと思ったけれど、泣いた顔が明るい場所に晒されるのがいやで、入り口で待つことにした。
兄貴がどこへ向かっているのかよく分からないまま歩いていたけれど、コンビニの入り口で冷静に考えると、駅に向かっているというより家に向かっていると言った方がいいような場所だった。このまま歩いて帰るつもりなのだろう。
コンビニから冷気がドアが開く度に出てきて、少しだけ涼しい。
「ほら、アイス。来なかったから適当なやつ買った」
そう言って手渡ししてくれたアイスは、兄貴の好きなアイスで。全然俺のことを考えていないチョイスだった。
「ん」
それでも嫌いな味というわけじゃないので受け取る。カラカラだった喉が、冷たいコーヒー味で潤っていくのが心地よい。
歩きながら食べるのは行儀が悪いかもしれないけれど、俺たちは歩き始めた。
「というか、これで俺のおやつに対する溜飲が下がったと思ったら大間違いだから。プリンもドーナツもホットケーキも、食べられたこと恨んでるんだからな」
部活で遅いからって、人のおやつまで食べるないでほしい。
「あー。じゃあそれは次もお前が振られたら奢ってやるよ」
そう兄貴は悪びれる様子もなく、笑いながら言うものだから。
「それ、何回振られたら回収できると思ってるの」
思わず俺も少しだけ笑いながらそう返事してしまっていた。
振られること前提で話さないでほしい。
「まぁ、今回は残念だったけどさ。きちんと恋を終わらせることが出来たのは偉かったじゃん。俺が言えるような立場じゃないけど」
アイス以外にも物が入っていそうなコンビニの袋を軽く振り回しながら、ぽつりと兄貴らしくないことを言った。
ずっと、兄貴とは違う世界で生きているんだと思っていた。
話す言葉は同じ日本語のはずなのに話す内容が全然違って、いつしか話さないようになっていた。
その割には、兄貴目当ての人が近寄ってきたり、兄貴の文句を俺に言う奴がいたり、おやつを勝手に食べられたりと兄貴から掛けられる迷惑は途方もなくて。
兄貴のことが嫌いだった。ずっと嫌いで、違う家に住むようになったらきっと連絡を取り合うこともなくなるのだろうってずっと思っていた。
だけど、今回のことで兄貴が俺の世界に近づいてきてくれて、俺も兄貴を俺の世界に受け入れても良いと思った。
根本的な考え方が俺も兄貴も違うから、それで関わらないように生きてきたけれど、それでも末端だけなら関わり合っても良いと思えるくらい俺も兄貴も大人になったのだろう。
「なんか……いろいろありがとう」
気がついたらそう口にしていた。ムカついて、大嫌いだったこの兄に、気持ちのこもった礼を言うのはいつぶりだろう。
「どういたしまして」
街灯の明かりに照らされた兄貴の顔は、この上なく面白いことを聞いたというように笑っている。
いつもだったらその笑顔は俺を馬鹿にしている笑顔なんだと思っていたけれど、今なら分かる。
きっと違うと。
これにて柚葉告白編終わりです。
読んで下さった方の心に響くことが出来ていたら、とても嬉しいです。
次からは第3章になります。唯花視点です。