資料集を忘れるなんて聞いてない!
部活見学の次の日の、三時間目と四時間目の間の休み時間のことである。
「あ、やばい。資料集教室に忘れた」
四時間目は生物室で生物の授業があるため、教科書類を持って生物室に行ったのだが、生物室に着いて資料集がないことに気が付いてしまった。
うわー。どうしよう。資料集って滅多に使わないから、正直に言って取りに戻らなくても良いような気がする。いや、でも忘れたときに限って使うんだよね。そして先生に忘れたことがばれるんだよね。うん。まだあと三分くらい時間あるし、ぎりぎり間に合うはずだから、取りに戻ることにしよう。
「資料集取ってくるね」
そう美琴に告げて、私は早足で生物室を出て廊下を歩いた。本当は走りたいのだけれど、休み時間終了三分前というのは移動する人が多くて危険だし、そもそも廊下を走ってはいけないので、走るのはやめておく。
歩きながら、教科書が軽くなるように資料集と教科書というのは分かれているのだとは思うけれども、一冊になっていたらこんな苦労はしなくて済んだのにー!と資料集と教科書に逆恨みしていたら、教室に着いた。
ドアの窓から光が漏れていなかったので、誰もいないだろうと油断してドアを開けるとそこには人がいたので、もの凄く驚いた。うわぁ。なんか既視感を感じる。あぁ、あれは入学式の日のことか。
うん。今度から明かりがついていなくても教室には誰かいると思ってドアを開けることにしよう・・・・・。心臓に悪い。
それにしても教室にいる彼はここで何をしているのだろう。ま、まさか次の授業が生物室で行われることを知らないのだろうか。教えてあげるべきかな……。そもそもこの人誰だっけ。えーっと、私の席より後ろ側にいるということは、名簿順で座っているので確実にサ行より後ろの名字のはずである。うーん。たちばなとかそんな感じだった気がするんだけど、なんか違う気がするなー。
そう思いつつ資料集を机の引き出しから取り出し、ちらっと彼を確認すると、どうやら彼は帰る準備をしているようだった。あー!そういえば前の授業の時にも居なかったような気がする。多分体調が悪くて保健室で休んでいたけど、早退することになったのだろう。
そんなに生物室は遠くないけど、体調が悪いなら早く家に帰りたいだろうし、私が生物の先生に伝えた方が良いよね。
「あの、もしかして早退するの?先生に伝えておこうか?」
そう彼に聞くと、鞄に荷物を詰めていた彼はぱっとこちらを向いた。お兄ちゃんほどではないけれど、結構なイケメンである。へー。うちのクラスにこんなイケメン居たんだ。知らなかった。
「え?あ、うん。そうなんだ。体調悪くて、さっきまで保健室にいたんだけど、帰ることになっちゃってさ。伝えて貰えると助かる」
そう言って彼は後ろを向いて咳をしたので、よっぽど体調が悪いのだろう。
「分かった。早く体調良くなるといいね。あと気をつけて帰ってね」
彼のことは心配ではあるけれど、休み時間の終わる一分前くらいになってしまったので、私は忘れずに資料集を持って教室を出ることにした。
「ありがとう。三枝さん」
私が教室を出る間際に彼がそう言ってくれたおかげで、私はとても重要なことを、一つ見逃していることを思い出した。
そうだ。私、彼の名前知らない。
うわぁぁ。今更教室に戻って「あなたの名前は何ですか?」なんて聞けないよ!さらに言うと、時間的に戻って聞いてたら授業に間に合わないよ!
多分美琴なら知ってるはず!!美琴だもの!というか、最悪空席を見て先生が「誰か○○のこと知らないかー」と聞くはずなのでそのときに便乗すればいいか!!
ということで私は廊下を走って生物室に向かうことにしたのだった。
チャイムと同時に席に滑り込むことが出来た私は、幸いなことに先生はまだ来ていなかったので、真剣にノートに落書きをしている美琴に聞くことにした。
「美琴、あのさ、あの空席の人の名前知ってる??」
席の場所的に多分あの人だと思う。
「あ、唯花。おかえり。あの席?あの席は千葉柚葉の席だけど、それがどうかしたの?というか、クラスメイトの名前くらいそろそろ覚えなさいよね」
そうだ!千葉だ!!
「いやー。たちばなまでは出てきてたんだけどね」
二文字多かったか。
「なに余計な文字足してるのよ。はぁ……。あの人あんたくらい有名人なんだから、同じ有名人として覚えておいた方がいいと思うわよ。お兄さんが生徒会の会計をしていて、睦月高校三大イケメンの一人、千葉桐葉の弟なんだから」
生徒会の会計の弟さんかー。お兄さんの方は先日体育館で生徒会主導で行われた部活動紹介の時に顔を見たような気がする。あれでしょ、お兄ちゃんでもなく真咲さんでもない人で、お兄ちゃんと真咲さんくらい女の子にきゃーきゃー言われていた人でしょ。
あー。思い出した。確か結構ちゃらそうな人だ。ふーん。顔は結構似ているような気がするけど、雰囲気お兄さんと全然違うんだなー。
きっと彼は私以上にお兄さんのことで苦労していることだろう。私とは違って本物の兄弟だろうし。というか、彼も普通に恰好良かったし、彼自身のことでも苦労していそうだ。
「で?千葉くんがどうかしたの?」
「いや、それがさ、体調悪いみたいで早退するんだって」
名前も分かったことだし、これで一安心である。
「へー。つまらないわね」
何がつまらないというのですか、美琴さん。
「授業始めるぞー」
そう聞こうかとも思ったけれど、まるで今チャイムが鳴りましたよーと言わんばかりに堂々と生物の先生が入ってきたので、この話は終わりとなった。
そして私は授業が終わってから、美琴に何がつまらないのかを聞くことを、すっかり忘れてしまっていたのである。