お寿司なんて聞いてない!1/4 (side湊 )
「分か……った」
と苦悩に満ちた顔で言う唯花は、落とした旅行の荷物がガタって床にぶつからなかったら思わず抱きしめていたくらいレアな表情で、可愛かった。
危ない危ない。抱きしめていたら唯花と心の距離の間にマリアナ海溝並みの深い溝が出来るかもしれなかったので、旅行の荷物が床にぶつかってよかった、と心の底から思った。
「じゃあ、荷物置いてくるね」
「あ、うん。お茶の用意とか、しておくね」
唯花の言葉遣いは案外スムーズに変わったようだった。
まぁ、いいか、と割り切ったのだろうか。いや、もしかしたら無理をしていたのかもしれない。
それなら今回無茶振りではあるけれども、お願いしてよかったと思う。
やっぱり、心の距離を感じてしまうから丁寧語で話されるのは嫌だった。
いや、丁寧語の唯花も唯花で超絶可愛いし、最初だけという点でレアではあるから、いつお願いするか迷ったけれど、今回の件で変えるのが一番タイミング的に丁度良いかなって思ったのだ。
一緒に暮らし始めて1年目だし、フランクに話そう!っていうのも微妙だし、俺の誕生日だからフランクに話そう!っていうの微妙だからね。
かといってインターハイで優勝したからフランクに話そう!っていうのも微妙だけれども。
まぁ、終わりよければ全て良し、だ。
三日ぶりの我が部屋は、ちょっとだけ埃っぽくて蒸し暑かった。
お互いの部屋に入らない約束なので、当たり前といえば当たり前である。
冷房と空気清浄機をつけて、部屋着に着替えて、荷物を片付けて、洗濯物を洗面所に持って行き、手を洗って、鏡を今一度確認してから、リビングに向かった。
夕飯なんだろうと期待に胸を膨らませながらテーブルに着くと、今日の夕飯はお寿司だった。
寿司……。手づくりではないことは明白だった。桶に会社名書いてあるし。
「あれ、もしかしてお兄ちゃんお寿司嫌いだった?」
真顔でお寿司を眺めていると、唯花が下から心配そうに眺めてくれて、慌てて笑顔を取り繕った。
「ううん。特に食べ物に好き嫌いはないから、大丈夫」
強いて言うなら唯花が作った食べ物が好きなんだけど、それを言うと話がややこしくなりそうだから、一応言うのをやめた。
「良かったー。じゃあ、いただきます」
唯花はそう言って嬉しそうに鮪を頬張った。
「いただきます……。えっと、唯花はお寿司好きなの?」
「うん、大好き」
唯花の好きは俺に言われたものではないのに、すごく胸に来て、心が震えた。
そっか……。唯花はお寿司が好きなのか……。
よく考えたら今まで唯花には俺の作った食べ物を食べて欲しいと思ってお寿司なんて取らなかったし、俺がそうだからか、唯花も真面目に夕飯を作ってくれていたので、ここしばらくお寿司とか、ピザとかの店屋物や外食を食べていないのだった。
そんなに唯花が寿司が好きなら、寿司を握れるように練習しようかな。
というか、将来寿司職人になるのもいいかもしれない。