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潮の匂いのする町

作者: 夢遊京人

綿の抜けた穴だらけの布団が擦り切れた畳に仲良く存在している。二階の木枠の窓から海がキラキラと輝いて目にとげとげしく差すようだ。


忙しく扇風機が回って、自分に潮と那美の匂いをぶつけてくる。


今日も家にいるだけ、ただ生きているだけ。パートに出る那美の帰る時間だけが楽しみな日々を送っている、そんな自分が情けなくもあり、また反対に生きることを客観的に感じられて心地よい不安感と焦燥感が自分を包む。一時も心が休まることはない。

綿の抜けた穴だらけの布団が擦り切れた畳に仲良く存在している。二階の木枠の窓から海


がキラキラと輝いて目にとげとげしく差すようだ。


忙しく扇風機が回って、自分に潮と那美の匂いをぶつけてくる。


今日も家にいるだけ、ただ生きているだけ。パートに出る那美の帰る時間だけが楽しみな


日々を送っている、そんな自分が情けなくもあり、また反対に生きることを客観的に感じ


られて心地よい不安感と焦燥感が自分を包む。一時も心が休まることはない。


幼馴染に頼んである仕事の依頼も返事がなく10日が過ぎてしまい、これで頼む相手さえ


いなくなった自分に愛想が尽きたが、失業してからの時間に対する使い方は贅沢になっ


た。


朝が昼になり昼が夕方にシフトして、那美を会社から近くの公園まで迎えに行くだけが決


まった日課になった。


那美の汚れた事務兼作業着を押し込んだバッグを持ってやるのだけが今の仕事、いや、せ


めてもの優しさである。


公園で水を遠慮なく全開で出しながら水を浴びるように手を洗うのが唯一の娯楽で、濡れ


てしまった服が乾くまで、公園のコンクリートの配管に身体を押し付けて、日の光の温も


りを身体に感じて遊んでいる。


うつむいた感じで工場の門から出てくる彼女を遠くに見ながら待っていると、やがて目が


合い、ほんのり笑顔になる那美が可愛くいとおしい。


早くどうにか楽にしてやらなければ、でもこれが、勝手な言い分だが、彼女と丁度良い距


離感を保っているのだろう。


彼女は別段不満そうも無く自分と生活している。


しかし男として無力感に苛まされる。社会が悪いとか環境がそぐわないとか不満を言って


も彼女が幸せになるわけでもない。


真面目で平凡が生きて行くのが一番難しいのは、亡くなった父が言っていたが、今では、


それだけが自分が社会に適応しているのだろう。


3月のある日、自分は友人の結婚式に誘われていた。もちろん単発のアルバイト程度の収


入しかない自分は断りもしたが、どうしても出て欲しいと言ってくれたので、出席させて


貰うことにした。


懐かしい友人の顔を見るのも楽しみだが、恩師も呼ばれているらしいので、今の、この自


分を人前に出すのは恥かしい。久しぶりに髭も剃り、身奇麗になった自分を見て、那美は嬉


しそうにハンカチとお祝いを渡してくれた。


電車に乗ると那美の勤めている工場が畑越しに見えて、あの中で今日も働いているのかと


思うと情けない自分が胸に来る、せめて街に出たらあいつの好きな物でも買ってやろうと


思った。


式は順調に御開きを向かえ恩師にも軽く会釈で済ませて、友人に一通りのお祝いを述べ


て、事情を知っている友人の影に隠れるように式場を後にした。


自分には何も無いが、大切で好きな人がいる、それだけが胸の中にある。それで十分に幸


せなのだ。街の雑貨屋で、彼女の好きなシュシュを買い、いつものように、工場に迎えに


行った。


定時には彼女が門からうつむいた仕草で俺の目に入ってきた。彼女はゆっくりと顔を上げ


ると、もう帰って来たのかと驚いたようだった。いつものように彼女のバックを持って帰


ろうとすると、普段とは違うスーツ姿の自分の肩の下に顔を寄せて眠るように目を閉じ


て、何やら口を動かしている様子だった。彼女は何を言っているのかは、聞き取れないが


身体の皮膚で感じ取れる気がした。


家に帰ると簡単な食事を済ませ、二人で海岸に出てみた。先ほど街で買ったプレゼントを


渡して、薄暗くなった夕日の光に誘われるように優しく彼女を抱いた。


次の日、駅の就職雑誌を取りに朝早く家を出た。本当は、今のままの生活を続けている方


が、二人にとって幸せのような気がするが、自分は那美の世間体を気にしてるのかも知れ


ない。失業しては直ぐに、まともな就職口を捜し歩いたが、今では仕事を探すことが仕事


に変化した。会社勤めの時は感じなかったが、自分だけが失業しているわけではないのだ


が、自分が不幸で先が無くテレビでのんきなコメントをしているアナウンサーなどに腹を


立てたり、政治家の言葉を真に受けて落胆したりもした。


そんな時間を長く過ごすと感じなくなり、自分の事を心配して、慌てているのが周りだけ


になり、返ってそれが、うとましく感じるようになった。


そして那美と付き合い始めて一年と少しになった。


