見ていたなんて聞いてない!!
美琴と恋愛談義をした後学校に戻って部活に一生懸命励んで家に帰ってきた私は、部屋の電気を付けた後、リビングの床に荷物を置いて、ぽふっとソファーの上に身を放り出した。
「つ、疲れた」
あの先生スパルタすぎるんだよー!!いや、美術系の高校に行っているわけじゃなくてあのレベルの指導を得られることが、どんなに幸運なことなのかは理解しているけれども、それでもスパルタすぎる。
すべての集中力を使い切ったような気がするくらい疲れていたので、ソファーの上で携帯を眺めながらごろごろしたかったけれど、今日の夏期講習の復習と明日の予習とそれから大量に出た夏休みの宿題も少しは進めないといけないことを思い出したので、そろそろやる気を出すことにする。
「おやつでも食べようかな」
脳内の糖分を補給して頑張るか、と冷蔵庫を開いた時、そういえばお兄ちゃんの具合が悪いんだから、私が夕飯作ったほうがいいことに気がついた。
うーん。何を作ろうかなー。いまいちメインになりそうな食材が目に入らなくて、買い物に行ったほうが良いかなとふと外を見ると、ざぁっとすごい勢いで雨が降っていたので、買い物に行くことは諦めて家にある材料で適当な夕飯を作ることにした。
そ、そうめんでいいんじゃないかな。うん。体調悪いときでもつるつると食べられるかもしれないし。
そんなことを考えていると、ポケットから携帯の振動が伝わって、何かなと思って確認すると、今まで一度も届いたことなかった真咲さんからのメールだった。
もしかして体調が悪すぎてお兄ちゃんが倒れたとか、そういう内容だったらどうしようと思って、慌てて開いたメールを開く。
「今湊が帰ったところなんだけど、傘を持ってないみたいだから迎えに行ってくれないかな?今日一日体調が悪そうだったから、心配なんだ」
内容を要約すると、だいたいこういう内容だった。
ま、まじか。どうしよう。お兄ちゃんのことだし、適当な場所で傘を買うんじゃないかなとは思うけれども、今までに一度もメールを送ってきたことのない真咲さんがこんなメールを送ってくるくらいお兄ちゃんの体調が悪いのだとしたら、一人で帰すことが心配になるくらい体調が悪いのだとしたら、迎えに行った方がいいよね、と思って財布と携帯と鍵をポケットに入れて、傘を二本持って家を飛び出した。
考えていた時間と、運悪く待ち時間の長い信号に引っかかってしまったこともあって、電車到着推定時刻に間に合わないかもしれないと、小走りになりながら駅へ向かう。
お兄ちゃんを道すがら見かけなかったので間に合ったかな、と駅の近くで安心していたら、傘も差さないで外へ出ようとしているお兄ちゃんが見えて。
「お兄ちゃん!」
慌ててそう叫んで、お兄ちゃんの元へ駆け寄る。
「唯花!?どうしてここにいるの??」
そう驚きつつもお兄ちゃんは昨日と変わらず元気がなくて、体調が悪そうだった。
「良かった。間に合わないかと思った。これ、傘。お兄ちゃんが傘持ってないって聞いたから、急いで持ってきたんだよ」
体調が悪いのに外へ傘も差さずに歩いて帰ろうとしていたのだから、間に合って良かったと心底思う。ある程度体調が良くなったから学校に行ったのだと思っていたけれど、どうやら違ったらしい。
「というか、お兄ちゃん今日も体調悪かったんでしょ?なのに今朝家にいなかったからびっくりしたよ。インターハイ近いのは分かるけど、逆に近いからこそ無理しないほうが良いってこともあるんじゃないかな。あとさ、お兄ちゃん具合悪いんだから、傘を差して帰るよりもタクシーで帰った方が良いんじゃないかなって思うんだけど」
行く途中でタクシーとすれ違ったときに私が迎えに行くよりもそっちの方がいいんじゃないかなと思ったので、これも提案しておくことにする。
そこまでじゃないよ、と言われたら歩いて帰ればいいよね、と思って言った言葉だったのに、何故か涙を流しているお兄ちゃんが立っていて、ものすごく動揺した。
「お兄ちゃん!?な、何で泣いてるの!?そんなに体調悪かったの?大丈夫?えっと、どうしよう」
え、え、何で泣いているんだろう。何か傷つけるようなことを言ったかな!?それとも体調悪すぎて限界が来たとか??それなら早くタクシーを呼んで病院に行った方がいいんじゃないか!?いや、タクシーじゃなくて救急車かな。救急車を呼んで良いレベルの体調の悪さなのかどうか分からないけど、でもお兄ちゃんが泣き出すレベルの具合の悪さは救急車を呼んでも許されるのではないだろうか。
「大丈夫。大丈夫だから」
動揺している私を安心させるように、お兄ちゃんは頬の涙をぬぐい去って少しだけ笑顔を見せた。そして深呼吸をしたので、きっと体調を整えようとしているんだろうな、と思ったのに。
「ずっと聞きたかったんだけど、唯花は、柚葉と付き合ってるの?」
そんな予想すらしていない質問をお兄ちゃんにされて、私の思考回路は一旦停止した。え、え、何でお兄ちゃんがそんな質問をしてくるの!?柚葉君が何か言ったの!?いや、付き合っているならまだしも付き合ってないのにそんな嘘の情報を告げたりしないよね!?
「つ、付き合ってないよ!っていうかなんでお兄ちゃんがそのことを知ってるの!?!?」
とりあえず訂正をして、噂の出所を確認する。お兄ちゃんが知っているレベルで巷で噂になっているのだとしたら、噂の訂正が大変だ。
「いや、花火大会の日に一緒にいるところを見たから、付き合ってるのかなって」
噂とか、そういうわけではないことが分かってひとまず安心した。人がたくさんいたから人混みに紛れているだろうと思ってすっかり油断していた。
「そっか。あんなに人がいたのにお兄ちゃんよく気がついたね。私全然気がつかなかったよ」
そういえば柚葉くんと仲良くしないでって言われていたな、ということを思い出して、謝るべきかなと一瞬思ったけれど、聞こえていたのに仲良くしていたのは事実なので、これはもう一生聞こえなかったことにしておこうと思う。