第五話
木の陰に隠れるようにして進む。
左手で理乃の手を引きながら、もう片方の手では武器である木の枝を強く握り締めている。
この森には先ほど襲ってきたような生物、モンスターたちが数多く生息しているのがこれまで歩いてきたことでわかった。
俺たちに襲い掛かってきたあのゼリー状のモンスターを見かけることが多かったが、たまに別のモンスターを見かけることもあった。
枯れ木に生命が宿ったかのような、細い幹と枝をしならせて歩くモンスターもいた。
そういったモンスターたちと出くわさぬように、俺は神経を研ぎ澄まし、周囲の警戒を余念無く行いつつ先へ先へと進む。
モンスターを姿を発見するたび、理乃の手が僅かに震える。大丈夫だ、と言い聞かせるように、俺は彼女の手を強く握った。
「っ!?」
ふと、鼻についた異臭。
理乃にもわかるようで、こちらに視線を向けてくる。
凄く嫌な臭いだ。
俺はその臭いから遠ざかるように、より遠くの方へと進む。臭いが薄れ、それが完全に消えたとき、俺たちは森の終わりへと到達していた。
「何とか抜け出せたな」
「……うん、良かった」
だが、まだ気は抜けない。モンスターが森以外にも生息しているかもしれないからだ。
それに、モンスター以外にも危険が潜んでいるかもしれない。
「慎重に進もう。大丈夫、理乃は俺が守るよ」
まるで映画みたいな台詞だ。
しかし理乃は、そんな俺の言葉に力強く頷いてくれた。より強く握り返される左手に彼女の体温を感じる。
目の前には草原が広がっている。
道は存在せず、ところどころに草の押し潰された後が見えるだけ。
恐らくこの森はあまり人の手が加えられていない場所なのだろう。
「行くよ」
「うん……」
理乃の手を引いて再び歩き出す。
森の中よりも見晴らしがよく歩き易い草原だが、逆にこちらの姿を丸見えであることが気がかりだ。
もし敵意を持つ生物が現れたとしたら、すぐに見つかってしまう。
そうならないためにも、早足でその場を歩く。
「っ!!……代一」
「どうした理乃?」
「……後ろに何かいる」
理乃の言葉に俺は後ろを見る。
足元の草は俺たちの膝ぐらいまでの高さしかないが、そんな草の中から何者かが俺たちを見ているような、そんな感覚を覚えた。
モンスターか? それならどうして襲ってこない? こちらの様子を見ているのだろうか。
「……注意しながら先へ急ごう。立ち止まるのは危険だと思う」
「わかった」
再び歩き出す。
と、それに合わせて後ろの方の草が揺れる。風ではない。何かがそこに潜んでいることは明白だった。
一体何ものだろう。少なくとも、先ほど俺たちを襲ってきたモンスター以上の知能をその行動から伺うことが出来る。
「……走るよ」
「うん……!」
理乃の手を引いて走りだす。
俺はわざと草を踏みつけながら走った。これで相手の隠れる場所を少しでも減らせれば、と。
追手のスピードも速くなる。それどころか、先ほどよりも距離を縮めてきているのがわかった。
これは不味い、このままでは追いつかれてしまう。
踏みつけた草も、相手はそれを避けて進んでくる。
「あそこ……!」
と理乃が言う。
彼女の指差した先には大きな岩があった。
「よし、行こうっ!」
あの岩を目印に俺と理乃は走る。
彼女の呼吸は既に乱れ始めていて、体力が底をつくのは時間の問題だと思われた。
このまま逃げ続けるわけにはいかない……。
岩までたどり着き、その後ろに身を隠す。
理乃の背中を優しく撫で、大丈夫だと耳元で囁く。
枝を強く握り締める……。
風の音に混じり、草を掻き分ける音が聞こえてくる。
音は少しずつ近づいてくる。
そして、足音は俺たちのいる場所まで到達する。
「……どこへ行きやがった?」
追手が言う。
言葉を話すのか……!
少なからず知能を持っているとは思ったが、言葉を話すほどのものとは思っていなかった。
相手は俺たちの姿を完全に見失っている。
今しかチャンスは無い。
俺は理乃の肩に触れ、行ってくると目で合図する。
彼女は心配そうに俺を見つめ返してきた。
ばっと立ち上がる。
岩まで辿り付いた俺たちは、追手に見つからないよう、その場に伏せて隠れていたのだった。
「な、なんだ!?」
と慌てた声を出す追手。
俺は木の枝をそいつに向ける。
そして努めて冷静な声で言う。
「……何者だ。どうして俺たちを――っ!?」
追手の姿を目で確認したとき、俺は心底驚いた。
相手の姿は人間そのものである。顔があり、腕があり、足がある。見開かれた瞳は、俺の目をしっかりと見返している。
だが、その大きさが問題だった。その身長は俺の膝より少し上の高さしかなく、体のパーツパーツが人間と比べると以上に小さい。
まるで小人だ、と俺は思った。
「人間っ! やっぱり人間かっ!!」
小人は枝を突きつけられているにも関わらず、俺を見るとそう言った。
その態度からは敵意は感じられない。
一体なんだんだ……?