彼女といると人というもの中に自然を感じて心地よい、彼女を通して畑や海の向こうに、


まだ見たことが無い大きな夢を感じていられる。大らかな流れに身をゆだねるかのような


気持ちにさせてくれる。いつまでもこのままでいたいと思うのはそのためだ。


彼女は、何を俺に求めているのだろう。それは那美の生い立ちに関係しているのだろう


か。幼い時に両親が離婚し彼女は母親の元で育ったらしい。別れた父からの仕送りも一年


も経たずに途絶え、那美の母は働きに出て彼女を高校まで育てた。いつの日か家に男の影


が目立つようになり、母の女を感じて、那美は家を離れた。その後母からの連絡もないよ


うだった。


それから郷里を離れ海の良く見える此処に越してきた。


簿記の資格のある彼女は、学校の紹介で事務兼工員として日用雑貨のプラスチック工場に


就職した。


自分は親会社が二回目の不渡りを出した次の日に、働く場所を失った。


暫くは失業保険とアルバイトで食つないで、結構な失業貴族になっていた。


そんなある日、いつもの日課のコンビニ巡りをしていた時こと。


その工場近くにあるコンビニで彼女と出逢った。


彼女はレモンソーダと菓子パンのレジを済まし、買った昼食より何か心に重い物を持つ後


姿で帰る彼女に、俺は本の立ち読みを止めて、声をかけてみたくなった。俺も不幸だけど


彼女も不幸そうに見えて、親近感と同情に心が関わりたいと思った。


こんにちは  ・・・・無言で歩く速度を変えないでいる彼女


那美は両足先を揃えて立ち止り顔を上げた。


少し話し出来ませんか?   ・・・・那美は俺の目を見て、私にかまうのはやめて欲し


いと言うような目をして、歩く速度を変えた。


彼女に無視された思いは自分には無く、那美の精一杯の意思の伝え方だと感じた。


傷つくのも傷つけるのも彼女は、選ばなかっただけだとわかった。


それから数日が経った。


雨が降っていた。


那美がいた。


傘が小さ過ぎるのか、肩から下がずぶ濡れになっている那美がいた。


軽く会釈をして、人生で一番の優しい顔を那美に向けた。雨は依然激しく降り、自分を勇気


付けた。


那美の身体に触れないように、大きな傘で包むように、雨からかばった。


彼女は目を意図的に俺とあわさない様につとめているようすだった。


数分後、近くにある海沿いのバス停に避難した。


那美は申し訳なそうにお辞儀をして、つぶれたバッグからティッシュを出して顔と腕を拭


いた。見るとティッシュが水に溶けて、彼女の腕についているので、それをそっと取って


やった。


びっくりした彼女も腕に付いたティッシュだと分かると安心した表情をこちらに向けた。


大きな傘を空は必要としない天気になった。


砂浜に陽が雲を割り始め、太陽が二人を迎えに海からきたかのようだった。申し合わせる


わけでもなく二人は海岸に足を向けた。


海風は心地よく二人の服を乾かし続けた。


濡れたシャツが乾く頃には、二人は何年も前からの知り合いだったかのように並んでい


た。


それから時間を合わせて合うようになり、那美と海の近くの部屋を借りた。




約束の日


自分は最近始めたバイトが忙しく那美を迎えに行くことが出来ずいる自分がもどかしく感


じていた。那美もそう思っていたかもしれない。


自分の仕事が忙しくなると那美は嬉しそうに弁当を渡してくれた。那美の玉子焼きは白身


と黄身が何層にも重なる好みの玉子焼きだった。噛むほどに工場帰りの那美の想いがする。


バイト先での就職が決まり、いつに無く、駅前のケーキ屋で小さなケーキを買った。


家に帰ると那美が小鍋の仕度をしていた。やがて訪れる那美の気持ちを表しているのか、


小さな鍋に海老や鯛と豪華な鍋だった。


食事が終わると代わるがわるフォークでケーキを食べた。堪らなく甘く幸せだった。二人


の口の中は共通の味で満たされ、その味を惜しむように確かめ合った。


次の朝


荷物をまとめる彼女に声をかける勇気は無く、布団の端で化粧をする那美に後ろから近づ


き、顔を背中に押し付けた。外に干してあったセーターは潮と那美の匂いを自分に与えた。


人生の不幸が付き合い始めたきっかけならば、幸せは別れのきっかけと那美との約束であ


った。


お互いがお互いを認め、邪魔しないでいる関係は、自分の幸せによって崩れ去り、工場を辞


め家を出る那美を追いかけはしなかった。




それから一年










そして二人の約束はもう一つある。


それは、幸せの指輪を二人のきっかけにする日が、今日の午後5時過ぎの、あの工場の門


の前だということだった。



もし誰かが読んで頂ければそれだけでも感謝です。


この物語は、一枚の窓から青い海の見える窓からの景色を写真を見たのからスタートしました。


何気ない日常の大人しく愛情深い男女のさまを書いてみたくなりました。



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