見ていたなんて聞いてない!(side 湊)
結局その日一日真咲は答えを教えてくれず、ぐるぐる考えることに疲れた俺は、帰りの電車にため息を吐きながら乗った。
電車に乗る前から空はどんよりしていたけれど、家に帰るまでは降らないだろうと思ったし、一応折りたたみ傘はいつも鞄に入っているので雨に降られても大丈夫だと、そう思っていたのに。
電車に乗った途端、どしゃぶりの雨が視界一面に広がった。
「はぁ……」
傘を差しても濡れそうだなぁと思いながら鞄の中を探すけれども、どうみても入っているはずの傘は入っていない。
何もこんな日に傘を盗らなくても……と思うけれど、雨が降りそうだから盗られたという可能性もあるな、とも思う。
どこかで傘を買おうかとも思ったけれど、それさえも面倒くさくて、ぼうっと空を見上げて、雨に濡れて困るものは特に持っていないし濡れて帰ることにした。
この間読んだ一ノ瀬空の作品に、辛いことがあって雨に打たれて家に帰るヒロインがいたけれども、今なら少し彼女の気持ちが分かる気がする。
とにかく面倒くさいのだ。そう言うことに気を使うことが。
何度目か分からないため息をついて一歩踏みだそうとした瞬間。
「お兄ちゃん」
聞こえるはずのない声が、俺が歩み出そうとした先から聞こえてきて、雨になるべく濡れないように俯いていた顔をあげると、そこには傘を差して息を切らした唯花が立っていた。
「唯花!?どうしてここにいるの??」
鞄も持っていないし、家の方角から来たということは、恐らく一旦家に帰っていたのであろうに。どうしてここにいるのだろう。
「良かった。間に合わないかと思った。これ、傘。お兄ちゃんが傘持ってないって聞いたから、急いで持ってきたんだよ」
そう言って手渡された傘を見て、去年の春、スーパーで買い物をした時のことを思い出した。そういえばあの時も、雨が突然降って、それで唯花が迎えに来てくれたんだった。
「というか、お兄ちゃん今日も体調悪かったんでしょ?なのに今朝家にいなかったからびっくりしたよ。インターハイ近いのは分かるけど、逆に近いから無理しないほうが良いってこともあるんじゃないかな」
それで俺は唯花のその優しさに触れて、それで好きになったけど、でもそれは家族的な意味での好きで大切にしたいという感情だと思っていたけれど。
「あとさ、お兄ちゃん具合悪いんだから、傘を差して帰るよりもタクシーで帰った方が良いんじゃないかなって思うんだけど」
でも違ったんだ。いや、変わっていっていたんだ。
家族としてじゃなくて、一人の人間として、唯花のことが好きなんだ。
そんな簡単なことに気がつけなくて、それでずっと悩んでいた俺は、なんて馬鹿なんだろう。
「お兄ちゃん!?な、何で泣いてるの!?そんなに体調悪かったの?大丈夫?えっと、どうしよう」
そう言われて、初めて頬が濡れていることに気がついた。
何で泣いているのか、自分でもよく分からなかった。
ただ、この瞬間、俺は生まれ直したような気がした。
「大丈夫。大丈夫だから」
救急車でも呼びかねないような焦りようの唯花に大丈夫だと告げて、頬の涙をぬぐい去った。泣いている場合じゃない。
恋心を自覚した俺には、まずはじめに唯花に聞かなければいけないことがある。
「ずっと聞きたかったんだけど、唯花は、柚葉と付き合ってるの?」
そう聞いた瞬間の唯花は驚いたように目を見開いた。開いた口から帰ってくる言葉を、まるで裁判の判決を聞くような心持ちで待つ。すうっと一旦息を吐いてから、落ち着いて冷静に聞いたつもりだったのだけれど、鼓動の速さが冷静ではないことを告げていた。
「つ、付き合ってないよ!っていうかなんでお兄ちゃんがそのことを知ってるの!?!?」
さっきとは違う意味で慌てている唯花の姿に嘘はなさそうで、俺はすごく安心した。
良かった。例えこれで付き合っているよ、と言われたところでこの恋心が消え去ることはないけれど、それでも柚葉と唯花が一緒にいる姿を見る度に辛くて苦しい気持ちになることは避けられた。
「いや、花火大会の日に一緒にいるところを見たから、付き合ってるのかなって」
佐鳥さんがよく言っていた。恋人というのは、相手を独占出来る地位だと。けれど恋人になるって難しい。今までたくさんの女の子たちに告白されてきたから分かる。好きという気持ちは一方通行で成り立つけれど、恋人になるには双方の気持ちが必要だからだ
「そっか。あんなに人がいたのにお兄ちゃんよく気がついたね。私全然気がつかなかったよ」
そう言いながらも真剣に俺とすれ違ったかどうかを考えている唯花を誰にも渡したくないから。
恋人が、誰かを独占できる地位だと言うのなら、俺は必ずその地位を得てみせる。