「おいおい、これが武器のつもりか? そりゃないだろうよ」
小人は俺の木の枝に触れ、言う。
俺も好きでこれを武器としているわけではない。だが現状、これしか使えそうなものがないのだから仕方が無いだろう。
「……君は何者なんだ?」
「俺かい? 俺はデルマってんだよ! お前さんは何てんだ。人間にも名前くらいはあるんだろ?」
「お、俺は代一だ」
「ヨイチ……はんっ、面白ぇ名前だな!!」
小人ー―デルマはそう言って笑うと、理乃の隠れている場所を指差して言う。
「そこに隠れてる奴も出て来いよ、わかってんだぜ!」
どうやらばれているらしい。
俺は木の枝を下ろした。
「理乃、出てきて大丈夫だ。多分、敵意はないと思う」
「敵意!? おいおい、敵意だって!? そりゃお前たち、俺にそれがあればもうお前たちは死んでるんじゃねえのか? なんてな」
そう言って笑うデルマ。どうやら敵意がないことは本当のようだ。草の陰から立ち上がった理乃を守るようにして彼女の前に立った俺は、デルマと視線を交差させる。
「この子は理乃。俺の仲間だ」
「女か?……人間は女でもでかいんだな」
「その、つまり君は人間じゃないの……?」
俺の問いかけに、デルマは「当たり前だ」と答える。
「どっからどう見ても俺は〈ノーム族〉だろうが。この辺はノーム族の縄張りで、そこに入り込んだお前らを監視しろと族長に命令されたから俺はここにいるんだぜ――じゃあ、今度はこっちの質問だ」
と、ノームは言い、鋭い目つきで俺を睨んだ。
「お前らはどうしてここにいるんだ? いや、その理由が知りたいわけじゃねえ。どうやって結界を通り抜けたのか、重要なのはそっちだな」
「結界……? そんなものがあるのか?」
「おいおい、しらを切ろうとしたって無駄だぜ。人間が俺たちの縄張りに入るには結界を通り抜けなくちゃならねえ。三百六十度上から下まで、俺たちの領土は結界に囲まれてんだからな」
これはまた、俺たちはどうやら厄介なところに入り込んでしまったらしい。
気づけばこの場所にいた。だから詳しいことはわからない。何て説明でデルマが納得するだろうか。
逆に怪しい奴だと思われて捉えられたり、最悪その場で戦闘になるかもしれない。
デルマは俺よりも小さいが、彼の纏っている武人じみた雰囲気は、今の俺では到底敵いそうにないほどの実力から来るものなのだろう。
【守護者のアミュレット】を上手く発動させられたとしても、あの剣を使いこなせていない俺では、多分戦う前から勝負は見えている。
「なんだ、どうにか言いやがれっ!」
俺が黙っていると、デルマはそう言って急かしてくる。
どうだ、どうするのが正解なんだ……?
答えが見つからず、俺は口を開くことが出来なかった。
口を開いたのは、俺の後ろにいる理乃だった。
「私たちは気づけばこの場所、あの森の中にいた。だから結界のことはわからないし、ここがどこなのかもわならない。誓っても良い。それが事実」
普段の彼女とは違い、はっきりとした口調での言葉だった。
女性は肝が据わっているとは言うが、理乃はモンスターとの戦闘では動けないほどに怯えていたはずだ。
彼女はもう、この世界に適応し始めているのかもしれない。
彼女を守ると言っていた俺がこの様じゃ、格好がつかないな……。
「彼女の言葉は真実だよ。俺が保障する」
デルマはじろりと俺を睨む。
「もしそこの嬢ちゃんの言葉は嘘だったら?」
「……俺が責任を持つ」
「と言うと?」
「俺のことを、煮るなり焼くなり好きにしてくれ。彼女の言葉は本当だ」
暫しの間、俺とデルマの視線が重なり合う。
彼の睨むような視線を、俺は抵抗することなく受け止め、そして彼から目を逸らすことをしなかった。
数十秒の時間が流れた……。
「く……くくく……っ」
とデルマが急に腹を抱えて笑い出す。
何なんだ、急にどうした?
俺は理乃の方を見る。彼女も首をかしげ。俺を見返した。
「がはははっ! 心配すんな、その嬢ちゃんの言い分が本当だってことは十分わかったさ!……それにしても小僧、お前中々肝が据わってやがるぜ。惚れてんのかよ、その嬢ちゃんにっ!」
「んなっ……!」
デルマの言葉に、顔が熱くなる。
俺が理乃に惚れている? 確かに彼女は可愛いと思うし、そりゃ普通なら好きにもなるだろうが、出会ったのはまだ数時間前のことで、それにこんな状況なのに……。
だが、きっぱりと否定できない辺り、俺の本心はきっと……。
慌てながら理乃を見ると、彼女も顔を真赤にしていて、恥ずかしそうに俺の服の袖を掴んでくる。
何だこの反応……っ、これは脈ありって奴なのか……っ!
殺伐とした雰囲気は崩れ去り、何故か恋愛一色に染まる。
と言うかなんで、出会ったばっかりのおっさん(小人だが顔的に)にそんなことを言われなくてはならないんだ!
互いに顔を真っ赤にし、恥ずかしがっている俺と理乃を見て、デルマは腹を抱えて笑い出し、こんなことを言い出した。
「結婚式するか、結婚式!!」
しねぇよ馬鹿!!
とは口に出せない。
理乃はさらに顔を赤くして、上目遣いに俺を見てくる。
その強烈さに俺の心臓が破裂しそうなほどに高鳴る。
――結局、俺は理乃を落ち着かせるのに五分ほどの時間を要してしまった。だが俺自身の胸の高鳴りを抑えるためにはそれの倍ほどの時間を要することになってしまったのだった。
何はともあれ、これが〈ノーム族〉デルマとの出会いだった。