第三話
雨笠理乃はその場から動けなかった。
謎のモンスターが襲い掛かってきたときも、自分と同じ境遇の男がそれに立ち向かって行ったときも。
ついには、自分がモンスターの標的になってしまったときも、その場から全く動くことが出来なかった。
怖かったのは、自分のせいで荻野代一が傷ついたという事実である。
自分を庇うために、荻野はモンスターの攻撃を喰らってしまった。
罪悪感を感じる。恐怖を感じる。足が震える。
このモンスターの攻撃をきっと痛いんだろうな。そう思って目を瞑った。覚悟を決めたわけではなく、現実がら逃れようとしたのだった。
だが、いつまでたってもモンスターの攻撃は雨笠の身に届かなかった。
それもそのはずで、彼女の前には吹き飛ばされたはずの荻野の姿があったのだから。
驚愕し、目を見開く。
荻野が手にしているのは、先ほどまでの木の枝ではなく、刃を備えた剣だった。
彼がそれを振るった瞬間、モンスターの体は豆腐を切るみたいに綺麗に真っ二つに別れた。
それだけではなかった。彼の持つ剣、その剣身が光を帯び、まるで周囲の空気を喰らっているような、轟々たる音を響かせる。
そして鈍い光の斬撃が放たれた。
木々も、大地さえも飲み込み、斬撃は果ての方まで伸び、そして消えた。
その強大な力に、不思議と恐怖は感じなかった。
(私を……守ってくれたんだ……)
その事実に、不覚にも胸のうちが熱くなる。
出会ったりばかりではあるが、この男なら信用してもいいかもしれないと、雨笠は思い始めていた。
「っ!?」
荻野の体がその場に崩れ落ちる。
雨笠ははっとして、彼の体を支えた。
呼吸はある。心音も正常だ。
(良かった……)
けれど、彼の肉体は酷く疲労しているらしかった。
――〈疲労度75%〉――
彼の頭上に、そんな文字が見える。
「何……?」
不思議な現象だ。彼の剣、その斬撃も不思議だった。
ここはどこなのだろうか。もしかすると、ここは普通の場所、世界ではないのかもしれない。
そんな不安に駆られる。
が、今は目の前の彼のことに意識を集中させなくては……。
彼の頭上に浮かぶ文字は、もしかすると自分のスキルと言うものなのではないだろうか。
雨笠は漠然とそう思った。
コツン、と指先で頭に触れる。
雨笠理乃amagasa rino
レベル:3(↑2)
スキル:【白魔術】―〈ヒール〉
武器 :
防具 :
装身具:
最初に見たときと少し違っている。
レベルが1から3に上がっているし、スキル【白魔術】の横に〈ヒール〉の文字が追加されている。
それから、装備品とだけ記されていた欄は、武器、防具、装身具など、より細分化して表示されていた。
もしかすると、レベルが上がるにつれ、この画面も進化していくのかもしれない。
雨笠は、荻野の【守護者のアミュレット】のように何か装備品を持っているというわけではない。
彼女にあるのは、スキル【白魔術】だけである。そして〈ヒール〉の文字。
白魔術、魔術と言うのはなんとなくわかる。昔は本当に信じられていた力で、神秘的な現象を引き起こす一種の奇跡。
では、〈ヒール〉と言うのは……?
もし荻野が目を覚ましていれば、それが呪文のようなものであるということに気づくことが出来たのだろうが、今彼は眠ってしまっている。
「……ヒール」
それは一体何なのだろうと、思わず声に出して考える。
と、雨笠の右手が不意に光を放ち始めた。荻野の頬に当てていた右手である。
無意識のうちに彼に触れてしまっていた。その事実に赤面するが、今はそれどころではないのだと自分に言い聞かせ、光る右手を見る。
――〈疲労度60%〉――
視界の隅に表示される文字。その数値が先ほどよりも減っていることに気がついた。
もしかして、と雨傘は思う。
〈ヒール〉と言うのは、スキルを発動させるための呪文のようなものなのではないのだろうか。
その予想は当たっていた。それを口にすることでスキルは発動し、そして呪文に応じた効力を発揮するのである。
〈ヒール〉の効果は、対象に蓄積した疲労度を減少させること。
荻野の顔から疲れが消え去っていくのが目で見てもわかる。雨笠はほっとした。そして、彼のためにつかえる力が自分にもあるのだと言う事実に、彼女の胸は少なからず高鳴った。
――〈疲労度0%〉――
数値をそこまで減らしたとき、雨笠の額を一筋の汗が流れ落ちた。
今の彼女には知りえないことだが、スキルを発動させると、身体に宿る魔力がどんどん減少していく。
魔力が消耗しすぎると、今度は体力を減少させ、それも底を尽きると今度は生命力を消費させることになる。
今の雨笠は丁度魔力を半分使い切ったところだった。初めてスキルを使用するということもあり、その緊張も相まって肉体的疲労が増長されていた。
荻野は清清しい顔をして眠っている。疲れが全て取れたためだろう。
もう少しすれば目覚めるはずだ。雨笠はそう思い、彼の傍らに腰を下ろして優しく吹いてくる風を感じた。
気づけば右手が勝手に彼の手を握っていた。胸中で渦巻く不安も、それを共有できる誰かがいれば、少しはマシになるようなそんな気がしていた。